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最後のプレイルーム♪♪
昨年5月に出会い、6月からママとさらちゃんと、たった3人で始めたプレイルーム。約10ヶ月でお別れです。パパのお仕事のためにママのご実家のある金沢へ帰ることになりました。
たった10ヶ月のラボでしたが、たくさんの喜びを与えてくれました。またママもとても素直に何でもTRYしてくださり、抱っこからスタートしたさらちゃんですが、最近ではお歌も歌えるようになりました。
お気に入りにのSBは
♪・・Good Morning. 小鳥さんになって歌います。
♪・・Hello !! 最後のはろ~~でジャンプがお気に入りです。
♪・・Fruts Song. おもちゃのフルーツで遊びました。
♪・・Animal Talk.動物の鳴き声がお気に入りでした。
♪・・Seven Steps. リズム感のあるSBが大好きです。
そのほかたくさん、すこし~~ずつ声が出るようになってきたところです。
ナーサリーライムもいくつかお気に入り。今日は最後に
♪・・Polly put the Kettle on.
テーマ活動(ごっこ遊びは)「だるまちゃん」「ガンピーさん」「お母さんの誕生日」「春風トプー」など。
絵本も毎回読みました。まだまだじっと聞いているところまでは行きませんが、お気にいりは、自宅に持ち帰って、ままが再度読んであげてくださいました。
たった10ヶ月の間でしたが、さらちゃんとママの出会いは素敵でした。
ひろば@もパパやパパのご実家のご両親も見てくださり、成長を楽しみに、見てくださったとの事です。
先先週は大阪からグランマがたずねてくださり、体験をされて納得して帰られました。春を探しに一緒にお散歩にも行きましたよ(^0^)
お土産は、KIDDY BOOKと100円ショップで買ったA、B,C パズル??かな。
金沢に戻られても、すぐにプレイルームを継続したいとの事で、PARTY
を紹介してもらいました。こういう話はとてもうれしいですね。
またいつかどこかであえるといいな~~。
{春は出会いと別れの季節}残念ですが、
さらちゃん元気でね(*^-^*)
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夕方からのKIDDY &小学生グループ。先週の様子では発表までかなり厳しい、状況でしたが、みんなの頑張りはすごかったです。少し薬が効きすぎたかな???と思うくらいでした。その気になるまでが大変なんですね!!
発表まで後4日。できているところ、まだもう一息というところを確認して後は発表までのお楽しみというところです。
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春の集いに「ひとつしかない地球ひろば」のチラシをつかいました。
第二部・・・英語劇の発表と書いておいたところ、見てみたいという問い合わせ!!Nのような教室ですか??いえいえまったく違います!!
会費は??などなど質問もいくつかあり、当日見に来てくださるとの事
です。思いがけない反応に少しうれしい気分です。
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もうすぐやってくる、赤ちゃんのために今日は、部屋の大掃除?
足を痛めているので、司令塔であれこれ注文をだし、何とか温かい天気のうちに、終りました。動くな!!といわれてもついつい歩いてしまい、そのたびに怒られています。骨がくっつかなかったら大変なことになるんだからと、洗濯から食事の用意まですべて、夫がこなしてくれます。何もしないでいるのも退屈なものですね。かといってこういうときは本もあまり集中できず、けっきょくは、WBCのテレビ中継を見ながら一日を送りました。久々いい顔の男たちに出会いました。。王監督もナイスでしたね(^0^)もちろん夫も一緒に観戦。
本来なら日比谷の集いに出かけているはず。残念です。
高大生はそれぞれ「集いに」向けて準備しているようです。時折入るメールに返事をしたり、電話で話したりとそれなりに仕事はあるのですが、肝心のあいさつ文がかけていません。明日当たり、催促がくるだろうなとおもいつつ。
夜はNHKで『テレビとインターネットの融合』という特集番組を見ました。最近よく聞かれる言葉ですが、すこお~~しわかってきました。
インターネットも、もう少し活用してみようと思った次第です。
フランスへ行ったTaku のため、フランス語の「ワフ家」と「ポワンホワン」を送ってあげようと思いつつ、こちらもまだてつかずです。
自分で歩いて外出できるようになるまでには、まだ時間がかかりそうです。明日はPARTY!!!大学生がヘルプに来るようです。
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ホテルをチェックアウトして1人病院へ。男性軍は仕事です。
