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命の水 |
06月06日 (日) |
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人は水なしでは生きることはできない。たとえそれが汚染されていようとも・・・。1971年、24才の若い新聞記者は宮崎で土呂久の砒素被害と出会う。高千穂の奥の自然の美しい村で人々は苦しんでいた。住友金属鉱山を相手に訴訟を起こし(1975)最高裁で和解(1990)と、その後20年間川原一之氏は被害者と共に歩むことになる。そして、現在、氏が土呂久に出会った年にパキスタンから独立したバングラデシュで、アジア砒素ネットワーク(AAN since 1994)事務所長として、土呂久での蓄積を基にバングラデシュ国民の安全な水確保に奔走している。30年間の体験に裏付けられた信念の強さ、「苦しみを共にして歩むよろこび」とさらりと言ってのけられる氏の笑顔に勇気をもらった一日だった。(川原一之氏一時帰国中)
次はバングラデシュでお会いしましょう!
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アスベルさん (2004年06月07日 12時07分)
土呂久のことを
岩波新書で読んだ覚えがありますがこの方の著書だったでしょうか
今も活動を続けられていることがわかったうれしいです
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フェニックスさん (2004年06月07日 16時03分)
アスベルさん
>土呂久のことを
岩波新書で読んだ覚えがありますがこの方の著書だったでしょうか
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「口伝亜砒焼き谷」川原一之著(岩波新書)だったのでしょうか?
川原一之氏はA新聞社退職後は記録作家として多方面で活躍中です。新聞各
紙にもよく寄稿されていますので、どこかでお目に留まる機会があることと思
います。
とても気さくな方で、バングラではいつもご馳走になっています(笑)。宮
崎では4NGOで国際協力ネットワーク宮崎を組織し一緒に活動しています。
書きこみありがとうございましたm(__)m。またいらして下さい。
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