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高原のテラス
金色の光が窓を明るくしたので、私は目が覚めました。リキさんはまだ寝ています。
私は小屋のテラスに出ました。さわやかな高原の朝です。木々の高いところで、小鳥がさえずっています。近くの小川のせせらぎが涼しく聞こえます。何度来ても、気持ちよく、このテラスの椅子に坐ってすごす時間は、至福のときなのです。街の日常の我が家とは気温が、10℃は低いので、真夏でも快適に過ごせる場所なのです。
「あぁ、今日もいい天気だ。静かな朝だなぁ」
リキさんが起きてきました。
テラスの私の足元に大きなありが三匹のぼってきました。手すりの下を、とかげがするするっと走りました。少しはなれた木の枝がゆれました。リスが枝から枝へうつって、すぐにすがたが見えなくなりました。
いつまでもテラスでぼんやりしているわけにもいきません。朝食の用意をしなければ。・・・でも、
「やっぱり、テラスのほうがいいわねぇ」
と、言いながら、外に朝食を運んで、朝の風を感じながら、コーヒーをのみました。
下の道路から車がのぼってきました。うちの小屋の前を通りすぎ、もっと奥のほうへ上っていきました。そうです。今日は土曜日。別荘地の人口が増える日です。うちも同じようにチコちゃん一家が来る日です。
「今日、彼らはいつくるんだ」
「高速が順調ならば、お昼頃には来るでしょう」
日差しが強くなってきました。・・・来た来た。チコの車がのぼってきました。
「やっと着いた。・・・こんにちは」
「いらっしゃい。よくきたね。」
テラスの足音が急ににぎやかになりました。
昼はバーベキュー。そのあと、スイカわり。虫をとったり、花や葉っぱを押し花にしたり。
テラスの上は、十本の足が、サンダル、スリッパ、靴の音などを立てながら行ったり来たり、とんだり、ころんだり。やかましくて、楽しいこと。
一日がすぎて、電灯のついた小屋の中が話し声と笑いでいっぱいになったころ、テラスには月の光が、さまざまに木の葉で模様を作っています。真っ黒い木立の姿、濃紺の空には星がいっぱい。静かなテラスは、また明日の楽しさを待っていてくれるでしょう。
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先日、突然一週間入院することになった。なんだか腰が痛い。夜も鈍痛があって眠りにくい。と言いながら、フラをやったり、山菜取りに行ったり、と動いていたら、急に寒気がして熱が出た。風邪かと思って解熱剤を飲んだら、熱はひき、腰の痛みも取れたかに思えた。ところが、一日のうちに何度も熱が上がったり下がったりする。これはおかしい、と総合病院の検査を受けたら、「腎盂腎炎」と言うことで、入院となったのだ。
抗生剤の点滴と安静を目的、と言う比較的気楽な病人だから、6人の大部屋で、一週間動きっぱなしだった体を休めることにした。土曜日の午後、726号室のAさん、Cさん、Dさん、のつぎFさんとして私はベッドに収まった。何もしなくても食事は運ばれるし、検温や点滴に対応すれば、ベッドの上では何を考えていようと自由だ。病院の一室でも結構な社会が見えてくる。
土曜、日曜と言うのは、普通病院は休診、救急車も受け入れない病院もあると言う。この総合病院はすべて受け入れることになっていると言うので、本当に救急車の音が鳴り響いていた。
土曜の夜遅く、部屋にBさんとなるおばあさんが運ばれてきた。孫たちが「おばあちゃんが倒れた」とあわてて連れてきたようだ。日曜の夕方、私の隣のベッドにEさんとして60代くらいの奥さんがはいってきた。これで部屋は満杯。
月曜になると、私はちょっとびっくりした。当たり前ではあろうが、病院内のスタッフの数がどっと増えた。土曜日に入って2日間少しのんびりしていた私はこれが病院なのだと悟るのだった。
