|
今日は某栄養補助食品グループのセミナーに行ってきました。
生命力いっぱい活き活きと生きていくには
食、動、休が大切。
食べたもので体は作られる。
何より恐いのは「砂糖」
砂糖はカルシウムやビタミンB1を奪ってエネルギーになる。
SARSや結核は、菌があるから罹るのではない。
菌が繁殖する体になっているから罹るのである。
一言付け加えさせてもらうなら
生命力いっぱい活き活きと生きていくには
食、動、休、そして感動と仲間が必要。
生命力いっぱい活き活きと生きることこそ
私が我が子に望んだことでした。
食は健康の基本。
健康は全ての基本。
自分で健康管理できるように育ち
自分の好きなことを見つけ
人生を楽しみ謳歌する
願わくば何らかの形で社会貢献する
それ以上の生き方があるでしょうか
それができているラボっ子OBや我が子が誇らしく感じた日でした。
|
|
|
失くしたと思ったデジカメのケーブルがでてきましたので少々遅れ気味ながら・・・。
手前はジュンベリー、黄梅、奥の木が姫りんご。
このところ、毎日チラシの手配り。
運動不足解消に
歩こう、歩こう、私は元気♪
とテンションあげて、
お母さんを見つけたら
「ラボパーティで~す!来てくださ~い♪」
でもいまだ問い合わせはなし。
頑張った分だけちょっとお疲れ。
そんな私を癒してくれる、桜の次の姫りんご。
アリスさんも我が家の姫りんごを見て植えたらしい。
HPの上にも清楚な花が咲いていました。
お花もきれいだけど、雑草も元気!!
草取りもしなくっちゃ!!
|
|
|
木曜日の修了式での新高3の修了生たちのことばを記します。
稔「10年以上ラボを続けてきて、(部活などで)ちゃんとできないときもあったけど、最後までやってよかった。
もっと先で、きっと今よりもっとラボをやってよかったと思う日がくると思います。」
亮平「僕は小6で入会したから、こうやって小さい時からラボをやっている子を見るととてもうらやましいです。
ラボは高校生になるとパーティヘッドをやったり、シニアをやったり、
中高生ひろばでの役割りもあったりしてもっとおもしろくなるからなるから
みんなも高校生になるまで是非続けてください。」
優「私は小さいときは本当に先生に迷惑ばかりかけていました。
でも、今はこんなに(りっぱに)なりました。
まだラボは続けるけど、パーティヘッドの立場は退いて
おばちゃん的存在になります。
困ったときはいつでも相談して下さい。」
そしてもうひとり、大学を卒業して今年の春から社会人のおさむ。
高3の春に次いで2回目の修了式。
職場の研修で参加できなかったけど、
特に大学に入ってからの4年間、小さいこの世話をしてくれて助かりました。
修了生全員とここまでラボを続けさせてくださったご両親に
本当に感謝の気持ちを込めて修了証書と記念品を贈ります。
|
|
|
昨日の「ラボ林パーティ春のこどもひろば」では各グループのテーマ活動の発表
(ナーサリー、ありときりぎりす、ブレーメンの音楽隊、平知盛、)
の後、林Pラボっ子修了式をしました。
今年の修了生は新高3のみのる、りょうへい、ゆう、そして新社会人のおさむ。
りょうへいのお母さんがとてもおもしろい昔話をしてくれました。
「むかしあるところにトゲトゲ坊やがいました。
お母さんはトゲをどうにかしたいのですがどうにもなりません。
ここに入れたらいいよと人に聞いてトゲトゲ坊やをあるところに入れました。
それはトゲトゲ坊やにとっては心地よい温泉のようなものだったらしく、
もういいだろうと言ってもなかなか出ようとしません。
そしていよいよ出る時がきて、見てみると、トゲはだいぶ柔らかくなっていました。
その温泉はきっといつも居心地がよかった訳ではないでしょう。
熱すぎたり、ぬるすぎたり、後の人のためにお湯を温めたり、のぼせている時には水をかけられたりもしたでしょう。
トゲトゲ坊やは、大学に入ったらまた戻って来たいと言っていますのでその時はよろしく。」
みのるのお母さんは私より先にラボママだった人で、私の生き方や子育ての師でもある人です。
いろいろアドバイスしてくださった、みのるのお母さんの最後のことば
「4人の子がラボのお世話になり、いよいよ最後の子の修了になりました。
小学校の時はよく寝過ごして電車を乗り越し、
行きは鳥栖まで行ったり、
帰りは枝光まで行ったり、
今夜中に帰れないのではと思ったこともありました。
こどもが大きくなるまでにはいろいろありますが、
校区からずっと離れたところから来ているので
学校外に親の目にも触れないもう一つの場があったことがとてもよかったです。
林Pの方はほとんどの方がここの校区でしょうが、
お母さん方も地域の核となって頑張ってください。」
ゆうちゃんは一応ヘッドの座は新高2に譲りますが
まだ、ラボを続けます。
今回ゆうちゃんのお母さんは新学期の忙しさの中ご欠席でした。
またの機会にお話を伺います。
今日、ラボママのKさんと話をしていて、
「主人の会社に入社してきたTくんが先生のご主人を知っていたからびっくりしました。林パーティのOBだったんですってねえ!」という話がでました。
つまり林PのOBのつとむくんの上司が、現ラボっ子のパパという話です。
そのつとむくんって、昨日修了していったみのるくんのお兄ちゃんということ、Kさん知ってるかな?
