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先ごろ、うちの家族は、大イヴェントに興奮した。
1973年、ラボ国際交流の参加者として、16歳の少女、バーバラが、アメリカ、アイダホ州から我が家にやってきた。受け入れるホストフレンドは14歳の娘。翌年私のむすめがバーバラの家にホームステイをした。こうした交流の充実した物語は、40年続くラボ国際交流の中では、何万人のラボっ子たちが体験してくることではあるが。
1973年くろひめ
バーバラと娘との交流はどんどん深まり、海を挟んだ本当の姉妹のように、結婚式にも参加し、私も彼女の家を訪れたりもした。彼女は二人の娘の母親となり、農業と牛の世話などに忙しい主婦だったが、折にふれ、私にも便りをしてきて、子どものかわいい写真などをこまめに送ってくるのだった。バーバラは、上の子どもが3才になったとき、機会があって、再び我が家を訪れた。下の子どもがまだ、数ヶ月と言う赤ん坊なのにやってくると言う、日本好きのスーパーお母さんだった。そうこうして月日は流れ、・・・・・バーバラの上の娘、ジョイも結婚することになった。そうしてさらに、ジョイ夫婦は、仕事の都合で日本にしばらく住むことになった。日本好きの母さんの子も日本好き。
さてさて、話はちぢめて、11月20日、バーバラが、3度目、日本に来ることになった。そうして、バーバラとジョイ夫婦を東京に住む私のむすめが同行して連れてきたのだ。
25年ぶりに見る懐かしい日本の家は、彼女の興奮とうれしさで、やかましく、にぎやかな、笑いと涙の熱い夜となった。ジョイも、本当にわれわれの孫娘のよう。彼女は自分の赤ん坊の時からのアルバム(私が作っておいたもの)を見て、胸を熱くし、彼女の夫マイクは、交流の深さに驚いているようでもあった。こうしていると、不思議な錯覚が起きる。私は、「バーバラのお母さんが、バーバラを連れてやってきたよう」・・・・・タイムスリップ・・・・・に感じてしまうのだ。
このタイムスリップは、バーバラにも起きる。私のうちから東京に帰り、関東に住む私の息子が、8歳の息子を連れてきて、バーバラたちと会食したのだ。16歳のバーバラが見たのは、8歳のホストの弟であり、今再会したその弟は、(彼女にとっては瓜二つとも思える)おなじ8歳の男の子を連れているのだ。いい男になり、いい家族を持った彼に喜んでくれたらしい。
短い滞在の時間を、フル回転にすごして別れのときはやってくる。日本の家庭を体験できた夫マイクには、いろいろと初体験があり、より価値あるひと時であったと思う。「また、ジョイと二人でいらっしゃい」と私がいったら、彼はすかさず「ベイビイと一緒に」と言った。その一言に、短い時間の日本家族との交流に満足の気持ちが表れていると思った。
長い歴史を持つラボの組織の中には、数え切れぬほどの尊い交流物語がある。今年も、来年も次々と新しい物語が生まれていく。丁度今、来年度の参加者が心を決めて、事前活動を始めるときだ。改めて、ここに交流のあり方、活動の大切さを思い、若き参加者の未来に幸あれ、と祈りたい。
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先日ベトナムに旅行した。ノイ・バイ空港から首都ハノイに向かう。湖なのか、灌漑用の池なのか、大きな水溜りがたくさんあると思っていると、ガイドが、それらは、ベトナム戦争の爆弾の後だと言う。そう、ベトナムは戦後まだ34年なのだ。戦争で多くの人がなくなって、年寄りは少ない。「40歳では年取ったほうに入りますよ」という。若い人たちの元気な国である。