早すぎるので時間をつぶそうにも、靴が履けず思うように歩けない私。仕方なしにタクシーで病院へ。
生まれたばかりの赤ちゃんが並んでいます。どの子かな???と窓の外からみているうちに、授乳を終えた娘がでてきました。一生懸めいおっぱいを探してもまだうまく飲めないようです。3時間おきの授乳で訓練です。
母親になるという事は大変なことなんだと娘もひしひしと感じ取ってきているようです。
病院は携帯禁止なので、時折メールのチェックに外へでたり、こっそり写メールで、パリへ送ったりとこそこそやってました。
「つどいの」けんでメールがいっぱいたまっていました。プログラムの原稿書いてください・・・とか。
これでようやく発表会に専念できます。在籍表彰も書かなくてはなりません。でも足は痛くても手は動きますから(^0^)。 今日病院から帰ってその足で医者に回りました。昨日の事情を話すと
仕方ないけれども、腫れがひどくなっているよ!!動き回らないことと釘をさされました。
明日は「国際交流のつどい」参加者は珍しくゼロなんですが、激励テーマ活動の発表を地区のPARTYが出します。「ヘルガの持参金」応援に行けないことのお詫びと、思い切り楽しんで発表してきてくださいとお電話しました。
昨年秋3Pが「ヘルガ・・」をとりあげ、そのうちのひとつのPARTYです。
本当にいけなくて残念です(><;)ごめんなさい!!
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またまたプライベート日記で恐縮です。
土曜のPARTYも、いよいよ本番へ向けて仕上げ段階にはいりました。
一方では、次女の出産が近いので、冷や汗ものでした。
朝から少し様子が変と電話があり、様子を見ながらもしかしたら途中で消えるかもね!!とPARTYです。
入院がきまったら電話しますと婿殿から。それからまもなく入院しますとの知らせ。病院へついて様子を知らせますのでそれから来てください!痛みはあるもののまだまだということで一旦自宅にもどらさせました。いずれにしても近いことは確か。とりあえずPARTYも終わり、電話も無い事だしと、就寝。夜中の3時ごろ突然の電話。そら来た!と受話器をとると痛みがひどくなったので病院へ行きます。お父さんお母さんは、もうすこししてから来てくださいとのこと。
でも落ち着いていられません。何があってもいいようにとまる用意をして、家を出ました。都心の病院まで1時間半。そう簡単には生まれないはず。病院に着いたときには、陣痛室でうなっていました。
それからがなんと長いこと、助産師さんや先生は落ち着いたものです。まだですね~~。
その言葉を何十回聴いたでしょう。かなり痛みもひどくなり必死でこらえる娘を励ましながらその兆しが見えてのは夜の10時過ぎ。それからまだまだかかりました。
いよいよとなり、おぎゃ~~と聞こえたときの感動は忘れません。
長時間の陣痛をよく頑張ったとほめてあげました。赤ちゃんとご対面ができたのはそれからまたしばらくして。
かわいい女の子が無事生まれたのです。
足は相変わらず痛いのですが、動かないようにといわれてもじっと座っていられませんでした。
二人の子どもを比較的楽に出産していましたので、娘のつらさが見ていられませんでした。
婿殿は発ち合い出産で、より感動したようです。ようやく落ち着いて
ホテルに帰りついたのは真夜中でした。でもよかった!よかった!!
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娘が中学1年生のときPARTY初の受け入れを行った。
カリフォルニアのチノシティーというところ。(どちらかというとメキシコより)
翌年娘がそちらへお世話になり、本場のディズニーランドへ連れて行ってもらったなど、楽しいステイの経験をしてきた。
ホストの2歳違いの妹も来日するといっていらい、クリスマースカードがただの一度届いただけ。後はずっとなしのつぶてでした。
それでも時折思い出しては、話題にしていたものです。
我が家の二人の娘とも、中学二年の交流をとおして、カレッジリーダまで勤め、親への義務???を果たしてくれました。
昨日財団の Sさんからお電話を頂き、長女のホストファミリーが連絡を取りたいので、メールアドレスを教えてといってきたそうです。
何がなにやらわからないままにすぐに、フランス在住の娘のアドレスを財団へお知らせしました。
早速双方がメール交換をし、旧友を暖めあったようです。特に用事ということは無かったようですが、あちらも2人の子どもがいて・・・というようなやり取りだったようです。娘も、家族が写っている写真と、息子の7.5.3.の写真を添付して送ったようです。うまく開けるといいのですが・・。
娘は3回ほどメキシコへ出張しているので、その前に連絡が取れれば、会えたかもね~~。
よく日本から行った子どもたちが、いくらカードを出しても、メールも返事が来ないと言うような事をききます。確かに我が家も数人受け入れしましたが、あまり連絡も来ません。かといって今回の件のように、決して忘れているわけではないのですね!!