「**さん、CTとりにいきますよ」「++さん、採血したあと今日は耳鼻科の検診があります」と次々呼び出されていく。のんびり寝ていられるのは私だけ。Cさんと、Dさんもすでに手術などしたあとらしく、退院も近いようで、少しのんびりしていた。
私の前のAさんは、おばあさん。オムツをしている。どこが悪いのかは解らない。看護師さんに「おなかがはる」と訴えている。おむつ交換をしてもらいながら、「でてる?」ときいたりしている。その感覚もないのだろうか。
そのAさんに、看護師さんがいってきた。「Aさん、明日退院だよ。」 「へエー。私そんなこと聞いてない」 「ご家族の方が決められたみたいです」と言う感じ。私も「へー」と思って聞く。
次の日、カタカタカタと車椅子を持った女性がやってきて、「Aさん、おまたせー。さあ、行こう。」 「アレ、娘は?」 「娘さんはね、来ない。都合が悪いと言われたので私が来たの」といいながら、この女性は手馴れた様子で、着替えをさせ、荷物を持たせて、車椅子に乗せ、さっさと帰っていった。
日常介護を必要とする人が、少し医療が必要で入院していたのか。このおばあさんは自分のうちに帰れるのだろうか。
日曜の夕方はいってきた隣のベッドの奥さんEさんは、火曜日になっても水曜日になっても、相変わらず検査、検査。どこが悪いか解らないという。私も熱が下がり退院のめどもついて、元気になったので、お隣さんと話したりした。
彼女はめまいがして、体重がどんどん減るので検査をしてもらうために入院したと言うのだが、とにかく、私が思うに、「心配性。いまはやりのサプリメントの飲みすぎ。」なのだ。その上、大切な食事がおろそかになっているように思った。
自分の体は自分の責任。健康と言う宝物は誰もが持つ権利がある。自分でそれを損ねないよう、食事で栄養バランスを考え、必要な休養はしっかり取るようにしよう。
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よくばりな犬(再話・・イソップ物語から)
「兄き、よぅ眠ってましたね」
「うん。今日はこんなにいい天気だろ。朝から行楽客が多くてな。昼めしは、サンドイッチやソーセージなど腹いっぱい食えたよ。イケメンのおれには、かわい子ちゃんがいっぱいよってくる。 いい顔してるね、とか、毛並みがいいとかいってな。 そのうち、ペットショップではいくらくらいするだろうとか、うちにも番犬が居たほうがいいからつれて帰ろうか、などといやがって。ごめんだよな。 縛られて、ご主人様のご機嫌とって、ドッグフードばかり食わされてさ。おれはここで暮すのがいい。天気まかせ、運まかせ。自力で生きていくよ。」
「そうですかねえ。ぼくは、あったかいおふとんで眠れたり、かわいがってくれる家族があったほうがいいです。 そんな家族に出会いたいなあ。」
山里のうろのある大木の下、二匹の野良犬が、昼下がり、それぞれの犬生観を語っていた。
夕方、二匹はそれぞれに散歩とえさあさりに出かけた。兄き犬は村のほうへと。
「あゝ、今夜は村祭りがあるといってたな。 屋台が出るぞ。」
小さなお宮の境内では、祭りの準備。屋台も並び始めている。
「おっさん。眠ってちゃだめだよ。肉を一枚もらうよ。」
お好み焼きやの裏から肉をくわえた犬は、しめしめとよろこんで家路を急ぐ。
「近道して、この丸木橋を渡っていこう。・・・おや、ちょっと待て。・・川の中にも大きな肉をくわえたヤツがいる。何で水の中でじっとしてるんだ。
へんなヤツ。 あいつの肉もほしいな。あの肉のほうが大きくて、うまそうだ。 なまいきに、じっとこっちを見てやがる。・・・・・おい! その肉をよこせ!わーん!」*****
「あれ?肉が流れていく。お・れ・の・に・く。」