ハノイの町、道路はバイクで埋まっている。排気ガスもひどい。共働きが普通で、女も男もバイク。前後ろに子どもを乗せて走る人もいる。そんな情景に驚いていると、さらに信号もないのに、「ここを渡りますから、私についてきてください。走らないで。」と言う。確かに、ゆっくり横切る人や、手押し車をうまくよけてバイクは走る。・・・・でも怖いよね。
そのバイクで埋まる道路を、タクシーやバスは、ぶーぶー、ぶっぶーとクラクションを鳴らしながらうまく走っていく。クラクションなしでは運転できないと言う状態だ。
ハノイの町
女性が綺麗で、元気な国である。長い髪にアオザイを着た女性。ベトナム航空の客室乗務員たちの制服もみなそれ。ウエストから下に入った脇のスリットが、スタイルのよい女性をさらに綺麗に見せる。(私は、自分のスタイルも忘れて、「あの服の脇にスリットを入れて着ようかな。」などと考えていた)
ベトナムの民族衣装は、ノンと呼ばれる笠(日本の菅笠の形に似ているが)をかぶり、クァンという緩やかなズボンをはいて、アオザイを着る。ザイは長い、アオは服という意味だと言う。
ノンは、働く女性たちの必需品。ノンをかぶり、天秤棒を担ぎ、果物などを運ぶ.。女性がよく働く。街角にも道路端にも運んできたものを並べて売っている。
ベトナムのお金の単位はドン。桁がすごく大きい。日本円2000円をドンに両替すると約190000ドン。日常はどうなっているのかと思うが、レストランでビールを飲んでも、ウエイトレスがドンの計算を間違えるほど。桁の大きい自国の通貨より、1ダラー、2ダラーといったほうが計算も楽で、結構、米ドルが喜ばれるのだ。
空港ダナンからホイアンへ、バスで移動する。ダナンのあたりは、戦時中、米軍の基地があったところ。今は、リゾート地に変わろうとしている。
ホイアンは、古く16~17世紀交易で大きく発展した町。日本人も多く住んでいたそうで、日本人が造ったと言われる屋根つきの石組の橋が残っている。日本橋とよばれて、観光地になっている。日本の鎖国によって、衰退して行った、まさに400年前の夢物語だが、豪商の末裔が住むにふさわしい重々しい家が残り、生活しているその町並み自身が世界遺産になっている。
その町並みをシクロ(輪タク)に乗って回った。生活がそこにある世界遺産。私は日本の白川郷を思い起こした。
ホイアンの街並み
観光客のためには、近代的なホテルが建てられているが、その隣は小さな建物。フォー・レストラン。日本のうどん屋だ。朝は、そこで簡単にフォーを食べて出かける人が多い。子供連れもきて、フォーのたまにスープをかけた簡単な食事をしている。道路端でも簡単ないすを置いて、フォーの店は出ている。
ハノイからバスで3時間、世界遺産ハロン湾へ行く。
途中、国道の脇に広がる景色は金色の稲穂。まさに刈り取りの季節。日本とおなじ光景だが、そのひろい稲田が、手作業で刈られていた。まだ、昔の日本の光景だ。

ハロン湾
ハロン湾。海の桂林といわれている。ハロン湾のクルージング。船内で海老、かに、かいに魚と海鮮料理を食べていると、にょきっと岩肌が現れる。次々と・・・・。その岩のふもとといおうか、水面に水上生活者の家がある。桂林を描いた私は、このハロンも・・・・と。構図を思い浮かべながら船の上から心のシャッターを押していた。ベトナムの絵もやがて、3~4枚は出来上がるだろう。
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同姓同名の方で、30年以上前から、朝日歌壇にしげしげと入選なさる方がいらっしゃる。申し訳ないことだが、朝日新聞を見て私だと思って読んでいてくださる方がいる。いままでに、このことを話題にした人には、その都度、「同姓同名なの」と伝えているのだが、つい先日も、遠くから「お久しぶり」と電話がかかってきて、「読んだわよ」と言うから、「ごめんね。あの方は同姓同名なの」というと、「ずっと、あなただと思っていたわ」と言った感じで、なんとも致し方ないのだが、まあ、そんなことで遠くの友と話が出来るのも、楽しいことである。
