|
涼しくなって自然と体が庭に出る。
極暑の続く間は、草を取る労力よりも、草の伸びる力の方が強くて、何とも仕方がなかった。
やっと、草を取ればしっとりとした土の感触を味わうことができるようになり、花を植えようかと園芸店に足を運ぶようになった。
こんな折、テレビを見ていたら、(確か、ポツンと一軒家という番組だったと思うが)相当のお年の女性が、山林を買い小屋を建て、ヤマユリなどが咲く自然を大切にしながら、たくさんの花が咲く場所にしたいと、毎日手を入れていた。
そしてさらにその人が、取材班に向かって「わたし、ターシャ・チューダーさんに憧れていましてね。」という。もちろん、若い取材班はターシャを知らなかったので、女性は一冊の絵本を持ち出して、「アメリカの絵本作家でね、・・・・」と説明を始めた。
私は偉い人がいるもんだ、と思い、私も好きだったターシャのことを思い出し、彼女の絵本や、「ターシャ・チューダーの世界。ニューイングランドの四季」を懐かしく読み直した。
確かに彼女の真似は出来ないけれど、彼女の生き方からは、元気をもらう。私も、雑草と戦うのではなく、草にも愛情を注ぎながら、この庭を花でいっぱいにしようと思った。
ターシャは、「球根が1000個あります」と言っている。うらやましい!
…どこかから・・球根よ・・・ふってこーい!
チューリップ、クロッカス、などの球根を買ってきた。
来年、春のお楽しみ。
|
|
|
残暑の厳しい今日この頃、私は毎日雲が出てひざしのない時間や、日陰を選んで、少しずつ木の枝の始末をしている。
庭の木々は元気に伸びる。今後私が少しでも楽に手入れできるように、大きく伸びた木を私の背丈くらいに切ることにした。
お盆に息子が帰省した時、チェインソウで切ってもらった。
ウィ~ン!とチェインソウの音は響くので近所のことも気にして、夕方の一時間くらいを選んで、仕事をした。
これでこの後の私の手入れは少しは楽になるだろう。
さて、切った木の始末が大変。今は燃やすことはできないし、大きなボクは粗大ごみ、細い枝や葉っぱは小さく切って袋に入れて普通ごみ。この始末を毎日少しずつやっているのだ。
涼しくなったころ、きれいな秋の庭にしようと期待して!
近所にチェインソウの音がひびいて、悪くなかったこと。
「おたく、チェインソウあるのね。ちょっとお借りしたいわ。」
「どうぞ、どうぞ」ということ。
|
|
|
どーんと曇った空、じめじめ、べたべた蒸し暑い。
雨が降れば、どこかで豪雨、災害。
昔は梅雨といえば、田植えを連想し、やがて雷が鳴ったら梅雨明けだ、といったものだが、このごろの梅雨は、大暴れをする。困った地球になったものだ。
年を重ねると、人一倍体の調子に気を配らないと日常がまともに過ごせない。適当な運動、
バランスのとれた食事も大切だ。
幸い、今はテレビ(若い人はインターネットというであろうが)でどんどん栄養素なども教えてくれて、いろいろ知恵をつけてくれる。
病気をしてから、わたしは、腸にいいという「ドクダミ茶」 癌にいいという「びわ茶」
を飲んでいる。
庭にびわの木があるので、枝を切り、葉を洗って陰干しする。
今は、ドクダミ。 草取りをしながら、どくだみだけは丁寧に別にして洗って干す。
いま、家のあちらこちらにドクダミの束がぶら下がっている。
これらを、乾いたら手でもみ細かくして、ティパックにいれ保存する。
近くの友達も、市販しているのを飲んでいるというから、私の手製もいちど試してもらおうと思っている。
においもあまり気にならず飲んでいる。
梅雨が明けたら、またびっくりするような暑さがやってくるだろう。
梅雨曇りのいま、できるだけ庭の整備をしておこう...
|
|
|
今日は巾着屋さん。
このきんちゃく袋を見ると、たいていの人は「へぇ~。これ、どうしてできてるの」と
言って、裏返したり、指を突っ込んだりして、考える。
パッチワークの技法では「カテドラル」と言って、知ってる人は知っているのだが、ちょっと手の込んだ袋物なので、人に差し上げて価値があり、喜ばれる。
20㎝くらいの布を折り紙の「やっこさん」を折るように二回おって、それを一つのパーツとして8枚作り、ぬいあわせる。それから別布をはめ込んでまつりつけるのである。
私はときどき、帽子屋さん、靴下屋さん、小物屋さんなどと、手元にある布や毛糸を始末するのも目的で、たくさん作る。
一つを見せられるのではなく、たくさんの中から好きなものを選べるというのは、いちだんと楽しそうだ。しかも、グループにもっていくと、みんな遠慮なくもらってくれて、,すごく盛り上がる。
さて、つぎは何屋さんになろうかな?