みなさんがっかりしないで、そのうちにこんなこともあるかもしれませんよ(*^-^*)
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体調を悪くして、ようやく日々の生活が何とか戻ってきたと思ったら、
今度は犬の散歩でこけて、左足の小指付近を骨折してしまいました。
火曜日の夕方です。翌日夫に休暇をとってもらい整形外科へ!!
やっぱり骨折してるな~~と先生!ちょと捻挫ぐらいかと思っていたのですが、不覚にも。
水曜はラボが2コマ。小学生は何とかなるとしても、プレイルームのさらちゃんは、無理。日時を変更していただこうと電話したところ、ちょうどママの具合が悪くどちらも好都合??でした。
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夕方のKIDDY&小学生はなんとしても休めない。とにかく、思うように歩けないので、座って指示。このごろ、リーダーのコウタやユウヤも育ってきてくれたので、高大生にSOSを出さなくてもなんとか1時間半乗り切りました。
それにしても終ってからかなりいたかったな!!動かさないようにと注意されていたんですが・・・・・。どうしてもね、あいたた!!を連発しながら!!テューターはつらい(><;)
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《PETUNIAA》は思いのほか難しい。言葉の量が多い。せりふもおおい。彼らの発見は、『ヘルガは』けっこうことば優しかったし、歌が多かったからそんなに大変じゃなかったのだそうです。そのとおりですね!!
おまけに今回は高大生の助けはなし!!
発表まで後一回の練習でどこまで頑張れるかが、課題です。子どたちって土壇場で頑張るのでそれを信じて・・・。
ナレーションが多いので全員がどこかしら、分担する。最終的には元気に楽しくできれば、英語にこだわらないのが、MY PARTY の小学生。
しっかり聞き込んでいてくれれば、必ず花開くときが来るものです。
何が何でも英語、英語とは言いたくありません。
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最近よく話題になる、《言葉の力》まずは日本語を《大切に》
いまさらラボで目新しいことではありませんが、基本中の基本だと心得て日々PARTYを行っています。
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インターネット電話のおかげで、週末にはパリにいるTakuからの電話が確実に入る。時差は8時間。ちょうど夕食を終えて一息ついたころにかかってくる。WABカメラの性能もよく、家の中の様子や、パリの空まで映し出される。
Takuもすっかり幼稚園にもなりマドモアゼルファシュ先生がお気に入りの様子。お友達もできたようです。ことばは臆することなく日本語で遣り合っているとの事。フランス語がわからなくてシュンとしているのではないかと心配しましたが、日仏交流はちびっ子にはなんの抵抗もなさそうです。
早くパリにおいで~~といってくれるが夏休みまでは動きが取れませんね。
フランスではバカンスが長いので、もう計画を立てているようです。
スペインに連れて行ってくれるそうですので、何がなんでも
行かなくてはと思っていますが、果てさて、どうなりますやら!!!
