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今年の夏はひどい暑さだった。一年ほど前から何だか歩くのがしんどくなっていて、腰が悪いのか、足の筋力が落ちたのか、年のせいなのかと、思いつつ、家事と介護をこなしていた。
夏、「暑いですね。食欲がないわ。」というと、みんな「そうね。私もよ。こんな暑さだもの」などというので、こんなものかと思いながらも、私は、人間ドックを受けることにした。
そうしたら・・・・・ひどい貧血。
しんどいのは、貧血が原因だった。そして貧血の原因を調べた結果、大腸の手術ということになった。
その手術は順調にいき、退院となったころ、合併症をおこし腸閉塞になった。そのため入院が長引き、20日あまり病室の窓を眺める日々が続いた。
リハビリを兼ねて病院内を歩き回り、東西南北の景色を眺めるのが唯一の楽しみと仕事という毎日。
東に木曽川橋、南に木曽川堤、北に金華山、そして私の病室の窓の西には伊吹山。
100号ぐらいの窓キャンバス。このキャンバスの変化が結構楽しめるものだった。
こんなに変化する空、雲の描くさまざまの絵、刻々と変わる二度とない雲の色と姿。こんなに長い時間、空を眺めたことはなかった。
朝6時。朝日を浴びて山々の頂、あちらこちらのビルの窓が光りだす。
時にはトンビがキャンバスの真ん中に輪を描いてくれる。
青い空に描く雲の絵は一日中同じ絵はない。
夕方4時。まだ日は高いがやがて沈むその日の夕日の姿を見るため私は窓際に座って、養老山脈の頂を眺めて、その瞬間を待つ。
晴れた日も、雲の多い日もそれなりに美しい変化を見せてくれる。
日が沈んで黄昏時、ベッドに戻って窓キャンバスを眺めていると、ねぐらへ帰る鳥の黒い姿がキャンバスを横切る。
よくぞ、この100号の中に入ってくれるものぞ、とうれしく思う。
満月のころ、東の窓へ月を覗きに行こうかと思っていたが、明け方5時。カーテンを開けたら窓の中央に月が回ってきていた。
それから、2,3日後、朝6時、晴れた青い空に白い月が張り付いていた。そして9時、10時と月はその姿を見せつつ静かにキャンバスを下に降りて行った。
当たり前に思っている宇宙の営み、改めて考えると神秘的ともいえる。この中に生かされているちっぽけな一つの命が元気になって飛び出してきた。自分の体を守ることは自分自身にしかできない。と、一日一日を大切に過していこうと喜びを味わっている今日この頃である。
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私と同姓同名で、朝日歌壇によく入選される方がいた。
そしてその方は4キロくらい離れたところの住まいだった。
ラボテューター時代、私を知る全国の友達から、よく「おめでとう」と電話がかかったりした。私と同じ名前で歌壇に載ったからだ。
そのたびに「いやいや、同姓同名なのよ」と言い訳をしていた。
また、私が絵の個展をしたときには、その方の同窓生らしき方たちが、どやどやっと入ってきて、「え!?。あの人こんな絵も描いたの?」と言う。
「あの~、同姓同名で・・・・・」と言い訳をしたようなこともあった。
とにかく、よく間違えられた。
その方を知る人と、私の友達がたまたま知り合いで、こんな話も合った。
「O O O 子さん、知ってる?」
「知ってるよ。絵を描かれる人でしょ。」(私は油絵、その方は水墨画)
「そうそう」
「元先生やってた人だよね。」
「そうそう」(その方は小学校の先生。ラボテューターも一応先生と呼ばれる身)
「細かいものを作るのが好きよね」
「そうねえ」
と、違う二人を盾に話が合ってしまうのだ。
そんなこんなで、お互いが会って、知り合っておきたいと、お会いしたことがあった。
私よりは少しお年は上だな、と思っていたが・・・・・・
朝日歌壇にはもうしばらく名前を見なくなった。
もう、おとしかなぁ・・・と思っていたが。
つい先日新聞のお悔やみ欄に、お名前が載ってしまった。
どきっ!とした。96歳。
一人の先輩を亡くした感じ。
誰にも何も言わないけれど、ひとり、ご冥福をお祈りした。
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毎日、まいにち、日本中が災害地の土砂に埋もれたニュースと、命に係わる暑さ、熱中症から身を守るようにと、叫んでいる。
本当に危険を感じる暑さが続く。
2,3週間前までは、庭中に一生懸命水を撒いていたが、ホースのゴムも暑さでいたみ、撒いてもまいても追いつかない感じ。
となりの畑もかぼちゃも茶色、里芋の葉っぱも黄色く枯れてきた。
うちの菜園も草だらけ。
オクラだけが一生懸命実をつけてくれる。
ささげはかれ始めたので取ってしまった。
もう少し頑張らせようと思っていた枝豆も、葉っぱが黄色くなり始めたので、昨日とってしまった。
少し実が小さめだが、おいしく食べられた。
冷房をつけっぱなしにしていても、朝から体がだるい。
こんな時は頑張っても仕方がないかと、ぼんやりしている時間がおおい。
ただ、冷房の効いているフィットネスクラブに行って、30分体を動かしてくるだけ。
あとは、無理せぬようにと。 もう少し落ち着いた季候になるのを待つばかりだ。
本当に事故のないように、お互い声を掛け合ってこの暑さを乗り切らねば!