ところで、その方の、最近の入選作にこんなのが載った。
残りもの刻みてささっと炊く五目飯手抜き上手に老いてまた秋
この方と、私がごく自然に間違えられるのも、申し訳ない言い方だけれども、私の考えそうなこと、私のやりそうなこと、私が詠んでもおかしくない、私もいつも、まったくそのまま共鳴する歌であるからだ。
今夜のご飯、忙しい日の夕飯、にぎやかに大勢がよってくるもてなし料理。みんな私にとっては、たのしい。それこそ、「ささっと」できる。日日の生活では、近くの農家から野菜が来る。スーパーで、いるものを少しずつ買うのとは、ちょっと違うともいえる。料理の方法も臨機応変に、保存も考えなければならない。
今では、きゅうりやトマトなどの夏野菜はすんで、次の畑の準備だ。
昨日、今日に届いたものは、ピーマン。もう終わりだからと、木についたまま、「いいだけとって食べてね」と、どさっと置いていった。全部とって、小さいのも一緒にいっぱい。細く切って油でいためて佃煮風に。(半分は冷凍に)
間引きした大根葉。3センチくらいに育った大根がついた柔らかいはっぱ。青い葉っぱはごま油で炒め煮に。じくは、一夜漬けに。
サトイモと、その茎、ずいき。サトイモは農協には収められないような小さいものばかりたくさん。(私は商品にならないようなものをもらうとうれしい。いかにも物を大切に無駄にしないようで。)ピンポンだまより小さい小芋孫芋は、皮がすぐ取れる。芋茎は、蕗のように皮をとり、ゆでてあくを抜き、甘酢につける。綺麗なピンクになる。・・・・・こんなことを面倒でなく、楽しんでやることを知っていて、いつも届けてくれるのだ。
料理や、食材の処理法などは、今までに知っているものだけでなく、最近では、テレビを見ていると、ヒントがいっぱいある。料理番組だけでなく、食べ歩きグルメ番組なども多い。「おいしい」といって食べるレポーターのメニュー、そのお店の自慢話、など聞いていると、私は、そこに行って食べようと思うのではなく、「おいしそうだ、今度作ろう」とインプットすることになるのだ。料理は無限に広がり、いくらでも応用が利き、おいしい賢い食卓が出来ると思う。
思いつき、遊び心で作る創作料理(もともとはすべて料理は創作だと思うが)もけっこうつくる。うちの菜園にできたパプリカは、少し変わった形でかわいらしい。
このかわいらしさ、きれいなみどりを、そのままに料理したいなと思い、考えたのは・・・・・・
溶き卵の中にツナ缶をほぐしいれたものを、種を抜いたパプリカの中に流しいれて、蒸し器で蒸した。卵が少し膨れ上がり、青いパプリカの上にこんもりと黄色い帽子をかぶせたよう。かわいくておいしかった。
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ラボの私のパーティを引き継いでくれたK-partyが15周年を迎え、そのお祝い会に出向いた。小さい子達がいっぱい。うれしいことである。大学4年になって、リーダーでがんばっているのは、当時6年生だったラボっ子だ。思わず熱いものがこみ上げてくる。
