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なんとなく
今年はいいこと あるがごとし
元旦のあさ 晴れて風なし
三が日、お天気に恵まれ、いいお正月だった。
毎年、今年はどういうお正月にしようか、と家族は考える。
みんなが実家に集まる年、われわれのほうが出かけていく年、家族旅行を計画した年、時間のある限り孫の要求に従ってゲームに興じた年、・・・・・孫の成長にしたがって、計画も変わってくる。
さて今年は、成人を迎える孫と受験生の孫、それぞれの計画で忙しい。
それぞれの家庭でのお正月となった。
腰の調子や足の疲れを考えると初詣といえども、行く時間や場所を考えてしまう。
車で近くまで行けるところ、あまり混雑しないところ、などと・・・・・
そこで思いついたのが、「七福神めぐり」
それぞれの地域で、適当な距離で福神様がまつられ、あちらこちらで「七福神めぐり」ができるようになっているようだ。
ぎふ七福神は、毘沙門天・龍雲寺。(岐阜市大芥見大船)
寿老人、福禄寿・大覚寺。(岐阜市長良西山)
恵比寿・智照院。(岐阜市岩田西)
大黒天・瑞巌寺。(各務原市那加)
弁財天・吉祥寺。(岐阜市太郎丸)
布袋尊・林陽寺。(岐阜市岩田西)
1月3日から10日が新春特別御開帳の期間となっているので、1日、2日はそれほど混雑はしないだろうと思って出かけた。
時間も早く人出の多くならないうちに、ナビを頼りに御朱印の色紙をもって目指すお寺にたどり着くというのはなかなか気持ちのいいものであった。
満願となった色紙を飾って、気持ちよいお正月となった。
どうぞ我が家に、そして皆様にたくさんの「福」が舞い込みますように!
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布で作ったポインセチア
最近では日常に和服を着ることはほとんどない。でも、私ぐらいの年のものは、着ることのない着物を何枚もタンスに持っているものだ。
ときどき、「もったいないわねぇ。何かにならないかしら。」とか、
「リサイクルにもっていっても二束三文だしね。」
という会話をしている。
私は、自分の着物だけではなく、母親、姉、姑、の着物なども引き継いだので、十分な量の着物を持っていた。
たまたま私は物を作ることが好きなので、着物を今着られる服にリフォームした。それぞれに思い出や愛着のある着物を身に着けること、また、絹物や綿など、昔の天然素材の肌触りはとても気持ちのいいもので、今までに数えきれないほどの服を作ってきた。
一枚の着物から、主なものを作ると、当然端切れが残る。それらで、細工物、バッグ、飾り物などを作る。
布を整理したり、端切れを眺めていて、「あっ、あれをつくろ!」とひらめく時が一番楽しい。
私のリフォーム服やお細工物を見て、作り方を教えてほしい、とか、型紙が欲しいとか言われても、それだけでは、なかなかできない。
誰でもできるようにするには、キットにすることなのだ。
私の持っている布を利用して「ポインセチアを作ろうか」と。
赤い絹は、昔の長じゅばんや、着物裏などで、たくさんある。
直ぐに作れるようにすれば、近所の人たちとも楽しめる。
クリスマス前、今、花屋さんには赤々とポインセチアが並んでいる。
それくらい作りたい。
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家の南側の一軒分の土地を、お庭も作らず、適当な植木を植え、柿やいちじく、柑橘類の木も植え、菜園や花壇で、好きなように土を楽しんでいる。
だから結構外仕事が忙しい。
11月は、玉ねぎ、にんにくの苗を植え、そらまめ、こかぶ、はつかだいこん、きくな、の種をまいた。
鍬で耕す。・・・耕すといえるのだろうか。とにかく土をできるだけ柔らかくしなければならないと、よっこらしょ!どっこらしょ!と鍬を土の中に入れるのだが、一メートルもやると2,3分休む。
苗も種もこのうちの住み心地はこんなものかと思って、ちゃんと育ってくれるのだ。
ありがたい。
花も四季を通じて何か咲いているようにしたいと思って、植えている。お仏壇のお花のため、切り花が好みだ。
夏の花々、コスモスも終わって、今は菊が咲き乱れている。
小さい鉢植えで買ってきた花も、地に植えてやると、どんどん育ち、立派に仲間入りして咲き誇っている。
いまだに勢いのある千日紅は、刈り取って、種を取り、きれいなものはドライフラワーにする。一年くらい色を保ち楽しませてくれる。
今日はチューリップとアネモネの球根を植えた。来年の春を楽しみに!
