|

あけましておめでとうございます。
十二支、干支は、日本人誰でも知っている。小さい子でも、「わたしは**どしだわ」と知っている。十干となると、詳しい人はずっと減るだろうが。とにかく暦にくわしくなくても、子年の干支グッズを飾ると、新しい年、新年「おめでとう」と言う気持ちになり、言霊の思想を信じ、「おめでとう。おめでとう」とたくさんの人と挨拶を交わしていい年を迎え、いい年にしていきたい。
昔はどんな家庭でも、跡継ぎ、と言うのを大切に思っていった。勿論、今でも根本的には変わっていないが。そんな意味では、ねずみは、子孫繁栄の縁起のいい動物として、考えられてきた。世に言う「ねずみ算」。
正月に雌雄2匹のねずみが12匹の子ねずみを産むとする。その14匹が2月にそれぞれ12匹の子ねずみを産む。この調子で毎月生まれていったとしたら、12月にはねずみの数は、何匹になっているか?・・・・答えは27600000000匹以上。(こんなの私が計算したわけじゃない。・・・しかし、これ、単なる計算?
雄と雌の割合は考えないのだな?)
十二支の一番初めは「子」。どうして? それはもう、多くの人が知っている。「神様に呼ばれた動物たち。牛はその時間に間に合うように足が遅いので早くから歩き始めた。その背中にねずみは乗っていって、神様の前でぴょんと飛び降り、一番になった。その上、ねずみは、猫には、集る日を次の日と、うそを教えたので、猫は間に合わなかった。だから、今でも猫はねずみを追っかけているのだと。」
でもいまは、ねこも、ねこフードとかで大事に裕福に飼われているので、ねずみなど、追いかけないとか。さらに、今日の朝日新聞の「ひと」欄。「ネコを恐れないネズミをつくった研究者夫妻」の記事。昔話もその実感がいつか分からなくなるのか。
十二支を扱った絵本で私が好きな本、2冊紹介。「十二支の年越し」「十二支のお正月」川端誠・リプロポート。
今年の正月の我が家は、小さい孫たちとは別行動で、大人は静かに近間の温泉で楽しんだ。温泉旅館は、満杯。スタッフはうれしい悲鳴のてんてこ舞い。
お部屋食を売りにしている日本旅館は大変だ。部屋に運ばれてくるお料理の、その「間」を考えても、板場の忙しさや、仲居さんたちの大変さがわかるくらい。私たち大人は、かえってそんな状況も楽しみ、ゆっくりとお酒の量も増やし、食事時間を楽しんだ。
泊り客は、ほとんど家族ずれ。特に、あちらからもこちらからも、おじいちゃん!おばあちゃん!の呼び声が聞こえる。とてもほほえましい、うれしい光景。中には車椅子の方も。みんないい顔をしている。幸せそうないい風景だ。この人たちの顔がいつまでも曇りませぬように! 今年こそ、事件のニュースが減りますように。 いい年でありますように!!!
|
|
|
22日は冬至。土曜日だった。多くの学校はこの日から冬休み。ほっとできる日。早めのクリスマスパーティもあちこちで開かれていたのではないだろうか。私も楽しいひと時。フラの仲間とのフラと歌のライブ。今の時代は実に選択肢の多い楽しめる時代だと思う。
一方、季節を感じ、それにあった昔人の行ってきた生活の知恵を受け継ぎ、今に合った伝え方をしていくのも大切だと思う。
冬至の日は、朝から庭のゆずをとった。「今日は冬至、お風呂に浮かべたら」と言って、会う人に差し上げた。
今日、日曜日、残りのゆずをいろいろと処理した、私にとっては、ゆずに遊び、ゆずに遊ばれる一日だった。1キロのゆずは、ホワイトリカーでゆず酒に。40個ぐらいは、「ゆべし」に。ゆべしは中に味噌を入れて蒸し、和紙に包んで硬くなるまで干す。来年2月ごろ出来上がる。毎年これをもらうのを楽しみにしている人がいるので、その数だけは作るのだ。昔は、これは保存のために作られて、硬いゆべしを少しずつお吸い物や、茶碗蒸しに使って香りを楽しんだのだが、今は冷凍できるので、皮を刻んで生のまま冷凍する。このほうが使いやすいし、味も香りもいい。