**周年記念と言う行事は、今はあちこちでどんどん行われる。なんと言ってもラボは、40年余りの歴史があるのだから。K-partyもその40年の流れの中にあるのだ。やっと3年、5年と言うパーティも、まだ入会して一年、2年と言うラボっ子も、多くのラボっ子や、テューターたちの残した足跡を踏みしめて、さらに広く大きく活動を広げていけるのだと思うと、「なんと幸せなこと」と思いたくなる。そこに「周年記念行事」も意義あるものと思う。
案内状を受け取って、中を見ると、テーマ活動発表のほかに目に留まったのは、「物語の森へようこそ」と言う、持ち寄り昼食会と思われる部分である。何をお祝いしようかと思っていた私は、考えて、Kテューターに電話すると、お母さんたちがいろいろ計画していると言う。発表の物語、ハメルンの笛吹きに因んだドイツ料理、ロミオとジュリエットのイタリアの雰囲気を持つ料理、ピーターパンにワフ家は、・・・・・何が飛び出すだろう、と、ずいぶん張り切っているお母さんたちの楽しさも伝わってくるのだった。
そこで私は、一つの物語を解りやすく表現できるもの、と考えて、「みるなのはなざしき」を12ヵ月の 料理にして持っていこうと思った。食材に何を使って表現するか! スーパーの人の少ない時間帯を選んで、ぶらぶらと考えながら、おいしくて、子どもが好きで、出来るだけ時間のかからない適当な食材を選んでおいた。
前日までに用意できるものは出来るだけしておいて、当日。朝10時までに12皿を造り、会場へ出かけた。::::::味を想像しながら::::::
1月::アスパラの竹。ふわふわはんぺんを型抜きした梅。蓬、抹茶ういろうを松に型抜きして金串を焼いて、松葉にする。
2月::ふわふわはんぺんの梅にソーセージの紅梅を添える。
3月::ソーセージとにんじんを桜に型抜き。
4月::スポンジケーキを花びらのように丸くして真ん中は卵焼き、上にイチゴジャムを塗り、ホイップでボタンの感じを出す。
5月::酢さばとしばずけの押し寿司を作り、三角の花びらに切ってあやめの花らしく飾る。
6月::ウエハースを切って並べ、藤の房として、上に小豆とホイップで藤の花の感じを出す。
7月::五目散らし寿司をさらに盛り、上にかいわれをのせ、紅しょうがで萩の花を表現。
8月::お皿の半分にかいわれを並べ、さきイカでススキの穂を表現。ゆで卵の月。
9月::大きい菊は、卵サンドで。卵焼き、ソーセージなど小さい菊をたくさん型抜きする。
10月::食パンをはさみでもみじ形に切る、その上に生ハムをのせもみじ型にそわせる。
11月::すっかり土の色になった落ち葉は、いなりずしをお皿いっぱいにのせた。
12月::卵焼きの小判、さつまあげの表面に焼金串で「十両」と書いた。
1月、2月、3月
4月、5月
9月、10月、11月、12月
と言った12皿を並べたが、ふと思った。発表物語でもないのに、いま、「みるなのはなざしき」は余り聞いていないだろう。・・・・幸い食事時間がゆっくりとってあったので、「みるなのはなざしき」の素語りをさせてもらった。小さい子も静かに聴いてくれた。何十年ぶりかの素語りだったが、やり始めたら、すらすらと出てきて、気持ちよく語れた。耳に染み付いた物語は忘れようもないのだ。
ロミオとジュリエットのテーマ活動にはまさに「ラボ」のすばらしさ、と言うか、「ラボ」ならではの力を感じた。
ロミオとジュリエットは当時幼児。今中3になったT君とMちゃん。ロミオやジュリエットのせりふ、そのうまさに感心し、うれしく思いながらも、私は、彼らの当時の姿がダブって、複雑な熱さがこみ上げてくるのだった。ラボの力は強い。この子達の成長が見せてくれているように。この子達が今覚え語っているこの言葉、この感動はきっと、いつまでも忘れられず、さらに大きく育っていくことだろう。
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アボリジナルは、過ぎ去った時代、つまりすべての感覚が働き、人間がすべて大地の一部であった時代を言い表す言葉を持っています。それは「ドリームタイム」。