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夏至前後のこのごろは、私は夕方の1時間ほどを庭の草取りに充てている。
暑い日中より仕事がしやすい。
草取りは私にとって、さほどつらい仕事ではなく意外とのんびりできてむしろ楽しんでいるかもしれない。草の名前には詳しくないが、毎年庭の状態、草の顔が違う。
私の知っている草の名前でいえば、カヤツリグサが多い年、猫じゃらし(エノコログサ)が多い年、今年はカラスノエンドウが非常に多くその間にマーガレットが咲き乱れる状態だった。
また今年はなぜか蕗の勢いがよすぎる。蕗が終わって、ミョウガが出てくる場所があるのだが、今年は蕗の勢いがよく、春に取って食べた後、また伸びて、いまだにおおきな葉っぱがある。と思ったら、なんと、ミョウガは仕方なく少し南に場所を移して青々と伸びていた。
ささやかな生態系を感じたりして楽しんでいる。
こんな私に友達からプレゼントが来た。
その友達とは、二人ともメールでもラインでもできるのに、あえて文通をしている。
詩的センスのある彼女の手紙はいつも豊かな日常が伝わり、その言葉文脈は、私を心地よくし、よろこばせてくれる。
今回彼女の近況とともに送られてきたのは、熊谷守一。
いや、熊谷守一をモデルにした映画「モリのいる場所」の小説版(朝日文庫)が届いた。
熊谷守一は岐阜出身で前から親しみを持っていた画家でもあり、うれしく手に取り、気軽に読み始めた。
とまらない! 一気に読んだ。
彼のすべて、という緑濃い庭、そして生き物たち、年老いて夫婦で静かに暮らす日常にもどうにもならない時代の波は押し寄せる。そんな夏のある日を舞台に、そこに訪れた人々がそれぞれの立場から、彼の生活、日常、信念を浮かび上がらせていく。
心地よく余韻がずーと後を引く本だった。
草もアリもミミズも共に生きられる土があって幸せ。
さて、また、帽子に軍手、蚊取り線香も持って庭の整備といくか!
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初夏、草木は元気。
庭は、チューリップやフリージアが終わり、さつきやマーガレットの白に矢車草の青やピンクがきれいだった、・・・それも終わり、花殻をとって整備がいそがれる。
家の南の庭(空き地)は、設計して造られた庭ではなく、舅や姑が、土仕事ができるのは元気の源と、喜んで働いた、その名残なだ。
ある部分は菜園にし、ある部分は花壇にし、あいているところに好きなように木々を植えていった。
30年も前のその頃の木々は苗木で植えるので、ずいぶん間隔をとったつもりでも、大きくなったいまは結構混みあっている。
私は、伸びたい木々の枝を、常に切り整え、大きくなりすぎないように手入れするのが大変な仕事なのだ。
そんな中で伸びるに任せて大きく元気なのがこのソテツ。
南の地方に育つ木なので、小さい頃は毎年冬には上部の葉をコモで包み世話をしてきた。
我々のほうが年を取りそんな世話もできなくなり、放っておくようになった。けれども、大きく強くなった木は、寒い冬も平気、元気に葉を広げる。
年に一二度家を訪れる人は、、「このソテツが目印です」という人もいる。
まあ、この木だけは小さく切るわけのもいかず、車を駐車する入り口でさほど邪魔でもないし、大きく元気に葉を広げて、我が家の庭のシンボルでいてもらおう。
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新年の飾り物を取り外し、ひなまつり。
おひな様を片付けて、今度は五月飾り。
日本には季節もあるし、ツバキ、菜の花、あじさいなどと、部屋のあちこちの飾りや置物を考えていると、気分は変わっていいものだ。
けれど、日常の中では結構忙しい。
私の作った細工物などを箱に入れて、箱にはメモを張り付けている。
そんな箱がたくさんあるので、季節ごとに置き換えたりして整理している。
そんな箱の一つが気になって、これは何だったかと開けてみた。
20年以上前からこの箱に入ったままだったと思う。
そのころ友達がこの松かさや、ハスの実の傘を集めてきて、いろいろ工作していた。
私もいつか何かにしようと、箱に入れてとっておいたが、やっと、その気になった私に見つけてもらったというわけだ。
金や銀のラッカーなどを振りつけてオーナメントにするのもいいが、今回は布に綿を入れて小さい球を作り、徒然なるまま、詰めていった。こんな時間も、結構楽しい。
こんなものも、捨てないで、日常の癒しの一つになっていると思うと、一人密かに満足感を得ている。