また思いついたものができたら!
|
|
|
部屋の中にあるものは、私が動かさない限り、何日でもそのままそこにある。
庭は違う。
毎日変化する。
草は伸びる。枝も伸びる。木は茂る。
つぼみは開く。きれいに咲いて喜ばせてくれた花はやがてしぼむ。
変化を見るのは楽しみでもあるが忙しい。
最近は季候、気温が不順なので、人間も大変だが草花も大変そうだ。
今年はさつきが、うまく咲かなかった。例年は、真っ白にたくさんの花をつけ、きれいだな、と眺める時間がかなりあったのに、今年は、ちらちらと咲いたかと思ったら、花が、すぐに薄茶になってしまった。
チューリップもフリージアもカキツバタも終わり、今は、クレマチスとアマリリスが毎日花数を増している。
古い花殻を採ったり、草取り、枝切りにいそがしい。暑さがひどくなる前に、できるだけ整備をしておきたい。
|
|
|
4月6日、土曜日、朝10時。もうすぐ子供みこしの音が聞こえてくるだろうと、私は祝儀を用意して待っていた。
やがて遠くから、ピッ ピッ、カン カン!と音がし始め、だんだん近づいてくる。
私は家の前でみこしの来るのを待ち、例年のように御祝儀をわたし、「ごくろうさん。元気に頑張ってね!」と見送った。
が。何だかさびしい。
【わっしょい!わっしょい!」という声がほとんど聞こえない。かろうじて笛と鐘の音につられて歩いている感じ。
今の子供たちは大きい声を出すことになれていないのか。出せない状態を大人たちが作ってしまっているのではないか。
うちの家族がここに家を建てたのは50年前。
町内は50世帯足らず。小学生はうちの長女を含めて7名。その7名で通学班をつくり学校へは30分の道のりを歩いて通った。 そして子供会を作り、岐阜祭りに協賛しての神輿つりとか、いちご狩り、ラジオ体操、火の用心、など行事も楽しませてきた。
それからどんどん家が建ち、子供会は50名~70名(ピークの時)となった。そんな時を経て、また今は少子化。子供会の人数も減った。
時代は変わり、子供会の数は減っても、今の子が楽しめるように大人は応援したい。
地域の氏神様でお祓いをしてもらい、御輿をつり、町内を練り歩く。そこにむつかしい意義は考えなくても、みんなが力を合わせてやることが楽しい。その達成感がいい。と思えるくらいには、祭りは楽しい!と思ってもらいたい。
子供の声は熟年の大人の生命力! 子供の元気のために応援したい。
|
|
|
術後の体をいたわりながら過ごす日々。
最近は少し暖かくなったので、日光を浴びながら庭仕事をする。
昨年の夏過ぎから秋、庭の手入れもできなかったので、菊も古い枯れた茎が残ったまま新しい芽を出している。
枯草を整理すると、フキノトウが現れる。 春はうれしい。
2階のもとラボルームには、人形を飾っているので適当に人が遊びに来て、私を楽しませてくれる。
人形の数が多いので、今のうちに喜んでくれる人に差し上げた方がいいと思い飾っている。
数が多いといいながら、まだ、木目込み教室までやって、新しく作っているのだから、おかしな話だけれど・・・・・。
木目込み、縫いもの、パズル、何かをやっていたい性分だが、「少し体を休めろ」とサインが来た時には、音楽である。
ウクレレを弾くのも楽しく続けているが、ぼんやり聴く音楽もいい。
最近、私にとってこれはいいなと思うオーディオを買った。
クラシック、イージーリスニング、ジャズの100曲が内蔵されていて、音も柔らかく素晴らしい。CDを入れ替えることもなく、リモコン一つで何時間でも流れる。
いい音だなぁ、とクラシックを聴き、気軽に映画音楽などを聴き、そしてジャズ。私の細胞が喜んでいる! びっくりした。今の私にはジャズがいい。こんなに楽しんで聞けることに自分自身驚いた。
人形の部屋にオーディオを置いて、静かに流す。
みんな気分よく2時間、3時間とおしゃべりをして楽しそうに過ごしてくれる。