しかし、人間はみな、自分だけのドリームタイムも、もっているのです。というのも、めいめいのドリームタイムは誕生の瞬間にはじまるのですから。いや、それ以前に闇の中で、母親の肌をへだてて外界の物音を聴いているときに、もう始まっているともいえます。・・・・・
これは、ラボライブラリーの中の,ロジャー・パルヴァーズさん原作の「ドリームタイム」の中の言葉。
「ドリームタイム」を解釈、理解し、それなりの感覚で受け止めて、テーマ活動で表現するのは難しかった。
また物語の中から。
・・・・・あらゆる幸せは悲しく、悲しみはまた喜びなんだから。そして全世界の未来を見るがよい・・・・・それも来週とか来年などでなく、何千年も先の未来、何万年もはるかかなたを。・・・・・・ドリームタイムでは、過去と未来が、何の矛盾もなく、現在に溶け込むのだ。・・・・
・・・・ずっと昔、白人がこの土地へ来て、発見者はおれだ、といった。われわれ黒い肌の人間が、ドリームタイム以来ずっと住んでいたにもかかわらず。わたしらは大地の恵みを受けて生きていたから、彼らがもたらしたものは、何一ついらなかった。かれらは何をもってきたのだろう? われわれにはなかった病気だ。・・・・・
・ ・・・太陽は、オーストラリアの広大な砂漠の上空に昇りつつあり、ウルルが燃えている。明けていく一日への思いに熱く、しかもこの大地ばかりか日本やアメリカなど至る所で死んだ者の血にどっぷり赤く染まったウルル。・・・・・
ライブラリー「ドリームタイム」の、一句、一節を頭の隅に置きながら、この2月、私はウルルに旅をした。うれしい、素敵なときをすごした。私なりの「ドリームタイム」。深い、遠い、畏怖さえ感じる瞬間があった。言葉にならないものも、「絵」にしてみよう。・・・わたしのドリームタイム。
先日、ウルルの登山が禁止されると報じられた。うれしいことであった。守らねばならぬものは、大切にしよう。

「ドリームタイム」・油絵・30号
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3年前、フラのダンサーと、弾き語り、ボーカルの人が中心になって作っているフラのサークルに出会って、その一員に加わった。そのとき、ウクレレを弾いてハワイアンソングのリズムを作る仲間を見て、楽しく思い、彼らのすすめもあって、ウクレレを買い求めた。周囲には、ギターもウクレレも弾ける人がいるので、初歩のことは教えてくれる。優しいコードを覚え、知っている歌を練習した。初めは、それでよかったが、・・・・
もう何年も弾いていて、彼らのほとんどが独学でやっているので、ウクレレなんて、「弾けるもの」「練習すればいい」くらいに思っているのだろう。いや、それも思っていないくらい、「私のウクレレ」からは気が薄れてしまった。しかも毎週の集りは、フラのほうが大切なものになり、一生懸命練習するので、ウクレレの時間はなくなった。
もう少し、ウクレレを自分のものにしたいなあ、と思って、時々練習する私は、適当な練習書もかってやってみるのだが、自分の出来る程度のやさしい曲をコード伴奏をつけて弾いても、なんと言うこともない。単に弾くだけ。何の喜びも沸いてこない。バンドをやっている仲間には、元ラボっこもいるのだが、「何が分からないの? それは、***だよ。 ここは、こういう感じ。 うん、それでいい。」と言うように、何でもたずねればいい、何でも教えてくれると言う状態があるとは言うものの、私には、「解る」というものではない。ウクレレの楽しみを見つけることが出来ないまま・・・・・日が過ぎて・・・
そうこうして、私は、「ウクレレは、所詮は伴奏楽器だし・・・・メロディーを弾く楽器じゃないし・・・・」と、力を入れなくなっていた頃、出会いがあって!
