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7月の10日ごろだったか、東京の浅草、浅草寺の境内にほおずき市が立つという。私はどんな風なのか、見たことはないが、いかにも夏らしい響きと、子どもの頃の郷愁を誘う思いで、このニュースなどを聞いている。今、私のほおずきとのかかわりは、お盆に、仏様のお花に添える程度である。
写真の和布のほおずきは、わたしの「お細工グループ」のオリジナル作品である。私は、針を持つときは、いつもゆびぬきが必要なのだ。昔の裁縫、運針の縫い方が身についているから。ところが、毎月集るこのグループ10人くらいのメンバーですら(ほとんど、孫があるのに)、指ぬきを使っているのは3,4人なのだ。いまや、縫うという作業もかわり、ゆびぬきは必要ないものになりつつあると思った。
ゆびぬきで、いつも思い出すのは、アリスの物語だ。彼女は、自分のポケットから、Thimbleを取り出す。幼い子も針仕事を遊びのように親しんでいた時代なのか。Thimbleは、ゆびぬきと訳されるが、日本の指ぬきとは、形も使い方も違う。日本のは、右手の中指、第一関節と第二関節の間にはめ、針を押すように縫い進める。Thimbleは、キャップ型で左手にはめ、針の先を当てて使う。
今は、小学校では男女とも裁縫道具を用意するのだ。5年生の孫むすめが、「夏休み、ブックカバーの作り方教えて」といってきた。私もいまの針の使い方をよく理解して、一緒に作りたいと思っている。
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「めんどうくさい」というときがたしかにあります。どんなとき?とちょっと考えてみたくなった。最近、とても変なときに、この言葉を聞いて、私は戸惑い、考えてしまった。
私と同じような年のものが集ると、時々変な会話になる。食事の話、料理の話、などしているうち、「あなた、まめに作るのね。二人でも作るの?めんどくさいのに。」となった。
子どもたちは、独立してそれぞれの家庭を持ち、二人だけ、という家庭は確かに多い。その奥さんたち。本当に食事を作るのめんどうなの?私の周囲にそんな人が複数いて困ってしまう。確かに、スーパーには簡単に食べられるものも多い。でも一回一回の食事はすべて、自分の体に入るもの。自分の体の健康を保つものと考えれば面倒なんていえなくなるはず。しかも食事の楽しみは何より大事な家族の共通の時間なのに。私は「二人だって作るわよ。一週間だって、一ヶ月だって、違った献立に出来るわ。楽しいもの。」といってやった。そして、その奥さんには、時々料理のおすそ分けをしている。「あら、うれしい。これ、すぐ食べられる?」といってもらってくれる。どうしても、すぐ食べられるのが、魅力らしい。
「めんどくさい」と思ったら、ちょっと考えてみる習慣をつけるといい。「めんどくさい」ことは、大事なことが多い。ボタンが取れた。めんどくさい、・・・すぐつけましょう。玄関にごみが落ちてる。めんどくさい・・・掃除しましょう。明日は、お弁当がいる。めんどくさい・・コンビニで・・・いやいや、ちょっとがんばって、作りましょう。
「めんどくさい」は、がんばって、根気にやろう。という掛け声か。
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左:ローテンブルグ。油絵。サムホール
右:プラハ。油絵。サムホール
今、公募展などでは、絵のサイズがどんどん大きくなって、100号、200号の展覧会が多い。市展や県展でも、50号、60号。30号では小さく見える。
ところが、一般のうちに飾ろうと思うと、30号でも、ちょっと大きすぎる。20号、10号のほうが楽に見られる。
ローテンブルグも、プラハのティーン教会も、大きく描いて満足した絵であるが、サムホールにも描くと、また趣を変える。
気楽に飾って楽しもうと思う。
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人形の部屋。油絵。8号。
人形の部屋と題したが、「さあ、出かけようか」とでも言いたいところだ。チェコの操り人形の多さ。その人形をテーマに私の中で物語が出来た。「プラハの町へ、出かけよう。われわれにも大事な仕事がある。人ごみにならないうちに、片付けよう。」
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操り人形。チェコ。油絵。10号。
個展の作品の一つ。昨年、チェコ、プラハに旅行した。プラハ城から、黄金の小路といわれる一角を通る。狭い店がならび、伝統工芸品の多くが売られている。細かい手工芸品。懐かしさを抱く木製品の動くおもちゃ。そして私が不思議に思ったのは、ハンガリーから、スロバキア、チェコと移動してきて、あやつりにんぎょうが、たくさん売られていることだ。歴史的に侵攻を受け、自国語を奪われた時期、人形劇の上演だけは自国語を許されたそうだ。
魔女のような人形。何を語りたいのだろうか。作者の思い、民衆の代弁者、人形を見ていると、ある意味、品格まで感じる。
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リビングに甘い匂いが漂う。洗った梅がおいてあるからだ。今年はいい梅が安く手に入るように思う。1キロだと思って買ったら、2キロだった。安い。
実はうちでは、余り梅干は食べないのだ。私自身、すっぱい梅は苦手。それなのに、青梅のうすみどり、完熟の梅の柔らかい黄色、先にぽっと赤みを帯びたかわいらしさ、こんなのがスーパーに並びだすと、「どうしようかなあ・・・、買おうかなあ、」と迷いだす。
今年は安いので、こんなときに、いろいろ遊ぼうと、たくさん買ってしまった。