渡仏して一ヶ月すっかりパリっ子になったTaku のようです。
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大学生によるテーマ活動発表(表現活動)が無事終了しました。
1~4話まで2時間の発表でした。ここ数年間は創作劇の発表を行い、それはそれでハラハラ、ドキドキで当日を迎えたものですが、今年は、原点に返ってラボライブラリーから「ロミオ&ジュリエット」の発表でした。毎年大学生を送りだしている立場上やはりライブラリーも取り上げてほしいと願っていました。今年は大学生ならでの「ロミオ&ジュリエット」が見せてもらえるのかとということで、また違った意味での心配でした。
大学一年生がふえて、表現活動はますます充実してきました。表現活動の草創期から大学生を送り出してきたテューターとしてはうれしい限りです。
2時間というなが帳場、シーンと静ままりかえり、小学生などもたくさん見学に来ていましたが、感動の一語に尽きたのではないでしょうか!!そしていつかやってみたいと思ってくれたら最高です。
ラボっ子としてたくさんのテーマ活動に触れ、継続してきた結果の集大成が、今日の「ロミオ&ジュリエット」なのではないでしょうか。
シェクスピアの作品の言葉の量は半端ではありません。今日の発表にいたるまで紆余曲折があったように聞いていますが、最後は見事に演じきり半端な気持ちでは、できないこと、続けることの大切さを、ラボっ子にも、テューターにも改めて教えてくれたのではないかと思います。
発表にかかわった大学生、裏方で支えくれた大学生、今期限りで表現言活動を終えていく大学生たちを激励しに来てくれたOB,OGたちに感謝、感謝です。
感動をありがとう☆☆
<画像工事中>・・チョコバナナさんがUPしてくださってます。
そちらをごらんいただければ、より様子がお分かりかと思います。
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Takuの様子が送られてきました。マドモアゼルファッシュ先生大好き
だよ☆☆
パソコンWEBカメラを取り付け、パリからの様子がより詳しくわかるようになりうれしい限りです。声も画像もとてもきれいです。
Taku が幼稚園に通いだして20日がすぎました。最初のころは言葉もわからず、お友達同士でおもちゃの取り合いなどちょっと悪い子だったようです(日本の保育園では日常茶飯事)。校長先生から今度同じようなことがあったら退学です!!といわれてママはあせっていました。フランスではしつけがとても厳しいので、日本流のびのび保育の考え方でいたら即退学です。
電話で話したところでは、お友達もでき、特に女の子がたくさんできたようです。8回もチューってされたよ!!!ターはどうしたの??と聞くと《だからさ~~ちゅ~~ってお返しにしたよ》ですって!!
この分だともうすっかり慣れたようです。甘えっこのTakuは先生にもちゅ~~です。素敵な先生ですネ(*^-^*)
言葉も面白いくらいに早く吸収していくのではないでしょうか?
明日あたりは電話がかかってくるでしょう♪♪
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■安寿姫は、死んだのちどうした…?
「安寿と厨子王」と芭蕉の「おくのほそ道」
荒海や 佐渡に横たふ 天の河
知らないもののない松尾芭蕉の名句である。ちょっと時期をはずしたかも知れないが、この句がじつは「安寿と厨子王」の物語に深いつながりがある…、と云ったら、びっくりしませんか。久しくここでのおはなし日誌は、ゆえあってお休みしておりましたが、今回はそのことをご紹介してみたいと思います。
俳聖・芭蕉は46歳の春、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。…」と風雲の思いに衝き動かされて(「片雲の風にさそはれて」)「おくのほそ道」の旅に発ちます。「風雲の思い」と書いてしまいましたが、当時は、ふっと思いついて、行きあたりばったりにできるような旅ではありませんで、さまざまな思惑と綿密な計画があったことはいうまでもありません。とりわけこの年、元禄2(1689)年は、芭蕉が生涯の師とあおぐ西行法師の歿後500年にあたります。師が歩いた陸奥(みちのく)の道を自分も自分の足でたどってみたいとする西行供養の巡礼行脚の旅であったことがうかがわれます。またそれは同時に、源氏一族の悲劇、頼朝に追われて陸奥に逃がれ、そこで果てていった義経主従を供養する旅でもありました。(このことについては、その一部、佐藤継信・忠信をめぐるエピソードをすでにご紹介しました)