ウクレレの1day lessonを受けた。やっぱし、違った。先生のウクレレの音色にも魅せられる。「弾ける人」と「教える人」との違い。当たり前のことだが、私には、これが近道。
レッスンを受けることにした。テキストもうれしい。市販の本では私の見つけられなかったものだ。曲の音符と、コード、ウクレレのダブ譜、ソロ用のも、ついている。ウクレレはコード伴奏だけでなく、練習すれば、メロディーのソロ演奏も出来る。と、明るい大きな?夢を持ってウクレレを愛するようになった私である。喜んでいるのは、かわいがられるようになった私のウクレレであろう。
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宝塚・月組公演の「エリザベート・愛と死の輪舞」を見てきた。特に今回は、午後の本公演と、夜の新人公演と両方見てきた。新人公演とは、7期生以下の人たちで、同じものが演じられる。だからトップからの役が、ずっと下に降りてくるのだ。ラボっこだった「響 れおな」を応援してきて、彼女も今年は6期生。もうそろそろ新人公演を見ておかなければいけない。「雰囲気も違うし、おもしろいから一度見てください」と彼女のお母さんからも言われている。
宝塚は水曜日が休日。だから新人公演は火曜日の夜と決まっている。公演中の中ごろの一夜、たった一回の公演のために新人公演に出演する彼女たちは、一生懸命練習してくる。
::: 物語・エリザベート:::
19世紀末、オーストリア=ハンガリー帝国皇妃エリザベートがイタリア人アナーキスト、ルキーニに殺害された。ルキーニは、エリザベートは「死」と恋仲だった、彼女自身が死を望んでいたのだと言い、自分の行為を正当化している。それを証言するため、霊廟からその時代の人たちを呼び起こすが、最後に黄泉の国の帝王トートが現れ、エリザベートを愛していたと告白する。
1853年、バイエルン王女として自由を満喫していたエリザベートは、綱渡りをしようとしてロープから落ち、意識を失う。冥界に迷い込んだエリザベートにひと目ぼれしたトートは、エリザベートにその命を返してやり、彼女の愛を得るまで彼女を追い続けようと決意する。こうして、「愛と死の輪舞」が始まる。
皇帝フランツ・ヨーゼフと結婚した後、皇后教育や、古いしきたりに失望し、命を絶とうとする彼女に、トートがあらわれ、「死」は、逃避の場所ではない。「愛」がほしいと言う。エリザベートは「死」を愛することは出来ない、と何度も追い返し、自分の人生を強く生きようと決意するが・・・・・最後にトートの存在に気づきその愛を受け入れる。::::::
「エリザベート」は宝塚では7度目の上演。現在の月組トップの瀬名じゅんさんは過去にルキーニ、エリザベートを演じ、3度目の今回、トートを演じると言う、エリザベートの生き証人のような人だ。この公演での「響 れおな」の役は、「黒天使」。宝塚の演出によってつくる役だと思うが、私には特別に勝手に解釈がつく。彼女が私にメッセージをくれた。「黒天使を通じていろいろなことが表現できるようがんばりたいと思います」と。トートが現れると、常にその周りで、トートの怒り、嫉妬、愛、・・・それはそれは複雑な感情、などなどを表現し続けるのだ。私はラボのテーマ活動を考えずにはいられなかった。彼女も、宝塚に入ったすぐの頃、「ラボのテーマ活動で、いろんな役をやったことを思い出します」と言っていた。
さて、新人公演では、トート役は「明日海 りお」。響 れおなの役は、ツェップス(革命家の一人)。客席は満杯。本公演より観客の気持ちが温かい。〔気のせいか〕特別に応援している人たちが多いのだろう。物語は分かっているので、余裕を持って、一人ひとりを見ることが出来る。「ああ、あそこをこのように表現するのか、」とか、本公演とは一味違うところも楽しく見られる。初々しさがあると言うか、かわいらしさもある。しかし、うまい!
