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私的な事ながら、個展のほうは、おかげさまで非常に満足できる会として終わった。このあと、絵を紹介しながら旅の思い出や、感想などを綴っていきたいと思っていたが、まず先に、一枚の絵とともに、友の追悼をしなくてはならない。
展覧会が始まる直前、突然の事故で亡くなった友の訃報が飛び込んできた。個展の最中、夕方の新幹線を使って最終で帰るという無理をしてやっと通夜にだけ参列した。30年余にわたるつき合い、さまざまな思いがこみ上げる。展覧会を飾っていた一枚の絵、一緒に旅行をしたスペイン、トレドの絵、この私の絵に彼女の感想文を載せて、彼女への追悼としたい。

「丘の上に立つ。眼に飛び込んできたトレドの街。幻の世界かと感じた。街を一望し、じっと眼を凝らしていると、昔人(むかしびと)の力が伝わってくる気がした。
街をめぐる川の白い泡が、公害だという説明を聞き、現実に引き戻された。
プラド美術館の数々の絵は、どれも強烈で、見るものを圧する力がある。プラドですごい絵たちに出会い、それからトレド、旅が進むにつれて、妙にわくわくとうれしくなっていった。それは多分、予備知識を持たず、未知の国スペインに入り、自国の文化との違いにとまどっていたのであろう。
それが、コルドバ、メスキータに至って、イスラム、ユダヤ、カソリック、それらの民族の力強い個性をみせつけられて、次第にいい気分になっていったのであろう。それにしても、イスラムとカソリックが渾然一体となったメスキータの面白さを表現する言葉を知らない。そしてそれが、現在、その姿をとどめ、見るものを魅了する。
バスの中から見るオリーブ畑の美しさ、ロンダに入るとき、マラガを通らなかったのは残念だったけれど、町から町へ、村から村へと移り行く景色は私を十分楽しませた。
最後の街フロンテーラののんびり散策はよかった。最後の夜アルコス・デ・ラ・フロンテーラ、Tさんとウイスキーで夜を飾った。パラドールのテラスから外を見た。夜空は黒ではなかった。澄んだ濃いブルー、そこに、クレッセントの月が冷たく冴えていた。Maravilloso
2年余り胸の奥に未解決のことがあった。旅から帰り、すうーと決断した。不思議である。何千年を経て古代人の強いエネルギーの“気”が私の魂にゆさぶりをかけた。これからは再生である。」
2000年2月スペインへ行ったときの彼女の感想文である。努力家で常に熱い思いと夢を持ち、教育活動に打ち込んできた。余りにも突然の死。彼女の人生にかかわりを持たれた多くの方々とともに、謹んでご冥福をお祈りする。
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本格的に油絵を描き始めて、約20年。非常にゆっくりと、気の向くままに、ただキャンバスには、そのときそのとき心をこめて、描いてきた。仕事の傍らに描くには、あせったり、いろいろ規制を受けるのはよくないと、公募展は避けてきた。
30点ほどを一回分として、個展を開いて4回目。
古都遠望、30号。 桂林人形、20号。トロルの世界、町並み、など、北欧,中欧,などの旅から描いたサムホールから30号まで、33点を飾る。
期間中にお会いできる方々との、再会や新しい出会いが何よりも楽しみ。
期間中会場でお待ちいたします。
5月6日(日)~13日(日)まで。(火曜日定休)
あおい喫茶2F
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東京の浅草橋は、人形店の並ぶ町だ。正月から3月まではお雛様一色。衣装人形から木目込み人形、段飾り、親王飾り、立雛。ほかの人形はケースの隅に押しやられ、店いっぱいに飾り付けをして、客引きをする。たまたま私は、2月に五月人形が見たくて店に行ったが、「まだ出してありません」という状態で、見せてもらうのが大変だった。今は、五月人形が店を占領しているにちがいない。
数年前までは、4月になると近所の家のお庭に、こいのぼりが高々と立てられたが、そのうちの子も大きくなって、立てられなくなった。最近では、こいのぼりも街中では見られなくなった。
5月5日。こどもの日。いろんな行事、郊外へ遊びに出るにもいい季節だ。子どもの成長を願う気持ちは、昔も今も変わらない。そんな思いで、五月人形を飾って眺める。私の作る人形の中で、人気のかわいい人形である。