あきらめきれない欲張り犬は、なんとなく肉の流れていく川下に歩いていくが、
「バカなことしたなあ。しかし、もっとばかなのは、あいつだ。流れていく肉をポカーンと見てたなあ。水の中にいるのに、なぜすぐにとってくれなかったのかなあ。」
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ふしぎなあかいいちご
女の子の家は、おいしい高原野菜を育てている農家です。もうすぐイチゴを出荷する頃ですが、今年は、様子が違います。はるがきたぞ!とイチゴが大きくなると、また雪が降りお日様が出ないので、イチゴは赤くなれません。女の子は、家族や、近所の人たちの困っている話を毎日聞いて、どうしたらいいのだろうと思っていました。
女の子も心配になって、昨日も今日も畑を見に来ています。イチゴ畑には、うっすらと雪がかかって、イチゴはかたいうす緑色のままです。
足元の雪が、バサッとはねあがりました。かわいい野うさぎが現れました。ウサギは女の子を見てびっくりして逃げようとしましたが、女の子がやさしくしゃがみこむので、ウサギもじっとしていました。
「ウサギさんも、イチゴがほしいの。まだ食べられないね。今は、こんなものしかないけれど、食べる?」
と、いって、女の子はポケットに入っていた食べかけのパンを出してやりました。ウサギは、それをくわえて走り去りました。
次の日も、次の日も、風が吹いて寒い日でした。女の子は今日も心配そうに畑に来ていました。すると男の子が現れて、女の子の方に近づき、もじもじしています。
「あの・・・。これ。」
と言って、差し出したのは、赤い手袋でした。
「わあ、かわいい。わたしにくれるの?」
女の子はよろこんで手を入れてみました。なんだかしっとりとした肌ざわりです。
男の子はいいました。
「この手袋で、イチゴをやさしくなでてください。でも、おねがいです。この手袋は、この一つしかありません。君と僕の秘密として、みんなに知らせずそっとやってください。」
女の子は、何か不思議な気持ちになりましたが、その手袋で、イチゴをくるくるとなでていきました。だんだん手袋は薄くなり、指が出てきます。それでも女の子は一生懸命。隣の畑も、つぎの畑も、手袋の小指までなくなり、ほんの少しの赤色がなくなるまで、イチゴをなで続けました。
次の日、みんなは畑を見てびっくりです。イチゴが収穫できるので大喜びです。みんなが忙しく働いていると、また、男の子がそっと立っています。
「おや、近くに引っ越して来た子かねえ。はじめて見る子だね。」と、隣のおばさんが言いました。
女の子は、
「私の友達なの」
と、言って、急いでイチゴを袋に入れて、男の子に渡しました。男の子は、お礼を言ってすぐ立ち去りました。どの道を通って帰ったかは、わかりませんが、夕方、高原の上のほうで、三匹の野うさぎが元気に飛び跳ねているのを見ました。
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宝塚月組でいま公演中の「スカーレット・ピンパーネル」を見てきた。これはイギリスの作家、パロネス・オルツイの小説を元にブロードウエイでミュージカルとして上演された。その初演から十年後くらいに宝塚の独自のミュージカルとして2008年に初演され、このたび2度目の上演であった。
18世紀末のフランス、パリには革命の嵐が激しく吹き荒れていた。そんな中、革命政府に反感を抱くイギリス貴族のパーシー・ブレイクニーは、誰にもその正体を見破られることなく、無実の罪で命を奪われていく貴族たちを救い出し、フランス国外へ逃亡させていた。その男の名は、スカーレット・ピンパーネル。 宝塚らしく展開されて、ある部分には喜劇的面白さも含まれて、楽しいミュージカルだった。