修了していく高校生達のことばはまた、明日にでも載せます。
|
|
|
今日はラボママ主催のエアロビの日でした。
みんなよりワンテンポ遅れ気味ながら
1時間しっかり体を動かしたあとで
近くの公園にお弁当を買ってお花見にいきました。
まさに満開、後半は花吹雪の中でのお弁当でした。
デジカメを持っていっていなくて残念!!
ラボママも3人参加してのお花見。
ついでに初対面のエアロビの仲間にもラボのお話をちょっとしてきました。
|
|
|
天愛・聖一きょうだいと言えば、
10年以上ラボをやっている九州のラボテューターで知らない人はいないでしょう。
在籍中からとても生命力とインパクトのあるラボっ子でした。
多くのラボっ子が影響を受け、
私もこのきょうだいから学んだことがいっぱいあります。
弟の聖一はBule Note から、ハイヤットのコックを経て
現在韓国にて、韓国料理の修業中。
お姉さんの天愛ちゃんは、大学卒業後、○山レイクサイドホテルの立ち上げから4~5年勤務。
去年の秋から念願のニュージーランドに行っています。
現在農場でバイトをしながらニュージーランドの南島をトレッキングして回っているということで
先月からレポートを送ってくれています。
本人の許可を得て、天愛の「ニュージーランドの風」のページを創りましたので見てください。
|
|
|
福岡A地区中高生広場「ロミオとジュリエット」が始まりました。
各幕、春合宿で導入と役決めがあり、
4月いっぱいの土曜か日曜、3時間×4回の練習で、英語のみで仕上げます。
私は3幕担当。
今日はまずラボライブラリーをかけながら
役の人だけで動いてみました。
春合宿から1週間。
その間にキャラバンやパーティの発表会などがあったところもあるでしょうに
ほとんどの子が英日でセリフが入っていました。
まだまだ心の表現をするところまではいきませんが
かなりの気合を感じました。
新高2のリードで和気藹々と中学生も意見を言っている様子に
それぞれのこどもの成長を感じました。
パーティだより4月号のUP-DATEしています。
|
|
|
ようやく、気になっていた日記を書いています。
春合宿の焼き芋コーナーで張り切りすぎたのか風邪をぶり返し、
一晩寝れば回復するだろうと思ったのに
いつまでたってもよくならないのです。
キャラバンの送り出し、会議、パーティだより、チラシ作り、パーティと
ゆっくり寝る暇もないのも確かですが、
その合間合間に結構ぐうたらしているのになかなかよくならないのです。
顔にアトピーのような発心までできました。
隔週月曜日に義母の通院につきあっているのですが
そこの先生に「熱があるんじゃないですか?」と言われ
「いいえ」といいながら測ってみたら37度5分。
お薬を頂いてきました。
ラボテューターをしていると自分の年齢も忘れてしまうけど
やっぱり歳かな?と思うこのごろです。
睡眠だけはしっかりとらなければ・・・。
|
|
|
春合宿明けの28日早朝から休む間もなく、南九州へキャラバンにいっていた林Pの中高大生が今日夕方に帰ってきました。
みんな疲れて眠た~いといいながらも
「キャラバンめちゃ楽しかった。」と言っいました。
事故もなく帰れて本当によかった。
詳しい報告はもう眠いので明日にしますね。
|
|
|
福A春合宿。みんないい顔をしていました。
新高1はみんなとてもいい初シニアメイトをやっていました。
新高2も企画担当として、きもだめし、ウォークラリー、キャンプファイヤー、ロミオとジュリエットなど責任のあるそれぞれの役割をしっかり果たしていました。
新高3はいよいよこれが最後の合宿、ハプニングにもみんなで力を合わせて臨機応変に対応していました。
中学生もそれぞれ学年が1年上がり、ロミオとジュリエットのワークショップにも多くの子が積極的に前向きに参加していました。
小学生もそれぞれ新しい友達ができ、とてもいい顔をしていました。
最後に感想文を書くときも全員とても集中して鉛筆をさらさら動かしていました。
感動すると書きたいことが出てくるのでしょうね。
いろんな新しいチャンスを得て、春の草花のように、こども達がグ~ンと伸びるのを感じた春合宿でした。
夜須高原少年自然の家の方が「ラボさんは笑顔がとてもいいですね。その笑顔を日本中世界中に広げていってください。お世話をしていた高校生達の様子もそのままうちのボランティアにきてほしいくらいです。」といわれていました。
そのことば、とてもうれしかったです
|
|