(小学6年生の痛ましい事件にふれて)
illusion(幻影)に捕らわれてしまうことと
imagination(想像)に羽ばたくことと
同じ物語であっても
受け取るものによって物語の意味は変わってくる
そこには現実に生きているかどうか
喜びや悲しみ
血と肉を感じているかどうか、身体の問題がある
あまりの情報の洪水の中で
自分自身の現実、喜びや悲しみ、血と肉、身体が
浮遊し始めるのだろうか
ラボ・パーティのテーマ活動においては逆である
物語を受け止め、表現してゆく過程で
自分自身の現実、喜びや悲しみ、血と肉、身体が
illusion(幻影)をillusion(幻影)として止めず
imagination(想像)として羽ばたかせる方向へ
解放する方向へと働くのだと思う
|