だから皮むいて細く刻み適当な量は冷凍に、残りは、はちみつ漬けにした。これはまた、楽しめる。紅茶に入れたりパンにのせたり・・・。
一日のあぞびが終わって、軒先にはてるてる坊主の逆さのような和紙に包んだ丸いものが、並んでぶら下がっている、我が家の師走の風物詩である。
|
|
師走 |
12月06日 (木) |
|
年の暮れと言うとなんとなく気ぜわしい気分になる。これは、小さいときの家の様子がそうさせるのかもしれない。窓拭きや障子はりなどは、必ず子どもが手伝わされた。
今は、出来るだけ早く片付けようと思うのだけれど、あれもこれも、今年中に片付けようと思うことがだんだん増えてくる。
そんな中、新しい年の飾り物を、いくつも作りたくなってさらに忙しい。木目込みや、縮緬細工で、干支などを作る。
それらのいくつかは、今年のうちに幾人かのひとにもらわれる。「うれしいわ、あなたは、来年の福を配ってくれるのね」とその一人が言ってくれた。そんな言葉も後押しして、いそがしく、たのしく「子」を作り飾っている。
|
|
|
ハワイを訪れる人、ハワイに滞在する人、人それぞれにハワイの良さを好きになり、親しみを持つのであろうが、私は今まで、ハワイへ旅行するということを、積極的には考えたことがなかった。リゾート地であるし、やしの木に青い海は、私の絵筆は動かなかった。
昨年から、ずっと興味を持っていたフラに縁があり、いい出会いが出来て、フラのサークルに加わった。気がつけば今フラは、ずいぶん人気があるようで、あちこちにフラ教室もできている。
私の仲間は、ボーカルの人と、ダンサーの人を中心に興味を持つものが集ってウクレレを弾き、フラを踊る。毎回生歌で踊れると言う、ある意味、贅沢なグループで、毎週一回の楽しみな時間である。
こんなことになると、ハワイへ行く機会があれば、それを逃すことはない。短いツアー、オアフ島だけであったが、それを私なりに利用しようと、ハワイを訪れることになった。
ワイキキの浜辺、ダイヤモンドヘッド、などなど・・・・ありきたりの観光は適当に。私の目的と楽しみは・・・・
ツアーの中からフリーの時間を作り、フラに触れてみたいと、レッスンの場所を調べた。そして、「へー・・・。こんな状態なのだ」と驚いた。コミュニティセンターなどで一回制で、簡単にレッスンが受けられた。ショッピングプラザでも簡単にやっていた。そのどちらも、日本人の多いこと。そして、日本でのフラの先生も。英語で話しても日本語で返ってくる。この人も日本語でいいかな? この人も?・・・次々集ってくる人が、ほとんど日本人のよう。先生だけが英語を話していた。
カオ、カホロ、ヘラ、アミ・・・ステップのベイシックが出来ていたから、大体一曲は、おどれるようになった。フラのハンドモーションが、私は好きだ。歌詞の内容を把握してステップと、ハンドモーションの約束ごとの表現力で相手に伝える、ラボの表現に通じるものがある。ますますフラにはまりそうな私である。ポリネシア文化、ハワイ語も少しずつ、ハワイアンソングを楽しみゆったりとフラをおどっていきたい。


|
|
|
今、日常着ている衣服はどんな繊維が多いのだろう。綿、麻、絹、ウールの天然素材に加えて、化学繊維、人工繊維、とその種類は多くさまざまだ。その用途によって便利なものを選べて、洗濯なども楽だといえば、本当にありがたい。そんな日常とは少し離れて、たんすの中の母の着物、姉の着物など、明治、大正の絹物を見ていると、その手触りがそれぞれの絹物で違いがあり、なんとも言えぬ暖かさ、豊かさを感じる。無用の長物と思いながらも、決して捨てられず、服に、バッグにとリメイクして、その端切れでさらに「お細工物」を作る。縮緬、平絹、紬など、など。古布に限って作るところに、格別の味があると思っている。
りすとどんぐり
きく

かき