まず梅酒、青い梅が浮いて、氷砂糖が白く沈んでいる。しばらく眺めて楽しんで冷暗所におく。次に梅味噌、今年初めての挑戦。完熟梅を砂糖と味噌に漬け込んで、今、毎日かき混ぜてお守りしている。だんだん味噌がやわらかくなり、甘い香りが増してくる。これらは、うちで消費する自信がある。
さて、どうしよう。安いからまた買ってきた。減塩の梅干、昆布と一緒に漬け込んだこぶ梅。やわらかいうす黄色のふっくらした梅は、私の目には今食べたいような錯覚を起こすほどおいしそう。これが、あのすっぱさがあるとは・・・・・。期待して手間をかけて、漬け込んで、「ああ、やっぱしすっぱい!」と思うかもしれない。でも、今年は、一味違ったおいしい梅、期待通りの梅料理を楽しめるようにしよう。
今日の朝日新聞に梅みそレシピがのっていた。私のつくり方と同じだった。同居家族が減り、親から子、姑から嫁への引継ぎが難しくなったとも言えるが、新聞、テレビ、インターネットと情報は丁寧にいっぱいある。やる気があれば、いくらでも、何でも作ることができる。不必要な添加物のない、手作り食品、手間をかけた料理が、健康を守る一番の源だろう。
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虫歯予防デイは過ぎたが、最近歯の定期健診を受けてきた。歯科衛生士の女性から「お口の中の状況をよく把握していらっしゃいますね。」といわれ、ほめられたのか?・・・・どうかわからぬまま、・・・とにかく私の歯と歯ぐきは、気を使っていないと、すぐに歯肉が炎症を起こしてしまう。
今から思うと、今の私の歯の状態を保てたのは、この歯科医との出会いがあったから。30年くらい前までは、私は歯ぐきから血が出るのを、なぜかなあ、と思いながらも、余り心配もせず、仕方がない、歯ぐきが弱いのだ、ぐらいに思っていた。それまでかかった歯医者は虫歯の処置をする程度、予約はあっても、長時間の待ち時間は普通だった。
ある紹介で、この歯科医の先生に出会って、なぜか私は第一声、「入れ歯にならないようには出来ないんですか」といってしまった。「できますよ。がんばりましょう」という言葉が返ってきた。
まず、一番気持ちがいいのは、予約の時間は、きちんと守られ、5分と待たない。そしてきちんとした面談の時間がとられ、十分に治療の時間がとられた。私の場合はその時点で歯周病だったから、(ポケットが出来ているといわれる状態。ぶよぶよの歯ぐき)歯ぐきの手術が必要だった。そして、磨き方を丁寧に指導された。歯ぐきの丈夫な人は、それほど神経を使わなくても、大丈夫のようだが、私のようなたちは、しっかり磨いていないと(歯かんブラシ、フロスをつかって)歯肉が炎症を起こしてしまうのだ。
とにかく、丁寧に磨くのが一番。その後、毎年一回、定期健診を受け、歯石をとってもらっている。3種類の歯かんブラシ(歯の隙間が違うから)を使い分けて磨くこの頃、「年とともにこの人の歯ぐきは元気になってくるなあ」と先生は言う。まだ、全部自分の歯が元気である。
お口の中の状況をよく把握して、体の玄関も、おうちの玄関もきれいに、元気に暮していきたい。
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古都チェスキー・クロムロフ。油絵。30号。
今回の絵画展では、ベルギー、ブルージュとチェコ、プラハが何枚もあった。私の大好きな都市なのだ。
チェコといえば、私などは、チェコスロバキアと覚えたのだ。第一次世界大戦後チェコスロバキア共和国が誕生し、その後第二次世界大戦でソビエト連邦の支配下に置かれ、ずっと共産圏下に置かれてきた。1993年チェコ共和国と、スロバキア共和国として、それぞれの民主的な体制と経済の道を歩み始めたのだ。
スロバキアに滞在したとき、お米くらいのぽろぽろしたパスタのようなものがサラダ風の料理になって出てきた。「これは何かと」運転手に尋ねると[スロバキアのライスだ。スロバキアは貧しいから。チェコでは食べないよ」と返ってきた。
13世紀からの歴史を持つ町、チェスキー・クロムロフ。箱庭みたいな町だ。チェスキー・クロムロフ城の塔へ上る階段は大変だったけれど、すばらしい景色が待っていた。
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ザゼンソウ。油絵。サムホール。
この花を見つけると、私はなぜかうれしくて、いつもその前に座り込む。ぽつん、ぽつんと控えめに、余り鮮やかでない色に咲いているのがいい。
そう、この絵を見て、「ザゼンソウって、こんな風に、みずばしょうと一緒に咲きましたっけ」といった人がいる。ザゼンソウを知っている人だなあと思った。ザゼンソウの咲くところは、枯れ草や枯葉の混じったような湿地帯で、あまりきれいなところではない。
私の絵は絵である。幸いに私の感じたままに表現することが許される。後ろに綺麗にみずばしょうを描き、ザゼンソウも楽しそうにすこしきれいになっている。
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先日の個展の絵の中にはすでにこのH.Pで紹介したものもある。個展のうれしさは、親しい人、懐かしい人たちが見に来てくれて、絵のある空間で、お茶を飲む至福の時間が持てること。また、新聞の案内を見て、私の絵を見るためにわざわざ来てくださる人。何年も絵を描いている先輩らしき方が、「これはいい」とか「この絵は斬新だ」とか絵画の話をしながら新たな出会いが持てることだ。
「みずばしょう」。油絵。サムホール
5月、連休のころ、高山方面には、みずばしょうの見られる湿地帯があちらこちらにある。みずばしょうの群生を大きい絵に描いてもと思ったが、気軽に飾りたいので小さくまとめた。
個展に拾う、ちょっと一服。
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