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晴れた日のサンフランシスコ。サンフランシスコの街角。アメリカ。油絵。6号。
気分の変わる一枚だ。ビルの多い街角を、明るく描いてみた。私にとっては絵に描きにくい町だったが・・・。
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岐阜県の揖斐川上流の徳山ダムが完成に近づいた。1971年から調査が始まり、多くの困難を抱え、いろいろな話題を生んで進められてきたダムが、9月25日ごろからダムに水を入れることになる。いっぱいになるには、1年半くらいかかり、2008年に完成する計画だ。
徳山ダム建設所ではシャトルバスを出して、工事現場、湖底の見学をさせていた。その湖底見学可能な最後の日、17日に、幸運にも湖底を見学することが出来た。約400メートルの湖底にたって、係員の説明を聞いても、私には難しいことは分からない。ただ、これだけの広大な土地が湖にかわるのか!・・・以前の村の様子を思い浮かべ、大きな湖、ダムの姿を想像するしかなかった。そして何年かの後には、もうそれが当たり前になって、人々はそのあたりを往来するのだ。
* * * * *
昔、昔、山深き揖斐川の源流、徳之山の地にやってきた人々は、山を拓き、原野を拓き、八つの集落を作った。しかし、大自然の猛威の中で、それはそれは大変な苦労の連続だった。大雨に田畑は流され、山崩れで家を失い、冬は大雪に閉ざされ、春は雪崩で命を失い、日照りが続くと飢饉に襲われた。また、茅葺屋根の家はたびたび火事で焼きつくされた。あまりにひどいので、これらの災いは鬼の仕業であると考えた。
あるとき、「鬼生谷で鬼を見た」という噂を聞き、度胸のある若者が女装して、山手の鬼生谷から出てきた鬼のあとをそっとつけていった。川原に行くとそこには鬼がいっぱいいて、何か話し合っていた。どうやら、また大暴れしようと、相談しているようだ。若者は、こんな鬼たちが暴れたら、それこそ大変だ、と思い、村へ帰ってみなに知らせた。
知らせを聞いて、どの集落でも大騒ぎ。人々は、能郷白山に登って、権現太鼓を打ち鳴らし、権現様にお願いした。
[どうか、私たちをお助けください。鬼が悪さをしないように戒めてください]
熱心なお願いが通じたのか、白髪の老人の姿をした権現様が現れて申された。
[そちたちの願いは聞いたが、鬼の言い分を聞くまでしばらく待つように]
権現様は、天の河原から地の河原を訪れ、鬼の言い分を聞かれた。
[人間どもは、欲ばって木をたくさん伐りすぎ、動物や植物のことを何も考えていない。川には汚物を流し、魚や河童にも遠慮がない。勿論俺たち鬼が人間に慈悲をかけていることや、竜神が雨を降らせてくれることも知らない。人間が一番偉いと勘違いして、周りの小さな生き物や、大いなる自然に感謝する気持ちがない。それで俺たちは怒っているのだ。]
じっと聞いていた権現様は、
「よしわかった。そちたちの言い分はもっともじゃ。これからは徳之山の人間たちが、そのような思い上がりをしないようにさせるから、どうか悪さはしないでおくれ。もし思い上がったら、いつでも暴れておくれ。」と申された。
権現様は、八つの石にそれぞれ 礼、義、信、悌、孝、忠、智、仁、と八つの徳を刻まれ、呪文をかけて、天高く舞い上がらせた。八つの徳石は光り輝く流れ星になり、[礼の徳石]は塚の村に、[義の徳石]は櫨原の村に、[信]は山手に、[悌]は上開田に、[孝]は下開田に、「忠」は戸入に、「智」は門入に、[仁]は本郷の村にと、各集落に飛んでいった。権現様は人間たちに必要な八徳の教えを石に託して遣わされたのだった。そしてそのとき、八人の心美しい巫女もそれぞれの集落に遣わされたそうだ。
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私は刺繍やパッチワーク、いわゆる針仕事が好きで、常にいろんなものを作っている。特に、使わなくなったもの、古いものから、自分のアイディアでちょっといいものができたときは、なんともいい気分である。セーターからクッションや、ソックスカバー、カッターシャツからエプロンなどは私の定番。何年も続けていて、友達にもプレゼントしている。
このごろうれしいのは着なくなった着物、母や姉の明治、大正の着物から、今着られる洋服を作ることだ。年齢も重ね、体型もゆったりと作られたものがよくなり、絹物や古布の雰囲気が似合うようになったともいえようが、何枚か、リメイクしたものを着ていると、「いいわね」と友達に言われ、気をよくしている。
こういう私をよく知っている東京の友達から、先日、電話がかかってきた。
「私の着物をもらってくれない?」
翌日、早速、衣装箱が二つ送られてきた。実は、彼女の家は大きく商売をしていたが、最近倒産となり、ついに自宅を手放して、狭いところに引っ越すことになった。余分なものは処分したい。「あなたなら、私の着物をどのようにしてくれてもいい」というのである。
衣装箱を開けると、それこそ、肌襦袢から足袋まで入っていて、家がいかに取り込んでいるか、その大変さがうかがえるのであった。一枚一枚から、彼女がそれに手を通したころのこと、これを縫われた彼女のお母さんの気持ちなどがしのばれて、切ない。いいものはとにかくしばらくは大切に保存することにし、どうにもならないものから処分を考えようと思った。
私もそれほど暇があるわけではないが、今、何か彼女を元気づけたい、という気持ちが、たまらなく強く働いて、考えた。
中に、ぼろぼろになるまで締めた細帯があった。赤と白の絹糸で織られ、小さい鶴が飛んでいる。それをいいところだけ取って、鶴の一羽づつを入れて、丸くきり、裏をつけてふちをバイヤステープでくるんだ。首を上にあげ、羽を広げた鶴のコースターが十枚できた。さらに長じゅばんを解いて、彼女のキャミソールを仕上げた。それらを渡すと、彼女は「これは涙ものだわ」と目を潤ませた。本人も忘れていたほどの古着だとしても、数々の思い出に彩られているのだろう。「懐かしい!」といって頬ずりする姿に、私も目が熱くなった。
今、彼女は生活の形を変えて、再生の活力を出さねばならぬときである。衣装箱の着物を大切に生かすことが、彼女を元気付けることかと思う。鶴のように首を上げ、羽ばたいてほしい。早い再生を祈るばかりである。
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田舎町。イギリス、ダービーシャー州。Eyamイエムの町。油絵。4号。
Ring a ring of roses
A pocket full of posies
Atishoo, atishoo
We all fall down.