さて、芭蕉とその弟子の曾良の旅は、日光を経、白河の関をすぎていよいよ陸奥に。仙台、松島、平泉などをめぐったあとは日本海側へ向かいます。出羽三山を過ぎ、能因法師や西行にゆかり深い象潟(きさがた)へ出て、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と詠んで、日本海側の愁いをたたえた、悩んでうつむいているかの風情、うらむような風光をとらえています。ここがこの旅の最北端であり、ここから旅は最終コースへ向かい、日本海に沿って南へ西へ…。
旧暦の七月六日、新潟を舟で出て荒川を渡り、今町に到着します。現在の直江津・上越市ですね。このあたりまでは、怖いような濃い青さをたたえ日本海の海原が吼え立てています。その海を隔てて、佐渡島が見えていた……はず。「荒海や…」の句は、この地に着いた翌日に催された俳席でつくられたもの。ところが、芭蕉にずうっと随行していた曾良があらわしている「曾良旅日記」によると、その日は一日じゅうはげしい雨が降りつづいたとあり、天の河など見える状態にはなかったことが知れます。おまけに、たいへんな暑さと湿気のため、かなり重い病気に陥り、不快に悩まされていたようです。持病の疝気と痔核が出たようですね。そんなときに書いたのがこの句。
今わたしの手元にあるテキスト、久富哲雄博士の『おくのほそ道』(講談社)によると、
「眼前の荒海は、佐渡と本土とを隔てて、佐渡の流人たちは故郷の妻子を恋いこがれても逢うすべもない。今宵、牽牛・織女の二星が相会うという天の河を仰ぎながら、彼らはさぞ望郷の念にかられていることだろう、と述べて、親しい人びとと離れて佐渡をながめる越後路までやってきたわが身の旅愁を詠じたもの」
と解説しています。佐渡の流人たちの望郷の思いと結びつけたそういう鑑賞の仕方もあるでしょうが、わたしにはいまひとつしっくり来ない。どうしても、これが実景を詠んだものではないことがひっかかる。
疲れはピークにあり、体調不良のこのとき、芭蕉のこころにはっきりとイメージを結んでいたのは、佐渡の流人のことではなかったろう。そうではなく、この地で広く語られていた「安寿と厨子王」の秘話であったろうと想像するほうが自然だ。
このおはなしについては、改めて説明するまでもないことながら、念のため「説経節」からその概略をたどっておくと、奥州54郡の太守をつとめていた岩城判官正氏は、帝の勘気にふれて筑紫の国に流されます。その子どもの安寿姫と厨子王丸は、悲運の父を慕って、母と乳母(姥竹)とともに奥州から京へ向かいます。しかし、途中の直江津で人買いの山岡太夫にだまされ、母と子は別々の舟に乗せられます。だまされたとわかり、姥竹は悲しみのあまり荒れ狂う海に身を投げます。母は佐渡島へつれていかれ、両の目を泣きつぶしてしまい、鳥追いをしながら悲嘆の日々に耐えている。一方、安寿と厨子王は山椒大夫のもとに売りとばされ、奴隷のよう、畜生のようにこき使われる日々。厨子王はのちには仏の導きを得て立身出世を果たし、丹後の国守に任ぜられますが、それに先だち、安寿は、弟を山椒太夫の桎梏の地獄から逃がれさすため沼に身を投げて死に、追っ手の足を一時止めさせます。
安寿姫のその貴い心根と勇気、健気さ、清い自己犠牲の精神をしのんで、直江津のまわりでは多くの伝説が生まれました。人買いの地というマイナスイメージを払拭したいとの土地の人びとの思いもあったでしょうか。なかでも、安寿姫は入水していのち果てたのち、銀色の竜に化身して空高く舞いのぼり、星になったと語られる話がよく知られています。
ほんとうは雨にたたられて銀河などは見えなかったけれど、芭蕉は安寿姫の化身たる竜の銀色のうろこで飾られた星空をこころいっぱいに描いてあの名句をつくったのだ、といっても、あながち間違いではないように思うのですが、どうでしょうか。
荒波を隔ててはるかな佐渡島へ渡る天の河の雄大な夜の川の流れと、安寿のどこまでも澄みわたるこころの風景と…。また、銀河の描く円弧なす壮大な流れは、佐渡にいる盲目の母のもとへ厨子王をいざなうために安寿が架けた橋である、というロマンあふれる説話もあり、芭蕉はこうした土地の人が語る安寿と厨子王の物語に思いを寄せてこの句をつくった。…わたしはそう信じているのですが。
上越市には今も銀河をまつる習俗が残ってさかんにおこなわれており、荒川(関川)の川べりに短冊をつけた笹を数百本立てて七夕を祝ったり、それにつづき、七日後におこなわれる盂蘭盆会は、身についた穢れを洗い落とす禊(みそぎ)の行事として、ふたつの古くからの習わしをむすんで人びとは町をあげて大事に受け継いでいる。
〔2005年10月20日〕
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