6月6日は D-DAY/ヨーロッパ・ピクニック計画 |
06月06日 (日) |
|
今日は D-DAY
ノルマンディ上陸作戦から50年
ヨーロッパのナチスからの解放はここからはじまった・・・・
今日は 息子さん1号の誕生日(2号はいません)
夜 NHKアーカイブを見る
「ヨーロッパ・ピクニック計画~こうしてベルリンの壁は崩壊した~」
1993年(平成5年)12月29日放送
冷戦の終結はここからはじまった・・・・
1989年11月9日
ハンガリーの国境の小さな都市シェブロンで行なわれた
ヨーロッパ・ピクニックは
およそ1000人の東ドイツ市民を西側に出国させることができた
その後も西側へ脱出希望が続き、ハンガリーは東ドイツ市民の
「出国を無条件で認める」と宣言
東ドイツ政府と対決
「それは提案か」
「提案ではない 人道的に判断した我々の決定を伝えている
あなたがたは
こんなにたくさんの市民が国を出ることを希望していると
いう政治をこそ恥じるべきだ」
その後
ベルリンの壁の崩壊、東欧諸国の改革
東西ドイツの統合、ソビエト連邦の解体、冷戦の終了と続く
歴史の大きな流れをつくりだすきっかけとなった
市民たちが、市民運動家が、政治家が、聖職者が歴史を変えてゆく
当時のドキュメントフィルム、人々の証言、再現映像によって
生々しい歴史の現場が浮き彫りになってゆく
(NHKのホームページより)
この番組は、ハンガリー共産党幹部たちが極秘に進めた策略と
それを巡る米ソ、欧州各国指導者たちの虚々実々の駆け引きを、
多数の関係者の証言と膨大な極秘文書から導き出した
大型スクープ・ドキュメンタリーです。
|
|
Re:6月6日は D-DAY/ヨーロッパ・ピクニック計画(06月06日)
|
返事を書く |
|
さちこさんさん (2004年06月08日 09時54分)
ハンガリーを旅行したときのこと、
現地の添乗員さんがこのピクニック計画の話をしてくれました。
そして、
「私達はこの計画を実行できたことを、とても誇りに思っています。」
と、笑顔ではなく力強い表情で話されたことが、
とても印象に残っています。
日本のように海で明確な国境が引かれているわけでもなく
近隣を大国に挟まれた中欧という国々の考え方に
ますます強く引かれた瞬間でした。
>シンドラーのリスト
まだ見る勇気がありません。
|
|
Re:6月6日は D-DAY/ヨーロッパ・ピクニック計画(06月06日)
|
返事を書く |
|
アスベルさん (2004年06月08日 11時03分)
当時の状況のなかでのハンガリーの勇気は
素晴らしいものだったと思います
ハンガリー動乱の苦い記憶がありながら
東側から西側へ窓を開けたいという強い希求が
この決定を引き出したのでしょう
ハプスブルグ家の当主がこのピクニック計画にかかわっていることに
歴史を感じました
|
|