ふくらすずめ
|
|
|
ちりめん細工でいろいろな飾り物を作る。私は、自分で、「お細工十二ヶ月」と名づけて、季節のものを作り部屋に季節感を持たせようと、飾って楽しんでいる。
今の生活は、野菜も果物も、花も、スーパーには年中並んでいるものもあるし、温室物、ハウスものなど、ふっと、季節を忘れるようでもある。
日本は、四季があり、文化的にも、文学にも、その四季が豊かさと趣を深めてきたのに、その点は、寂しさを感じる。
今年は、ぐずぐずと、いつまでも暑い日が続き、紅葉はどうなるだろうと思っていたが、やっと、これぞ日本の秋。「錦秋の候」と時候の挨拶を入れて、誰かに手紙を出したくなるような、紅葉を見てきた。
中部のテューター友の会で、立山室堂に行った。北陸テューターの協力で、ナチュラリストのガイドもあり、最高の室堂散策だった。
天気も最高。はじめはやや曇り、室堂に着くと、青空。そこに刷毛ではいたような白い雲、真綿を伸ばしたような薄い雲、秋の雲は優しい、次々に変わる青いキャンバス。風もなく、めったにない、いい天気だと言う。青空にくっきりと雄山の雄雄しさ、雪線も美しく、雪に覆われた冬山も想像できた。
作り物で秋を演出していた私の心の奥に染み渡った、ななかまどの真紅と、錦織り成す山の紅葉だった。
「立山、雄山」
「室堂」
「みくりが池」
「紅葉」
|
|
|
アムステルダム。オランダ。文化の残る都会。油絵。30号。
5月、絵画の個展をやってからは、しばらくスローペース。やっと一枚の絵を仕上げた。この前の個展では、古都遠望を一つのテーマにした。次は何にしようか。これも考えたことだった。少しにぎやかな街を描いた。そこに、古い文化を残したまち。アムステルダムの電車通り。
|
|
|
「ロバート・サブダしかけ絵本の世界展」を見てきた。最終日、そして三連休の最後の日でもあるから、人出も最高、展覧会場の混みようには、驚いてしまった。
仕掛け絵本については、私も好きだから、アリスも、ピーターパンもナーサリー・ライムもPop-up絵本で楽しんだこともある。ただ、グループに読み聞かせ的に見せるのは、全くよくない。子どもは、お話の内容より、Pop-upのほうに気をとられてしまう。
とにかく、楽しい、しかけ絵本をちょっと見て、何か、孫に1,2冊買ってやろうと、軽い気持ちで出かけた。会場の雰囲気に驚いてしまった。大型仕掛けが展示してある会場は、容易に前列まで近づいてみることは出来ない。「不思議の国のアリス」「オズの魔法使い」、私のこの物語世界にもつ印象とは違う会場の雰囲気に、押し出されるように、会場を出た。
私の持っているしかけ絵本は、ロバート・サブダ氏のものではない。この紙の魔術師と言われる彼の作品は、本当に綺麗、精巧、見事。絵本ではなく工芸芸術品といえる。その見事さに、絵本を買うのではなく、作品として欲しくなってしまう。人ごみの中、やっと3冊を選び買おうと思ったら、またまたレジのためにただならぬ、長~い列。ここでまた私は心変わりしてしまった。本を元に戻し、帰ってきた。
ラボ活動の中で、私はPop-upを作っていた。勿論簡単なものだが、画用紙を半分に折り、開くと、ぐるんぱがジャングルにいたり、ガンピーさんの舟がとび出たり、その舟に爪楊枝をつけた犬や、猫をつぎつぎとのせたりしたものだ。また、あるグループは、「みるなの花ざしき」の12ヶ月をみごとにPop-upで表現した。ロバート・サブダ氏も、幼いときには母親から物語を読み聞かせてもらっていたと言う。そしてたまたまであったPop-up絵本の感動が元になり、 芸術作品を生む今日があると言えるらしい。
こんなに絵本に関心のある人、物語を大切に思う人、が大勢いるのなら、ここでみんなにラボを語りたい。物語、楽しんで、それをあなたの感性で自由に表現するのよ。Pop-up絵本も自分で作るともっともっと、たのしいぞ!