先輩たちから学び、役をもらったプレッシャーとも戦って、必死に演じる。こうして成長していくのが、宝塚の魅力か。とも納得したのだった。
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ラボっ子のお母さんとして出会ってから40年のお付き合いになるYさんのうちは、元は専業農家。私の家のすぐ近くにも、Yさんの畑があり、私がラボ・パーティを開講するとき、まだ家がまばらなこの地域に私は、張り紙をした。畑仕事に来たYさんは、それを見て、私のMSにきてくれて、Yさんの子ども二人が入会した。うちの第一期生だ。そんなお付き合い。
今ではこのあたりの土地で農業だけをやっていくのは、大変だと言う。だから勿論息子たち若い夫婦は別の職業を持ち、日常の仕事として畑仕事をするのは老夫婦の仕事となる。
Yさんからは、いつも新鮮な野菜が届く。つい最近は、かわいいにんじんが届いた。「これは、普通は、捨てるのよ。でもね、いためて食べれば、おいしいから」と。
私は毎年もらうので、「あ、またこの時期になったのだ。うれしい。」と思う。間引きをされたにんじん。〔太さ1センチもないくらい〕この葉先は、やわらかくて、Yさんの言うようにごま油の風味を生かしていため煮にするのもいいし、私はさらに、パセリ代わりにサラダのトッピングにしたり、チジミ風にやいたり、遊び心で、かわいいにんじんをその姿のまま塩茹でして添えて楽しんだり・・・と、こんな栄養をたっぷりと楽しみながら取らせていただく。
さらにこれに続く楽しみは、きっとしばらくすると、少し大きくなったにんじんが(太さ2センチくらいか)間引かれて、届く。それから、「あ、こんなに大きくなったのね」と言える立派ないい姿のにんじんが届く。(これがスーパーに売っているにんじんの形)・・・それから、次には、最後のにんじん、大きくなりすぎたり、先が二股になったり、実りすぎて割れてしまったり、・・・Yさんは「いいところだけ食べてね、捨てていいよ」と言って、置いていく。私は、「ありがとう、ありがとう」と感謝、感謝で、いただいた野菜はすべて、新鮮なうちに調理して、冷蔵、冷凍を利用して、うまくいただくようにしている。一本のにんじんにも相当の労働がかかっている。にんじんの生育と、Yさんの仕事を感じながらの食卓は、温かいものがある。
私は、「商品は持ってこないでね」と言うのだが、二股になった太った大根や、大小さまざまの泥のついたイチゴや、曲がったきゅうりなど、いろんな顔があったほうが楽しくて安心できる。本当はスーパーに並んでいる、綺麗な規格品のような野菜のほうが不自然なのだと思うけれど、それはそれで、そのような栽培方法と規模で、また現代の流通のあり方で、手に入るようになっているのだから、ありがたいことではあるが、自然、大地の恵み、そこにわれわれの生命が維持されるのだということは忘れてはならない。
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最近、孫世代、小さい男の子たち、幼児のお客様を迎えた。一度は、元の仲間、テューターのお孫さん。次は姪の子どもたち。
「電車が大好きなので、お弁当もって、遠足気分で連れて行くわ。」といわれたS君たちには、私もテューターの持ち寄り弁当を懐かしく思いながら、お弁当をこしらえた。小さく小さくおにぎりを作り、お花の形にきったピンクのソーセージに緑のスナップエンドウ。彼からのおみやげは、ぐるんぱの大きいクッキーだった。ラボルームでお弁当を食べた後、風の強い日だったけれど、近くの公園へ出かけた。昼過ぎの小さい公園は、ウイークデイなので、誰もいない。すべり台、ジャングルジム、芝生の小山、みんな独り占めできる。好奇心の塊の小さな王子様は、何をやるにも、慎重さと、ためらい、勇気をいり交えながら、どんどん挑戦。すべり台の滑り方も、一回目、二回目、三回目とやり方に変化があり、進歩していくのが面白い。自由に遊びの工夫が出来る芝生の小山も、階段を上まで上れば、彼にとっては、すごく高い山のようだろう。どう降りようかと、迷い考えて、一度おしりで滑り降りることを試すと、もう、楽しさのとりこになる。側の大人も、本当におかげさまで、元気をもらう。
