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子ども時代の歌は思い出せる |
10月22日 (木) |
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子どもの頃、自分が歌っていた曲はもちろん、親が口ずさんでいたり流れていた曲でも、なぜか大人になってから必ず思い出せ、歌えるものです。
子どもの頃の記憶というのは、本当にすごいものですね。
今日は、そんなことを実感できる体験をしました。
ラボわらやパーティは、毎週のクラスのスタートは、英語の歌(ソング&ナーサリーライム)で始まります。
プレイルームさんは定番の3曲、プラス、リクエストのあった曲や季節として紹介したいものを3~4曲取り上げます。
幼児グループは、定番の挨拶の歌を1曲、そしてリクエストや私が紹介したいソングを3~4曲。
小2以上の大きい子グループは、CD係さんが1~2曲ソング選んでスタートです。
パーティ全員が集まる会でも楽しみます。
年末のラボ納めであるクリスマス会は、特にたくさんソングを楽しみます。
有志の行事ですが、全国からのラボっ子が集う各地で開催されるサマーキャンプでは、元気な曲やかわいらしい曲が毎年2,3つほど課題曲として選ばれます。
小3以上が参加できるウインター&スプリングキャンプの課題曲は、高学年らしくフォークソングが1~2曲。
高学年が参加できる支部の行事、地区の行事なども、毎回必ず課題ソングが設定されています。
ラボっ子たちが関わることができるCD化されているソング&ナーサリーライムは、全部で500曲以上。
英語ソングがほとんどですが、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語、日本のわらべ歌も少し入っています。
ラボに入会すると、歌に親しむのは当たり前のことで、ご家庭では自然と歌や物語が流れる環境で暮らすことになります。
空気のように歌が流れる環境で暮らし、歯磨きをするように習慣としてCDのスイッチポンをするわけですが、これは実にたくさんの歌に出会えているのだと気づくことができました。
今日は、主任児童委員のお仕事で、一人暮らしのお年寄りを招いておもてなしをする会のお手伝いに行きました。
公民館に70人ほどのお年寄りがいらっしゃいました。
1人暮らしといえど、このような会に歩いて来れる元気なお年寄りの方たちです。
そのプログラムの中で、歌を歌う時間がありました。
リンゴの唄(赤いリンゴに唇そめて~♪)、知床旅情(知床の岬に~ハマナスの咲く頃~♪)、みかんの花咲く丘(みかんの花が咲いている~思い出の道~丘の道~♪)など6曲。
みなさん、これらの曲は歌えますか?
おばあちゃんと同居だった方は、若い方でも歌えるかしら?
私はバッチリでした。
我が子を含め、今の若い人たちは確実に知らないだろうな~と思います。
みかんの花が~♪の歌は、手遊びをよくしたので歌えます。
しかし、リンゴの唄とか知床旅情とか、私の年代は歌ってません。興味もありません。
TVかどこかから流れるのをちらっと聞いていたり、親が口ずさんでいたりする姿を見ていただけです。
聞こえていただけで、聴いていたわけではありません。
だって、私はユーミンやサザンや明菜ちゃんが好きな子だったんだもん。
しかし、今日はずっと忘れていたその渋~い歌が普通に歌えました。
ピアノ担当の方が練習している時に、民生委員の方と少し練習したのですが、なぜか歌えるのです。
これらの歌が懐かしい曲という年代の民生委員さんたちは、嬉しそうに歌ってみえました。
しかし、私を含むちょっと若い年代の方は、すごく嬉しいわけではないですが、でも抵抗なく自然と歌えました。
その後、歌詞が配られて目で見て歌いましたが、もちろん完璧に歌え、「あ~、2番ってこういう歌詞だったんだ~」と思いました。
ラジオから流れたり、娘たちが聴く最近の曲は、何度も聞いていれば覚えますが、数年後に歌えるか?というと、よほど聴き込まない限り歌えません。
曲と一緒ならなんとか歌えますが、曲が流れなければ自分一人では歌えないものがほとんどです。
新しいものを吸収する脳の機能が低下しているのがわかります。
それに比べ、子どもの頃ってすごいですよね。
歌った中にあった、ふるさと(うさぎおいし~かの山♪)も、もちろん歌えます。
これは、子どもの頃、「ウサギが美味しい?カノヤマ??」ととらえていて、不思議でコワイ歌だと思っていました。
かなり大きくなって日本語の文法も学んでから、「うさぎ追いし」とわかり、「し」が過去形を表す日本語だったのだとわかりました。
意味不明でも、聞いた歌は耳に残っていて、頭で歌詞がわかると感動すら覚えます。
ラボっ子が、訳が分からずソングを聞いていて、中学で文法を学んでラボの歌にたくさんの文法を発見して感動するのと同じです。
そこから文法に抵抗がなくなる子、好きになる子もいます。
ラボ・パーティでは、CDを聞いたり、仲間や私が歌うのを聞いたり、さらに歌って踊ってゲームで楽しみますから、大きくなってからも必ず思い出せるはず!
それも、楽しい思い出とともに、じわ~っと蘇ると思います。
私はラボっ子だったわけではないのでわかりませんが、年をとったラボっ子たちから、そのじわ~っとした気持ちが聞ける日まで元気でいたいと思います。
「みかんの花咲く丘」は、手遊びで1番は歌えましたが、2番は歌詞を見て初めて歌いました。
歌ったことはおそらく初めて。
学校の音楽の教科書であったかもしれません。記憶にはありませんが・・・。
「♪なぜか来た丘、母さんと~
一緒に眺めたあの島よ~
きょうも1人で見ていると~
やさしい母さん、思われる」
です。
丘に住んでいたり、みかんが周りにあったり、島が見えるわけもない住宅地に住んでいましたが、なぜか懐かしなりました。
母が格別に好きだったこともない万年反抗期の私でしたが、なぜかこの2番は涙が出そうになり歌えませんでした。
きっと私はかわいがられて育ったのだ・・・という思いが、ふと浮かびました。
母は今この世にいないので、すべてが美化されているのかもしれません。
この場にいた一人暮らしの方は、どのような気持ちで歌っていたのでしょうか・・・?
子どもの耳には、どんなものも残ります。
こどもこころには、すべてが残ります。
ガチャガチャしたゲーム音、愛のないお小言ではなく、どうか優しいあたたかい言葉と微笑みを・・・。
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