|
|
|
いい本、自分の好きな本を見つけると私は夢中になってしまう。いや、本というより、「そのもの」を作りたくて仕方がなくなるのだ。「手で編む布ぞうり」という本が発刊されて、一ヶ月で私はこの本を手に入れた。そして私の手元の布がどんどん役に立つと、うれしく思った。
今、布ぞうりつくりにはまっている。
わらぞうりの作り方が基本だが、全然作ったこともなければ、作るところを見たこともない私には、本を読んでも、全然頭に入ってこない。整える材料さえわからない。PPロープといってもわからない。(ポリプロピレン・ロープのこと)そのまま、しばらくすぎたが、そのうち、ぱっと、評判になってきた。雑誌に本の紹介も出るし、通販にキットとして出てきた。そのキットは高いけれど、私は授業料のつもりで、それを購入した。それで調える材料は、はっきりした。そして感心したのは、昔の人が編んでいたように、編むとき縄やロープを足の指にかけるやり方を、工夫して、今どこにでもある針金ハンガーを折り曲げて、活用するやり方が紹介してあった。
こうして、3足くらい編んだ頃は、夏休み。すると、今度は手芸店が取り扱いだした。夏休み、親子で編んだらどうだと、広め始めたのだ。
布は、タオル、古い浴衣、着物、またはTシャツ、ニット、なんでもいい。家のぼろが整理できる。しかしロープはずいぶん必要になる。手芸店で買うと、一足分で200円位するようだ。私はたくさん編むつもり。生活センター、量販店で、200メーターの一巻きを980円で買った。約50足編めると思う。
タオル、パイル、ウールそれぞれに肌触り、はき心地が違う。鼻緒に工夫したり、ちょっとおしゃれな感じにしたり、センスの活かしどころもある。河出書房、小石正子さんの本、通販のプリントに紹介された編み方、手芸店の編み方、それぞれに、少しずつ違いがある。私はその3人のやり方を、自分の中に消化して、布や鼻緒に合わせて応用し、私のぞうりつくりをしている。10足余り編んだが、手元には一足も残っていない。これから、編みためて、喜んでくださる方に、差し上げていこうと思っている。単に「布」をあげる、とはいえないけれど、手を加えるだけで、あったかい思いをこめた、健康ぞうりとなれば、プレゼントできると言うわけだ。
|
|
|
毎日すごい暑さだ。体温よりも高い気温、サウナ状態の毎日も、冷房によって何とか過ごせるので、その深刻さが感じられず、これでいいのかと思いながらも、複雑な気持ちで冷房をかけている。
この我が家の暑さと、きちんと10度は低い気温の高原、高山の荘川で10日間ぐらいを過ごしてきた。今年感動したのは、星空だった。町では見えない星空がある。8月13日ごろ、ペルセウス座流星群の活動が盛んになり、この頃をピークに、流れ星が多く見られると言うので、5年生になる孫たちと夜遅くまで毎晩星を眺めることになった。私は星座のことはよくわからない。天文学的に言えば、流星とは宇宙塵が、・・・と説明があるのだが、そんなことより、このきれいな星空は実にロマンチックだ。 「あ、ながれた!」・・・すると、それほど長い時間をあけないで、「あ、またながれた!」と、はっきりとした光の帯を残して横に、下に、といわゆる、流れ星を見ることが出来た。一時間くらいで5個ほど見ることが出来た。「おばあちゃん、何かお願いした?」「あら、ほんとだ。でも速いものね」・・・いや、お願いなんか出来なくても、こんな綺麗な星空を見ていたら、いいことがあると信じたくなる。
星空を眺めていろんな話をした。織姫、こと座のベガ。彦星、わし座のアルタイル。そして北に白鳥座のデネブ。夏の大三角が綺麗にひかり、その間に天の川がぼんやりと長く帯になる。Milky Way、英雄ヘラクレスが赤ん坊のとき、女神ヘラのお乳を余り強くすったため、ほとばしりでたお乳が天に流れた、などと、ギリシャ神話から、七夕、それから、宮沢賢治の銀河鉄道の話まで、気持ちよく想像が広がっていく。宮沢賢治の「これらの わたくしのおはなしは みんな林や野原や鉄道線路やらで 虹や月明かりからもらってきたのです」と。まさにこのような夜というのは、暗い、きれいな星空であるべきだ。想像は広がる。白鳥座の銀河ステーションを出発し、わし座、射手座と南十字へのたび、幻想的なものがたりも、こんな星空を見ながら、もう一度読んでみたくなる。
家に帰ると、庭に出ても、空は、夜遅くなっても暗くならない。星は少ない。あーあ、何が本当の幸せなのか。ほっとうの自然の美しさ、を私たちはあまり知らない。
|
|