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「誕生日、おめでとう!」
80代の年女の誕生日である。
前日には千葉の息子家族から「誕生日おめでとう」と、お菓子が届いた。
「本当はね、そちらに行って、一緒にお祝いしたいんだけれどね。」 「いやいや、それはいいよ、遠いもの」という会話をしていた。
日曜日の朝、ぼんやりしていると、電話がなる。
娘から。「誕生日おめでとう。今日はどんな予定ですか」という。
「別に、何もないよ。ゆっくりしてますよ。」というと、急に「あっ、ごめんごめん。ちょっと後で電話するから」と言って電話を切った。
私は当然、娘は東京の自分のうちから電話をしていて、何か都合が悪くて電話を切ったものと思っていた。
しばらくしてベルが鳴る。当然さっきの電話の続きだと思い「は~い」と出ると、声が違って、高校生の孫息子である。
「おれ、おれ。」「おれおれはだめだよ。オレオレ詐欺じゃないか。・・・・・・」
「おばあちゃん、誕生日おめでとう!」「ありがとう。」としゃべっていると、・・・
びっくり!
窓に娘が花束を持って現れた。
「何!これ!・・・すっごいサプライズじゃない!」
電話の向こうでも大笑いしているのがわかる。タイミングよくいったね、という感じで
おめでとう、おめでとう、ありがとう、ありがとうの連発。
娘は近くに来てから私の在宅の確認をしたのだった。実は今年は「おばあちゃんの誕生日が日曜日に当たる」というので、みんなで考えていたのだという。
おかげで、素敵な誕生日になった。
さらに、こんな時だからと、元ラボっ子の経営するレストランに行き昼食、またカフェに行ってお茶をする。
それぞれのところで、「先生、いくつになった!」とからかわれながらサービスをうけ祝杯をあげた。 おかげさまのいい誕生日だった。
年を重ね、一年、一年を大切に有意義に生きていきたいと思う。
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今年の寒さは厳しい。これだけ寒いと庭の土もこつこつ。もっぱら部屋の中で過ごすこととなる。
パッチワーク、木目込み、刺繍、ぬいぐるみ動物作り、漢字パズル、私の楽しみはいっぱいあるが・・・・・
「断捨離」
2010年ごろからの流行語だという。確かに不要なものをため込まないで、不必要な執着心を捨て整理することは大切だと思う。
両親を看取った後の整理も大変だった。
今、その年になって、本当に必要ないものが多いことに驚く。常に整理、整理と心がけ、消耗品以外のものは増やさないように、利用できるものは利用し、他人にさし上げたら役に立つものはもらってもらい、できるだけそのまま捨てるということを避けたいと思っている。
今年になってからやってること。
この羽織。50年くらい前編み物機がはやったころ編んだもの。
これをほどいて、かせに取り、湯通しして伸ばし、それをまた玉にまく。
そして私は靴下を編む。
去年のクリスマス時期。
「私、古い毛糸は靴下にするの」といったら、
60代の人は「あぁ。中学2年の時、家庭科であんだ!」といった。
50代の人は「4本棒、かぎ針、どっちで編むんですか」
20代の人は「へぇ、靴下って、つくれるの?」といった。
こんな会話があったので、2週間後、このグループにあった時、それぞれみんなに靴下を編んでプレゼントした。
それぞれに気に入った靴下を手に取って、わいわい、がやがや・・・・・
こんなに喜んでくれるなら、迷うことなく古毛糸は靴下にしよう、と思った。
とにかく捨てることより、物を整理して役立て、使えるもの、人がもらってくれるもの、にしたいと思っている。
捨てるということを避けたいと思っている。
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正月三が日はお天気に恵まれ、初詣もできて、気持ちのいい新年を迎えることができた。
世の中は、目まぐるしく進歩するというか、変化するというか、新しいものを取り入れていくのに、私は楽しさと大変さを感じる毎日だ。
どうぞ今年も良い年でありますように。
謹賀新年
戌年!
かわいい犬たち、総動員で、「福」を呼び込んでもらいたい。
みんな手作り。
はぎれで、キッドにして、近所の仲間とスヌーピーや、犬張子づくりなど楽しみたい。
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新年の準備もできた!
立派な戌になったよ
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