このナーサリーライムの発祥の地だ。仕立て屋のGeorge Viccarはロンドンから服地を仕入れた。ところが、それを仕立てることなく、2日後、ひどい熱、体中には、rosy-red rashがでた。1665年疫病の流行で村が全滅するほどだった。恐れおののく村人たちには、流行の原因もわからない。のみとかねずみとか。薬も役に立たない。服地の中に,菌を持った蚤などが入ってきたのか。その家には当時の村の記録が書かれている。地区の教会にもその碑がある。
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夏休みも終わって、多くの家庭が、普通のペースにもどったといえようか。夏休みには我が家も、遠くに離れて暮らしている孫たちの来訪を受けて、にぎやかな夏休みイヴェントとなった。
うちへ来る前に、5歳のK坊から電話がかかった。「おばあちゃん、すいかかっておいてね。」「うん、いいよ。買っておくよ、山の家ですいかわりしようねえ。」「フーン、ぼうがないよ。」「棒はおばあちゃんとこにあるからいいよ。」と、まあ、こんな会話があった。
そして、お盆休みを使っての息子一家の帰郷。
K坊のママがいう。[お母さん、白玉粉ある?]「白玉粉? 昔は作ったことあるけど、いま、うってるかねえ。」とわたし。「そうか。じゃあ、かんてんはある?、K坊がフルーツポンチをつくりたいというのだけど・・・白玉粉がなかったら・・・かんてんとか、あんにんどうふとか・・・・。かんてんを牛乳入れて作ろうか。白いからいいよね。」とママ。「うん。いいじゃない」
ということがあって、荘川の山小屋。
孫二人に絵本を読んで・・・「おやすみ」というわたしに、K坊がゆっくりと静かに話しかけた。
「おばあちゃん、あした、すいかわり したあとで、フルーツポンチつくるでしょ。ぼくね、ちゃんとおぼえてきたよ。あのね、・・・」といって話し出したことに、私はびっくり。
「しらたまこに、すこしずつ、みずをくわえてまぜます。よくこねて、みみたぶくらいのやわらかさになったら、ちいさくまるめます。おゆをわかして、しらたまだんごをいれます。うきあがってきたら、2ふんくらいゆでて、みずにとります。」と。かれは、毎月購入している幼年雑誌にでていたつくりかたを、そのまま暗記していたのだ。 その白玉団子をスイカを半分に切って、その中身をくりぬき、スイカや、パイナップルなどを入れて、シロップなどでおいしくフルーツポンチにしましょう、というのだ。
これを聞かされた私、そして大人たちは、その夜、悩むことになった。これは、とても、かんてんや杏仁豆腐でごまかせるものではない。
あくる朝、私は早速買い物に出る。盆の15日、店は開いているのか。車で村の中を走って、農協の店に入った。白玉粉・・・し・ら・た・ま・こ。あった!よかった!!
ということで、無事、K坊のフルーツポンチつくりが始まった。団子づくりは、ねんどあそびといっしょだ。なんとたのしいことよ。後は大人にお任せで、おいしいフルーツポンチができあがった。うれしい夏休みの午後のひと時。
我が家の大人たちには、ちょっとした「フルーツポンチ事件」として心に残った。白玉粉が見つからなかったら事情を話そう、といっていたのだが、とにかく、ごまかしたりしなくてよかった。K坊は、はじめから、私にスイカを頼んだり、ママには、おばあちゃんの家でフルーツポンチを作りたいと、ちゃんと話しているのだ。只、子どもは、それほど、用意周到ではない。表現力も足りない。こころは、「やりたい!」気持ち、「おいしそう!」の期待でいっぱい。お団子をこねる楽しさ。これがかんてんでごまかされたのでは、泣きたくなるだろう。
たのしかった!おいしかった!・・・・よかったね。
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キングスクロスの駅。イギリス。油絵。6号。
よく使った駅。姿が綺麗だと思ってスケッチした。
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イギリス。ウインザー城をのぞむ。油絵。10号。
食事をしたレストランから、ウインザー城が見えた。白鳥がゆっくり泳いで、午後のひと時。このあと、ウインザー城に小火があった。ずいぶん以前の絵となる。写真が悪く、色がすごくわるかった。残念。
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イギリス。ダービーシャー州。油絵。10号。
ホストの家からぶらぶら歩いて。いやいや、ずいぶん広い車の通る道路だ。
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イギリス。ダービーシャー州の町並み。10号。油絵。
ラボのイギリス交流がはじまる前年、テューターたちがダービーシャー州を訪れ、ホームステイした。なんと言うこともない当たり前の町に、なぜかイギリスを感じていたのだ。
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カンタベリー。イギリス。油絵。8号。
これも懐かしい絵。カンタベリーの水路のわきに続く白壁木骨の家。
この付近で、テューターたちが、わいわいがやがや。
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