会場は満席で、いつもよりご夫婦が多いな、と思った。その筈。今年96期生として、宝塚音楽学校を卒業し歌劇団に加わった新人たちの初舞台でもあった。開演の最初に制服の袴姿で全員が並び、口上を述べる。そして最後に、「よろしくお願いします」とお辞儀をする。その頭を下げる高さ、上体の角度が見事に一直線にそろう。ラインダンスで見事なマスの美しさを見せてくれる彼女たちには、「そろえる」「一丸となる」ことは、日常的訓練かもしれないが、自由に表現できる演技者として、育っていく人たちが、マスで見せてくれる美しさも貴重なものである。
もう一つ、このとき、私の胸を熱くしたのは、6年と言う歳月である。私の応援している「響 れおな」は、元ラボっこ。6年前、90期生としてこのように初舞台を踏んで、タカラジェンヌとして精進してきた。
初舞台は、「スサノオ」。そして「スカーレット・ピンパーネル」まで。よく努力してきた。パンフレットに載る顔写真が、だんだん大きくなっていく。責任ある役がつくようになったのも楽しみ。彼女がいる限り、私の宝塚観劇と応援は続く。
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4月に入ると姫路城の修理が始まると言う。「そうですか。」「へ~」という感じでよかったんだが、「しばらくの間(多分4,5年)あの綺麗な天守閣が見られません」と言う旅行会社の宣伝文句にのってしまい、バスツアーに申し込んでしまった。しかもうっかり土曜日を選んで。
先週土曜日、バスは8時半に出発したのだが、土日の高速千円の影響もあるのか、京都、大阪あたりを通過するにはのろのろの渋滞を辛抱し、やっと姫路市についたころには、また、各地からのバスの多さにびっくり。桜の花と、天守閣の美しさを我が物にして楽しもうと思ったのは、なんと甘い考えだったのだろう! 当たり前のことではあった。これくらいのことは、誰でも考える。 つぎに、バスツアーという旅行会社の安くて、坐っていれば目的地に着くと言う親切な商売にのってしまったこの大勢の人びと、しかし、まさにその、ひ・と・り・である自分に、おかしくなってしまった。
よし!もうこの大勢の人で埋まった姫路城を楽しもう!と許された時間の混雑をそれなりに楽しんだのである。
4百年前の美しさは、見事にそこにある。大手門を入るところから塊の人の列。入場券を出して入った頃、すでに一時間がすぎる。天守閣にのぼるのも、また長蛇の列。
今週の土日も、さらに多くの人が、天守閣に殺到するのだろう。歴史を知り、歴史を感じ、桜とお城の美しさに心を豊かにする人々。平和で幸せ。
何年か先に、さらに美しい姿を見せる姫路城。そのときは、静かに城内を散策して、花と白鷺の姿を心ゆくまで愛でたいと思うのだが・・・・・。
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たくさんの方に見ていただいて、盛会裏に終わることが出来、会員たちは、気分よく後片付けをすることが出来た。年々進歩しているのだろうが、ずいぶん評判がよく、会場の声はわれわれを喜ばせ、励みになるものであった。ご案内を出して、見に来てくださる方たちは、遠方の方や、普段なかなか会えない人たちなど、絵を見てもらって、旧交を温めることが出来る本当に幸せな日々であった。
そんな方たちの声から、この会の特徴をみてみると・・・・
明るい感じ。色使いがいいね。(そうです。みんな楽しく描いているので、明るく、濁りのない綺麗な色が出ています。)
いろんな絵があって楽しいね。(そうです。一人ひとりの個性が活かされてそれぞれ好きなテーマで自分のタッチで描いています)
旅行に行くだけでも楽しいのに、そこを絵に出来るなんて、本当に楽しいこと。そうです。絵を描くことは、構想を練って描いて、眺めて見て頂いて、幾重にも楽しみがあり、本当に幸せなこと!