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カフェのライブで、フラを踊り始めて10年になる。先週の土曜日も、
仲間やお客さんと楽しいひと時を過ごすことができた。
こんなに楽しく続けられたのも、10年前に、その出会いがあったからだ。
ずっとお付き合いをしているラボっ子のお母さんの一人が、ある日、
「私、緑内障と言われたの。何か、楽器をやりたいのだけど、二胡でもやろうかしら。」という。
二人で二胡の演奏会も聞きに行ったが、私は二胡には付き合えないといった。
しばらくして、私はウクレレとフラをやり始めたグループと出会う。
その会場がまたまたラボっ子の喫茶店というから、私にとっては楽しくて気の休まるところだ。
私はすぐに二胡をやりたいと言っていた彼女を誘った。そして二人でウクレレを買いに行って、フラを始めた。
公民館の講座や大人数のフラ教室ではなくこじんまりとした、グループ活動で、ある目的を持ったグループであるのが、私には適していた。
このグループのリーダーであるフラの先生は、シンギングセラピストとしても活躍しているので、病院や施設、または町のイヴェントなどからオファーがかかる。
施設のボランティア活動に参加するのも意義がある。
週一回のレッスンも、先生の「なまうた」でやれるのも気持ちがいい。
弾き語りのできる先生だから、リズムに厳しく、歌詞の意味、その意味を理解した表現を求められる。ハワイ語の勉強もしたくなる。
そして、余談だが、彼女には医者から見放されたくらいの障害のある娘さんがいて、その子を自分が体の勉強をして、立派に育て上げのだ。しかもメロディーやリズムには反応が素晴らしく、フラが踊れて、お母さんのライブを助けている。
だから、体のことがよくわかっているので、手足の動かし方、体重移動、重心、力の入れ方、抜き方、または、われわれシニアの体の疲れなど、よくわかっていて、そのアドバイスもありがたいものとなっている。
10年という時間はいかに保とうと思っても、体力の衰えは何ともならない。
歩く姿は自分ながら年を感じるけれど、フラは踊れるのが不思議だ。
私の年を知るグループの連中は、「あの年まで」は踊れる。と言って、一つの目標にしているらしい。それもありがたく感じて、楽しく踊り続けよう!
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今年もヘチマ水を作った。
私がヘチマ水を初めて作ったのは、もう40年ほど前のことになる。近所のお年寄りから教えてもらって作った。そのメモをずーと大切にしていたのだが、途中で失くしてしまった。でもその頃には、パソコンなどで検索するという時代になっていて、その情報を参考にして作っている。
春、ヘチマの種をまき、夏、ずんずん伸びて、黄色い花を咲かせ、8月の終わりになると、長いヘチマがぶらぶらしている。・・・・・これだけを楽しんで・・・・・
「9月お月見の晩に、根元から一メートルくらいのところで茎を切り、一升瓶に差し込む。」
これはお年寄りが昔から言っていること。
私はこの通りにして、茎の周りにカット綿をまき〔アリなどが入らないように〕一升瓶の口に差し込んだ。その上からビニール袋をかぶせ、雨にもいいようにして二晩おいた。
6,7本のヘチマから大体2リットルのヘチマの水が取れた。
エタノールやグリセリンを混ぜ、ろ過してヘチマ水にする。
化粧水とは、小さい瓶に入っているのがあたりまえ。
2リットルの化粧水と言ったら、いかに気楽に使えることか。
私はたっぷりと使って化粧水パックをすることにしている。
年の割には小じわが少ないように思うし、肌がしっとりしているのは、心も潤う。
肌には、合う、合わない、があるから、欲しいという友達には差し上げた。
今、バケツにはヘチマが水につかっている。
そのうち、繊維だけが残って、ヘチマのたわしができるはず。
「私、このたわし、ほしい!」
と言って楽しみにしている友達がいる。・・・・・まだまだ先の話・・・・・。
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ポケモンGOが始まった日、すべてのテレビ局がポケモンをGetする様子を報じた。
ポケモンといえども私はピカチュウくらいしか知らないし…へぇ…という感じで見ていた。
2,3日して、美容院へ行った。そこで話題となりダウンロードしてもらった。
何といっても私はこのダウンロードとかが苦手で、パスワードとかログインなどと言われるともうキャンセルしてしまう。
押せば出てくる道具として使えるようにしてもらわないと出来ないのだ。
帰り道、なんだかルンルン気分になったのが不思議だ。
その足でコンビニへ行った。
ポケモンを開くとそこは戦いの場。
「キミはまだ初心者だね。もっとレベルアップしてからきて戦おう。」と出た。 ドヒャ~!