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3月中元ラボルームに飾っていた人形たちは、次から次、人形好きの方たちにみていただいた。その中で、47年前に絹のはぎれや、帯のみみで作ったというかまぼこの板の上にのったお雛様が、隣町の歴史資料館に貸し出し、飾られることになった。
長女が生まれたとき、大きくなったら好きな人形を買ってやればいい、とりあえず、これでも飾ろう、という気楽なかんじで、作った人形だった。赤ん坊の枕元で、毎晩一体ずつ、作っていった。まったく独創的に、身近にあるもので、(髪の毛は黒糸、つづみはミシンのボビン、屏風はダンボールでつくるなど)自分のイメージだけで作った人形だった。
娘は、そのうち、[世界で一つの私のお雛様」といって作文を書くほど、この人形が気に入った。
娘は成長して、何度、もう処分しようかと思ったことか。でも年とともに愛着が増し、毎年飾り続け、さらに大勢の人に見ていただくことになった。長い間ありがとう!わが雛人形。
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お人形を飾っています。(3月中)
お遊びにどうぞ。
(今もとラボルームは変身している)
3月、雛のつき。この響きが大好きだ。人形を飾って、なつかしい友と話したり、近所の奥様を招いたり、いろいろな春を感じて楽しい。
3月3日が過ぎて、そそくさとお雛様を片付けるのは、淋しくて、私は、3月中を雛の月として、飾ることにしている。
すべて、私の手作り人形、創作品。口コミで、皆さんに見てもらっている。



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毎年二月になると、私の気持ちは、「春への思い」と、動き出す。それは、床の間の掛け軸、部屋のあちこちの飾り物など、時には、年の初めの名残がそのままであったりするので、それらを春らしくしていく。 その一方で、必ず手作りお雛様を考える。その中の一つは、もう何十年も折り続けている折り紙のお雛様で、昨年、このH.Pで紹介したものだ。それを今年はどなたに差し上げようかと、二月になるとそのプレゼントを始める。
今年は、新しいオリジナルも加わった。「ふうせんかづらのおひなさま」だ。9月ごろ、庭に薄緑のふうせんかづらが風に揺れる。そのほおずきのような袋を取って中を開けると、うす緑の綺麗なかわいい実が三つほど並ぶ。その模様から、わたしは、富士額を想像した。
緑のうちにとって、爪楊枝を刺しておく。10月、11月とたつと、その実は薄緑から、緑の濃い富士額の模様の部分を茶色、こげ茶色、そして黒と変えて、硬く乾燥していく。
その爪楊枝に着物を着せて、おひなさまにして楽しむのだ。今年は男雛に姫をのせて、小さく作り、おひなさまパーティのケーキやおすしに飾ったら、といって、プレゼントしている。
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どこのスーパーマーケットでも同じであろうが、毎日その日の目玉商品として、安売りの宣伝をして客寄せに必死である。安売りの代表格、バナナは、特に日曜日の朝など、スーパーの店先をにぎわしいる。
私はこんなバナナを、余り喜んで買えない気持ちになってしまう。
児童文学者の松居友さんは、今、ミンダナオ島で、Mindanao Children's Library Foundation ミンダナオ子ども図書館を立ち上げ、医療や、読み聞かせ活動、大学生、高校生のスカラシップ、小学生の里親支援など、極貧の地区で、がんばっておられる。私もその活動のほんの一端に参加して、ひとりの少女を学校に行かせる支援をしている。
このミンダナオ島の、貧しさの理由のひとつは、島自体は、バナナやパイナップルなど、農業生産物や、鉱物資源に恵まれた豊かな地であるにも関わらすそれらから生じる利益の大半が海外のグローバル企業、それらとつながりのある大資本と地元のほんのわずかの裕福層の懐に入るからだといわれる。開発の名の下にある日突然に今まで住んでいた土地を追われた貧しい人々や先住民は、山地で自給自足に近い生活を強いられる。そんなバナナ畑から送られる安いバナナ、少女 Johima Magaluyan の顔が浮かんで、複雑である。
先日、20本もついている大きなバナナの一房をもらったのだ。少ない家族で、痛まぬうちに食べるのは大変だ。いろんな実験をしている。ケーキやバナナセーキのほか、庭先にぶらぶら、干し大根ならぬ、ほしバナナがぶら下がっている。おいしい乾燥バナナができるかどうか。毎日乾燥していく表面を注意している。豊富な食べ物に感謝していただこう。