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一明会絵画展 2010年3月4日(木)~9日(火)
会場 ロイヤルホール3F(岐阜市日の出町)
同じ趣味を持つ仲間が集り、それぞれの個性で作り上げた作品を隔年に発表して、16回目を迎えました。今回も是非ご高覧いただけますように。
出品予定作品
街の広場・コペンハーゲン・油絵・30号
漁港の町・オランダ・マルケン島・油絵・30号
ドリームタイム(アボリジニ文化に思いを寄せて)油絵。30号
河畔の風景・ルッツェルン・スイス・油絵・10号
時計と少女(マイセン人形に魅せられて)油絵・4号
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「あけましておめでとうございます」・・・と言うご挨拶。今年、私は何回言ったであろうか。
何年か前は、「あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします」とゆっくりと挨拶を交わしていたものだ。これが近所隣の人たちとの間で、3日であろうが10日であろうが、松の内(15日)なら、始めてあった方とは、挨拶したものだ。それがだんだんバカ丁寧に思われそうになって、「旧年中は・・・」をはぶき、「明けまして・・・・。ことしも・・・。」で済ますようになり、松の内と言う考え方も、今は7日、いや、三が日くらいの感覚になってしまった。
時があわただしく流れる現代、人の感覚も変わり、新年の過ごし方も考え方もさまざま。隣近所の人と出あったのは、4日ごろ。となれば、もう「おめでとうございます」と言おうと思っても、まどろっこしく思われそうで、双方お互いに「今年もよろしくお願いします」で終わってしまう。昔から言う「言霊の思想」を考えれば、もっともっと「おめでたい」気持ちをこめて、「おめでとうございます」と言ってもいいのでは、と考える。
そんな気持ちでいたころ、喫茶店にいると、元ラボっ子の子ども、5才と3才が、かわいい大きな声で、「あけまして、おめでとうございます」と言って寄ってきた。これこそ、新年にあたって明るい年を希望に満ちて迎える挨拶であり、子どもの生命力あふれる声だと、うれしくなった。そして、そうした若い家族がいることも。私はハンドバックからそっとぽち袋を出し、お年玉を入れた。
ぽち袋。改まったときは熨斗袋をつかうが、私はこのぽち袋の感じが好き。
年末年始には戴き物の菓子箱も多い。菓子箱には、それぞれの店が誇る掛け紙が掛けてある。その店の歴史を思わせるものや、お菓子の起こりを想像させるもの、または季節を表すものなど、その店のさりげない工夫があると私はこの上なく、うれしい。捨てがたい気持ちがする。そんな紙を、私はすぐに小さい袋(ぽち袋みたいに)にしてとっておく。時には手紙を入れて封筒にも。
1月も20日。すべてが普段のペースで進みだした。今年もたくさんいいことがあり、いい事を見つけ楽しむ余裕を持って日々を送りたい。
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フラをはじめて4年目。その仲間たちがウクレレを上手に弾いて楽しむので、私もすぐに買い求めた。上手な仲間にコードを教わり、初心者用の本を買って練習した。童謡から始めて、だんだんフラで踊る曲も練習していた。
ところが、そのサークルは、フラの練習が主で、余りウクレレの練習は出来ない。そして練習と言うのは、やはり間じかの目標がいる。そんな時一枚のチラシを手にして、体験レッスンをのぞいてみた。そのレッスンに魅力を感じた私は、その大人の音楽教室ウクレレの部に入会。そうして6ヶ月目、ウクレレの魅力は私をとりこにする。
もらった楽譜は、「ウクレレ第九・ハワイアン」。何回もコーラスで歌ってきたお馴染みのメロディが、ウクレレで弾けるのだ。私はフラの仲間に自慢したくなってしまう。
先生の編曲、アレンジは、6パーツに分かれたアンサンブル形式。毎週の練習で追加される第2パーツ、第3パーツ・・・・の楽譜をたどたどしく弾きながら、・・・・最後に私の選んだパーツは、第2パーツ。メロディの途中から、オクターブ上を弾いてハモる、というもの。別々のクラスで練習しているメンバーが21人。本番に初めて一緒になり、緊張しながら、リズムを合わせて、調和したメロディを生み出すのは、最高の快感。楽しかった!
駅ビルのオープンスペースで、クリスマス近い一日を、ギターとウクレレのスペシャルライブで楽しんだ。クリスマスには、家で、ソロで「Silent Night」を弾く。私の目的は、「ソロで弾きたい、ウクレレ」なのだ。年末は、第九とSilent Night , Holy Night で暮れる。いい年がめぐり来ますように!
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