大竹しのぶさんが言っていた。
「ポケモンはどうですか」
「どんなものかと思ってやってみました。」
「どうでしたか」
「楽しいですよ」
全くその通りだ。
その夜、「ポケモンGOダウンロードしたよ」と孫にメールした。
孫は受験生。
「うちの家族はね、私たちはやらないけど、80代のおばあちゃんだけがポケモンGOやってるの」と友達に話したら「面白い家族ね」と言われたらしい。
そして夏休み。
息子、娘、孫、それぞれにおばあちゃんのポケモンはどうなっているだろうと、興味津々。
そのころレベル5。
高山へいった。
上三之町を歩くと、出るわ、出るわ。
「あっ!出た出た!・・・やった!Getした。」
それぞれみんな初体験。
買い物にも忙しい彼ら。
私は土産物屋のベンチでポケモンGetを楽しんだ。
おとなしくすぐにGetできるものと、野生のポケモンはボールが容易にあたらない。ボールをいくつも使ってしまう。
食事に入っても、喫茶店に入っても、楽しみ続けていたら…突然、「ボールがありません」とでた。・・・・・へぇ~こんなことが起きるんだ!・・・・・どうしよう・・・・・
しばらく困り果てていたが・・・・・
孫が調べてくれた。
ポケモンスポットへ行って、ボールなどをGetしてくるのだ。
「おばあちゃん、この先の郵便局、・・・・ここを曲って公民館、・・・・あそこの秋葉神社・・・・」私の家の近くのポケモンスポットを探して教えてくれた。
みんな帰って行った。
8月末、美容院へ行った。
「ポケモンどうですか。何かわからないことありますか。」
わからないことばかりだ。
「進化させる」とか、「博士に送ってあめをもらう」とか、「お香」のつかいかたとか、たまごを「ふかそうち」にいれるとか、教えてもらう。・・・・・あまりよくわからない。
日常、ポケモンスポットの前を通ると、ちょっと止まって、開けてみる。ポケモンいない。でもボールをGet。
しずかな夜更け。ちょっとご機嫌伺いのようにあけてみる。
ブー!・・・鈍い音がして画面に小さいものが踊る。
あら、出たの?
私を慰めるように、私の家でも時々現れてくれるのだ。
必死にはならない。いい加減の楽しみだ。
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お盆には、私は「ほおずき」をいれた仏花をお墓とお仏壇に供えることを習慣にしている。
その「ほおずき」が真っ赤になって、ころがっていた。
明治生まれの私の祖母が、庭にホオズキの木を植えてそだてていた。
青いホオズキや赤いホオズキをとってきて、ホオズキの袋を開き、中のまん丸い実を出して、それを頭に見立て、袋を四つに分けて、手と足にして、千代紙で着物を着せて、ホオズキ人形を沢山作ってくれた。
少し大きくなったころは、口で音を鳴らすホオズキを作ったことを思い出す。
それが、とても大変だった。
実を時間をかけてゆっくりと揉んで柔らかくする。
そのうちに、汁が出て、少しづつ種も出てくる。根気よく中の種と、芯のようなものまで、小さな口から取り出すことができたら完成、成功だ。
容易にはできない。いつも焦って、口が破れてしまう。
暑い日。冷房の部屋にいるしかない。
つれづれに…ホオズキを作ってみよう。
30分ぐらいで、汁が出始めた。
ハワイアンを聞きながら、一時間半。・・・・・成功とはいえない。
舌先にのせて、鳴らせてみる。かろうじて、ぽッ、ポッ、ポッと音を出した
が、・・・・
こんな、昔の遊びがあったんだ。
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私の家の東側はまだ畑地が残っている。ほとんどが農地だったところに、家が建ち始め、私の家が建った頃は、50軒ほどだった町内会は今は120軒にもなっている。
ところどころに残る畑は、昔からの農家の方が土地を持ち続けて、作物を作っておられるのだが、「もう、こんなところで農業をやっていても税金のほうが高いよ。引き合わないよ」と言われる。
東の畑も、東、南、西と家に囲まれては、日照時間も短くなってしまった。
それでも、90歳を超えた「となりのおばちゃん」(昔からうちではこう呼んでいるから)は、「畑仕事が、好きだから」と、90度にまがった腰に、昔の籐の乳母車を押して、500メートルほど離れた家から元気にやってきて、上手に野菜を作っている。
20年くらい前からは、耳が遠くなり、最近では挨拶しても反応がなく、用があるときは、そばまで行って、肩をたたいて話しかけるようにしている。
そんな「おばちゃん」とは、暗黙の了解事があるというか、面白い、ありがたいお付き合いがある。
作ったお野菜は、農協へ持っていかれるのだが、なかなか野菜つくりも今はむつかしいようで、形、大きさなども大切で、「おばちゃん」の作業では、「くず」と言われるものも少なくないようだ。けれども、食べる側にしては味はかわらない。
「おばちゃん」はよく野菜をくれるが、だまって、知らぬ間に置いてあるのだ。
その場所は、決まっていて、畑からブロックを越えて私のうちに入り、普通は、私が居間からすぐ見えるところに置いていく。
ところが、少し控えめに、私が庭に出ないとわからないところにも、時々置いてある。
私には「おばちゃん」の心の声がきこえてくる。
「どうぞ、たべてくださいね」
「よかったら、たべてね」
さらに、形が悪かったり、傷があったりするものが
ブロックの上に置いてあることがある。
「いいところだけ食べてね」、
今年の夏はとっても面白いことになっていた。
畑にはかぼちゃが植えられた。
蔓が伸びることを予定して、2メートルくらい間をとって植えられたのだが、蔓は、元気にのびる、のびる。
うちの庭木の下にものびてきた。
私は「別に気にしなくていいよ」と、「おばちゃん」にいっていた。
8月はじめ、「おばちゃん」は、暑いし、疲れたのか、しばらく畑に来なかった。
そのうちに、うちの庭に伸びた蔓に大きなかぼちゃがごろごろついていた。
私は、落語を思い出した。
「うちの庭にできたから、うちのもの。」「いや、根っこは隣の畑だから」
いえいえ、そんな心配は少しもありません!