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「千客万来」
信楽の「たぬき」たち。油絵。30号。
本物の狸という動物は、余りかわいいとは、私は思わないが、昔話や伝説に出てくる狸は、好きだ。いたずらをしていても、かわいい。特にラボライブラリーのニコルさんのたぬきは、愛着があり大好きだ。
信楽へ行くと、すごい狸の置物軍団が出迎えてくれる。どれもこれもかわいいなあ、と思ってみていたら、ウルトラマンを抱え、七福神までしたがえた狸大将を見つけた。大きなおなかに、75000円とかいてある。
置物を飾るところはないのでかわいい仲間を入れて絵に仕上げさせてもらった。
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なんとなく 今年はよいこと
あるがごとし
元旦の朝 晴れて風なし
今年は、丁亥(ひのとい)。難しく暦を理解しなくても、「わたしは、**年」と小さい子でも自分の生まれ年の「えと」を言う。何かにつけて、えとは私たちの生活に入り込んでいる。
風水とまで言わなくても、環境学的には、私は興味がある。
新年は、やはり、新しい気分、新しい「気」を感じるものを飾って、さわやかに、新たな出発をはかりたい。
木目込みのいのししは、それぞれに、私の心をこめて、知人友人の家に幸せを運んでくれるように祈りたい。
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今日は冬至。昔から、ゆず風呂にはいるとか、かぼちゃを食べるとか言われる。実は、我が家では、今夜このどちらも実行した。このようなことは、理屈の云々より、季節感もあって楽しい。
さらに、我が家では、毎年、冬至のころの年中行事がある。
家の庭になったゆずで、「ゆべし」を作ることである。柚餅子と書くお菓子もあるが、こちらは、味噌を入れて作ったものである。
うちのゆずは、花柚子というのであろうか、店に並ぶゆずより小さく、ピンポン玉よりやや大きいくらいの小玉である。ゆずを、七・三に切って中身を取り出し、ゴマや、胡桃を混ぜた味噌をつめて、一時間ほど蒸す。それを形を整え、和紙に包んで冬中寒い外につるしておく。てるてる坊主の逆さになったようなのが並んでつるされているのが、我が家の冬の風景である。
2月ごろになると、ゆずの皮は完全に味噌と一体化して茶黒色のボールになる。薄く切って酒の友にしたりして、濃いゆずの香りを楽しむ。
私がゆべしを知ったのは、娘のころ、お茶会の懐石料理であった。薄く輪ぎりにされた黒いものが、ちょこんと小皿にのせられ、何だろうと思った。口にしたとき、風雅でなんとも奥ゆかしさを感じた。作り方、利用の仕方とともに、それが高価なものだと知ったのも、その時だった。
昔の人は賢く物の保存法を考えたものだと思う。カチカチになったゆべしは、包丁がたたないくらい硬くなり、長く保存できる。使用したいときに少量切りとったり、けずったりして、お吸い物とか、茶碗蒸しに浮かせたり、または和え物などに混ぜて、そこはかとなくゆずの香りをたのしむというわけだ
何年も前から、私は毎年ゆべしをつくっては、喜んでいただけそうな方に差し上げてきた。「あら、貴重なものを」とか、「なかなか芸術的な味がするね」と、ほめるのは訳知りの方。一方で「へエー、初めてだわ、どうして作るの」と素直に喜び、それ以降愛好者になる方も少なくない。
ゆずの皮が、見事に味噌と一体化して、羊羹のようになっていくのが面白く、不思議に思えて他のかんきつ類ではどうだろうと、レモン、みかんなどで試したことがあった。これらは、味噌と合体せず、皮は皮として残るのである。本当にこれを発見した先人の知恵に敬服してしまう。
ところが最近は、ゆべしに対する考え方も変わったように思う。冷蔵も冷凍もできる現代は、ゆずの皮も刻んで冷凍すれば香りを楽しむように利用できる。「硬くなったものを薄く切って、お吸い物に浮かせる・・・」と説明しても、あまり人は感じ入らない。それよりも、包丁で楽に切れるうちに食べたほうがよさそうだ。「おつまみや、温かいごはんにもおいしいよ」というと、「ああ、いいね」と納得したように明るい顔になる。
今年作ったゆべしも、来春、2月ごろの食べごろに、幾人かの人に楽しんでもらおうと思っている。
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