連休にお泊りで来た3歳と1歳半の男の子二人には、私たちはやや緊張した。まず、1歳半の行動範囲を考えて、そのあたりに、はさみや棒類、口に入れそうな小さいものをおかないように片付けた。
食事は、大人用にはこの土地らしく、味噌カツ、とんかつ、季節の木の芽田楽やふきみそ。子供用にはアメリカン・ドッグ{お魚ソーセージにホットケーキミックスをまぶしてあげる}サツマイモ、1歳半にも食べられるように、サトイモ、にんじん、厚揚げ、きのこなどの煮物、若いママには野菜サラダも必須。などと準備した。
小さいお客様にとって、初めて訪れるうち。どんなところ?どんなひとがいるの?興味津々。長いドライブでやっと着いた。「こんにちは」「いらっしゃい。よくきたね」・・・はじめて見るおばちゃんと、アイコンタクト?・・・大人たちが車から荷物を降ろしている間に、すばやく、まずは家の中を探検。私が用意しておいたぬいぐるみの箱を見つける。手作りサッカーボールが気に入る。・・・まずは、手を洗いましょう。踏み台がいります。
冷蔵庫についている、マグネットも興味がある。二階にも上がってみたい。電球から下がっている紐も、引っ張ってみたい。よそのおうちは、彼らにとってはめずらしいものばかりだ。
小さいお客様たちは、目が澄んでいる。この目で、自分の触れられる新しいものを、どんどん吸収していく。心の中はぱんぱん。初めて訪問したおうちのこと、おばちゃんのこと、いっぱい詰め込んで帰って行ってくれたと思う。
私は、予定が決まってから、その人たちのことを心に留め頭において、いろいろ用意する時間が好き。そして、帰られた後のやれやれ感と、さわやかな思い出となる満ち足りた感じが好き。お互いに触れ合える喜びが人には大切。
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木目込み(かぶと ・こい)縮緬細工の童をのせた鯉
布の折り紙風かぶと
4月になると、ボツボツ鯉のぼりが立ち始める。近頃は気温が常識どおりに推移しなくて、桜の開花かと思えば寒くなり、満開となれば初夏の暑さとなり、人間だけでなく花々もその調節に大変だ。とはいっても私は日本の四季の移ろいは、生活に色を添えてくれてその豊かさが大好きだ。
節分を過ぎると、春を待つ気持ちをお雛様に託して、部屋のあちこちにつくり雛を飾り、ついでに人形を飾って(元ラボルームに)人形展をやる。桜も咲いて春本番、お雛様を片つけて、次は若葉の5月。
また来年もよろしく、と、一年間邪魔にならないように、そして来年飾りやすいようにと、その段取りも考えて片付ける。
すると、もういらないな、と思うものに気がつく。
不用品の処分には私はうんと手間がかかる。何か役に立つものにならないかと、ひらめきがあるまで、どこか目に付くところにおいて考える。今回の問題物は、人形展用にと、作った敷物。これ自体がすでにリホームもので、お嫁さんの打掛で作ったもの。2枚あるので、一枚は要らないと思った。というより、これは今すぐ作り変えたくなった。お雛様の片付けからの続きに忙しいことになった。
やがて5月の節句。そうだ!こんな飾り物を作ろう。ひらめいたのは、折り紙のかぶとを参考にした「かぶと」つくり。打掛の織物の布は、金糸、銀糸を交えた刺繍も多く、なかなか利用のしどころがない。試行錯誤してひとつ作り、二つ、三つとだんだん上手になって、布のあるだけどんどん作ってしまうことになる。また、あの人に、あのグループの人たちに・・・・とプレゼントする人を考えるといくつあってもいいわけだ。いらなくなった布が、あちこちのうちの片隅で、ひそかに季節感と日本の織物の存在を感じさせていてくれたらいい。
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