日々の生活に心地よい、いい空間を作ることは体を元気に保つことだと思う。
|
|
|
外は風が冷たい。まだまだ寒い。インフルエンザも猛威を振るっているし、外出は控えたほうがいい。
体はまだ疲れやすく、右腕、肘が痛む。こんな時、何をやろうか。
木目込みも右手に力がはいる。
パッチワークのやりかけもあるし、作りたいものはあっても針を使うのもやめたほうがよさそうだ。
漢字パズルが好きで毎日やっているが文字を書きすぎると右手がつかれる。
庭仕事もまだできない。
何をしようか、という時間がある。
ぼんやりしているのは、かえって疲れる。
そして、これだ!と思いついたのが、‘ウクレレ“。
4,5年前にやっていたが、ずいぶんご無沙汰していた。
音を出してみる。チューニングしても、なかなかいい音が出ない。
やはり、放っておいてはウクレレもかわいそう。
2、3日毎日音を出していたらだんだんいい音になってきた。ウクレレも喜んでいるように思える。
C ,F G7, C7ぐらいのコードでも簡単な歌が弾き語りで楽しめる。
,コードで弾き語りをするのが多いようだけれど、私はメロディーを弾きたい。
TAB譜を見て弾けばなんとかなる。「荒城の月」「あかとんぼ」「夕焼け小焼け」
などやさしいものをどんどん弾き始めた。
音を探ってメロデイーをひけば、だんだんコードを入れて伴奏をつけることも
楽しんでいる。
音はよくなるし、楽しくて時間をわすれて弾いている状態。
こんなに、疲れず、楽しくやれることがあったんだ!
楽しいことが一番! 身体も心も元気になる。
|
|
|
今年の年越しから新年。 私が大人になってからの人生で最も静かなお正月だった。
振り返ると、結婚当初は、主人の友達や会社の人たちの年賀を受け、お屠蘇を振る舞い、そのあとはマージャンの場となり、たばこの煙もんもんの中、深夜となり、そこらで酔いつぶれる男たち。
子供もでき、少し落ち着いたころには、この長男の家には弟たちが家族を連れてやってくる。バタバタの3日間が過ぎ、私にとっては「なにが正月や!!」
ラボをはじめ、ラボっ子の人数も増えたころには、若者たちとのにぎやかなお正月。
海外からのホームステイを迎えて、除夜の鐘をつきに行ったり、人ごみの中の初詣。
子供が結婚し、孫ができると、じいじ、ばあば、としての正月は、これまた一味違う正月となる。
出来るだけ、ばあばの手料理を全力で振る舞いたくなる。お雑煮を食べても、おせちを食べてもこの上なく楽しくておいしい。
トランプに興じるにも孫がいてこその楽しさがある。あたたかい賑わいの正月だった。
術後2か月余りの今年は私の体調を一番に考えた。元気な胃袋と一緒になると私の腸も狂うといけない。ちょっと遠慮してもらって、娘一人が付き合ってくれた。
ふたりで初詣に行って、好きなものを食べて、気ままに楽しく過ごした正月だった。
「気ままに楽しく」・・・なんて贅沢な言葉だろう。人形、お細工物、水彩画、やりたいことをやって過ごせるなんて!
これから10年か、20年か、おだやかに気ままに楽しく! のスタートの年にしたい。
|
|
|
今年5月ごろ「今年のソテツはいやに元気だなぁ」と思った。
そして、夏、小さいほうの木のてっぺんに、なんだか大きな丸いものができたのに気が付いた。
最近、その丸い中にいっぱい実が詰まっているのに気が付いた。
うちのソテツにはじめて花が咲いたのだった。
調べてみると、ソテツの花は10年か15年に一度くらいしか咲かないらしい。大きい気にならないと咲かない。
ソテツの木の仲間は大昔から存在し、最盛期は巨大恐竜が闊歩した時代とみられ、ソテツの化石も見つかっているという。
ネットにはいい写真もいっぱいのっていて興味がわいてくる。
とにかく、うちのソテツは40年あまりをこの庭で過ごし、ゆっくりと成長し、やっと一人前に花を咲かせてくれたのだ。
|
|