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縁は異なもの、世界は狭い 出会いの夏が始まります |
06月13日 (日) |
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雲ひとつない初夏の陽気です。
朝、お散歩での一枚。「テッペンカケタカ、テッペンカケタカ・・・」この鳴き声はえーと・・・ つがいなのか、朝からウチの周りで鳴き交わしていました。
夏草や つわものどもが 夢の後
第二次世界大戦中、人間魚雷「回天」の基地がこの写右側(今は工場)に有った。我が友人のお父さんは、終戦をこの地の回天で迎えたそう。
午後から中高生がテューター宅で、夏の活動について相談。アメリカと中国からの15歳の子たちと、何をしようか、そして秋のテーマ活動大会にみんなで出るテーマと、それに向けての夏合宿について。Mちゃんはこの夏、ホームスティに向けて広島で参加者の直前合宿で欠席。それでも気になるようで終わったら「今終わったけど、どうしようか」と電話が入る。
お天気同様、すっかり気分は夏です。
昨日、ウチにステイ予定の子のお母さんからメールが届く。先週、英日で書かれた日本地図とサマーキャンプテーマみにくいあひるの子の資料を送ったのが着いたとのこと。
ちょっと長くなりますが、2002年ミシガンにスティしたK太郎と、このお宅との不思議な縁を紹介。
02年、ホスト ショーンが決まり、そのホストマザーキャシィからの初めての手紙。「私は1969年、第1回4H留学生として田布施町のIさんのウチに一ヶ月ホームスティをした事がある」と。「田布施町て、隣の田布施町??田布施って他にもあるの??」とおもいつつ、狭いところ。Iさんを調べ電話をしてみると「4Hの活動で17歳のキャッシーを受け入れました」とのこと。
また、ホストの兄もラボで受け入れをし、翌年日本に受け入れたこのところに滞在したとのこと。そういう話を地区のテューターとしたら、あるテューターが「それはウチのラボっこのところに来た子では」という事が判明。「4歳のショーンて弟がいて、O君になついていた」とのこと。なんとショーンの兄がスティしたのは周南市。
ショーンの兄が来日したときに田布施のIさんのうちにも行ったそう。
そして、K太郎がミシガンスティ中。Iさんのうちの息子さんがアメリカ留学中で、お父さんの縁をたどって、なにも知らずにキャシィーに会いに。そこで、K太郎とIさんの息子さんは出会う。
K太郎帰国後、Iさんのウチに報告に。そこには17歳のキャシィーの写真があった。Iさんご自身、第一回の農業研修生として1960年代にアメリカに3年滞在。その縁でキャシィーを受け入れたそう。
Iさんのうちは私のうちから車で10数分。
そして昨年、キャシィーの弟、マイケルが日本にやってきて、我が家に一泊。(ページ、マイケルがやってきたに写真あり)そのときIさんや日本に帰国したその息子さん、関係者で食事。Iさんはこんな田舎でキャシィを受け入れて、どうだったのだろうと気になさっていたが、マイケルと話すことで「キャシィーはあのあと、いろんなところで講演をし、大統領にも会った」と聞き、喜んでおられた。
ショーンが来日するに当たり、Iさん、その息子さん、そして10年前キャシィーのところにスティしたO君(今は京都で大学院生)ゆかりの人が多数。みんなショーンに会うことを楽しみにしている。
キャシィは自分も妹もラボで受け入れをしている。また、ボスニアの紛争で孤児になった子の世話などもしている。
ラボと合衆国との交流は30年を超えた。その交流のいろいろな縁の上にK太郎のスティも、そして今回、15歳になったショーンの日本訪問もある。
人と人の関係は紡ぐもの。努力しないと紡げない。隣にいる人とも、地球の反対側にいる人とも。ラボはその努力をし続けてきた。すごいことだと思います。
1ヶ月の北米、オーストラリア、ニュージーランドへの訪問、北米から日本への受け入れ、中国からの受け入れ、ラボキャンプ。いろいろな「生の」出会いがこの夏、ラボっこたちを待っています。イヤなら切ってしまえばいいネットやメールの関係ではなく、です。
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