「おばちゃん」はたくさん、かぼちゃをくれました。
例のごとく。
いいかぼちゃは、居間のそば。
二級品は離れた位置。
傷物はブロックのわきに。
「おばちゃん」!そんなにたべられないよ!
「おばちゃん」にお礼を言うと「くずばっかりだから」と恐縮する。
いえいえ、私はとってもうれしいのです。
私は、いただくたびには、お礼を言わない。お礼もいいようだと思う。
普段は、もらいっぱなし。
ときに、余分なもの、いただきもの、お土産などのおいしいものがあった時、
「おばちゃん」の肩をたたいて、
「いつもありがとう。!」
ほうずき・ちりめん細工
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草が伸びすぎて仕方がない今日この頃、それでも庭には楽しみがいっぱいある。
柿はきれいな黄緑色のかわいい形。キウイもかわいくぶら下がり、いちじくは数え切れないほどの実をつけている。
でもこんなところには、いやなものもいっぱいいる。
春、温かくなったと思えば、蜂が飛び回る。蜂の飛ぶ後を追って蜂の巣をみつけ、小さいうちに処理したほうがいい。
邪魔な石をのけて整地しようと思えば、アリの巣が! アリがもじゃもじゃと動き回る。
オクラを植えたと思えば、夜盗虫だろうか、根をきってしまう。
梅雨時、植木鉢の周りやコンクリートの上には、ピカピカと光る、粘る跡がある。
イチジクの木の幹にオレンジ色の泡のようなものが噴き出てきた。
カミキリムシの幼虫が入ったのだ。さっそくカミキリムシ専用の殺虫剤を幹の穴に注入する。
天気が良くなれば、クモの巣が目立つ。最近、クモの巣退治の殺虫剤も見つけた。
できるだけ彼らとも共存したいのだが、やむを得ぬ部分は科学的なものに頼って、楽に処理させてもらう。
∖殺虫剤やら、除草剤やらと、勝手にまいて、よく働いた!疲れたなぁ・・・と
家の中にもどったら・・・・
私が作った、細工物のかたつむりが、にんまりと私を見つめた。
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腰痛 |
07月06日 (水) |
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日曜日。蒸し暑い日だった。
フラの仲間とボランティアで、障がい者の施設へ行って汗を流して踊ってきた。
月曜日、木目込み仲間と人形を作る。
火曜日、除草剤をまいた。
暑くて仕方がないので冷房をかける。
こんな日日が体に良くないのか。昨夜から腰が痛い。
疲れだから、ゆっくりすれば治るだろうと思いたいのだが、・・・・・
朝になったら、動くのもつらいくらい。
ぎっくり腰をやった人から譲り受けたコルセットのあるのを思い出し、それをつけて用事をする始末だった。
2,3年まえに、やはり疲れがたまった時、腰が痛くなり接骨院へいった。
その時言われた歩き方を正そうと、「股関節、かかと、つまさき」と意識して、自分なりに体の使い方を意識して歩くようにしていたら、ずいぶん調子がよくなっていた。
今日は、曇り空。
太陽が照り付ける日よりは、庭仕事にいい。
花の終わったアジサイを切り込まねばならないし、花壇の草も抜きたいし・・・
窓から庭を眺めながら・・・腰の鈍痛・・・痛みが出たらやはり医者へ行こう。
電気をかけたら、やはりずいぶん楽になった。
腰の痛みも、首から肩、背中全体のバランスを考えなければいけない。
何とかが、右へ偏っていますね。と言われ、そのバランスを整える治療を施した。
痛みはつらい。明日とは言えないだろうが、2,3日で直そう。
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