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物語を聴く |
12月19日 (金) |
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一昨日の夜グループのパーティ活動中に、あれよあれよと積もり始めた雪が、昨日はかなり積もりテンションが上がった朝でした。
プレイルームさんが車で来るだろうな~と思い、駐車場の雪どけをしていたのですが、今回の雪はまるで信州のゲレンデのような、サラサラパウダースノー!(^^)!
例年の雪どけの感触とは大きく違い、この雪はこどもたちは雪合戦や雪だるま作りは手を焼くだろうな~、ナナはそれに気づくかな~?と思いました。
さて、ラボ・ライブラリ-には冬の季節の物語もたくさんありますが、雪が降った年末に流してみたいものは、どのようなお話でしょうか?
「雪」がタイトルにつく
・ゆきむすめ
・雪渡り
小さい子も大好きな
・ぐりとぐらのおきゃくさま
・かさじぞう
・てぶくろ
グリム作品では
・しらゆきひめ
・ホッレおばさん
雪の国の代表作
・ウッレと冬の森
わくわくサンタさんをイメージできる
・大草原の小さな家(エドワーズさん、サンタクロースに出会う)
・ライオンと魔女と大きなたんす(ナルニアの森)
などなど、いろいろありますね。
ラボっ子たちは、英語と日本語のことばだけでなく、その物語の内容や背景に流れる音楽CDから、文化がにじみ出た四季折々を感じ取ります。
芸術家が精魂込めて手がけたラボ・ライブラリーですから、大人である私たちより、五感が発達している子どもたちの方がよりキャッチできているのは当然です。
どうか、物語を流してあげてくださいね。
そして、以下は、今年最後のパーティ便りに書いた文面より一部引用します。
【家族が起床するまでの早朝の家事タイムは、ラジオをオンの私ですが、先週は思わずボリュームを上げて書き留めるトークでした。以下の内容でした。
お話を聴くことは、『人の話を聞いて理解する力』、つまり『集中力』を養います。『人の話を聞いて理解する』には、聞いたことを思い浮かべること、=聞いたことを頭の中で絵にする力が要ります。これは、学校でも社会に出てからも一番大切なことで、基本的な生きる力となります。人の話を聞いて理解する力があった上で、自分の考えを話すことができるのです。
大人が、子どもに対して気をつけることは、
・生の声でお話を聞かせる。
・子どもと話をする。
・子どもが本を読んでくれたり、お話してくれたら、必ず相槌をうつ。(自分たち語り部でさえ、相槌を打ってもらえなければ語れないのです。)
そうだ、そうだと思って聞いていました。
早朝から、何といいお話をされる方がいるのだ・・・と、思っていたら、筑波大学名誉教授、昔話研究の小澤俊夫さんでした。
あの有名な指揮者、小澤征爾さんの兄であり、昔話研究では有名ですね。
こんな早朝に、いったい何人がこの番組を聞いているんだろう?とも思いましたが、お年寄りが孫に昔話を聞かせるためととらえれば、納得だと思いました。
小澤さんは、また以下のようにも言ってみえました。
昔話は道徳を気にしていないものもある。例えば、“噓をつくこともある”というお話もあります。“嘘も方便”というじゃありませんか?冒険ものも多い。“怖いのを突破する”、つまり“強く生きる”ことを知るのです。ですから、とにかく昔話は細かい事を気にしすぎず、多く読んで、語ってあげてくださいね。】
最近は、人の話を聞かない人が40代の大人~子ども世代で増えているそうです。
人の話を聞かないということは、自分の考えが一番だ!という、謙虚な学びをしない、素直でない性格の人、エライ立場の人に多いそうです。
そういう意味の人の話を聞かないこともありますが、もう一つあると思いました。
それは、根本的に誰かが話していることを全く聞いていないのです。
それが、お便りに書いた内容と同じと思いました。
ラボでも、意見を言っている子がいるのに、平気で隣の子に話しかけたり、よそ事をしている姿を見かけます。
「聞こうね!」というと「聞いてるもん」と答えます。
たしかに聞いていることもあります。
しかし、話している人に対する礼儀、話している人の気持ちを考えれば、そういう態度はいけません。
これは、いつも厳しく言います。
話している人を見る。
こういう当たり前のことができないのはどうしてでしょうか?
小澤俊夫さんがおっしゃる、こどもが物語をじっくり聞く機会がない。
相槌を打って話を聞いてもらう体験が少ない。
それが大きいと思います。
さらにいえば、もっともっと基本的なこと。目を見つめて母乳をあげることをしてこなかったため、アイコンタクトの基礎を築くチャンスが少なかったのかもしれません。
昔話などの物語を語ることはなかなか難しいですが、ラボ・ライブラリーのスイッチポンは出来ますよね。
たくさん流して、親子で物語についての会話を楽しんでみてくださいね。
それでも充分豊かな環境だと思います。
昨日は、学校での雪遊びにご満悦で、上機嫌で下校したナナでした。
「幼稚園の時は、雪が降って自転車で送れない日は、ソリに乗せたナナを私が引っ張って登園したよね~」と懐かしく話しました。
すると「えっ??そんなことしてたの?なんで??」
と驚かれました。
「えーー?覚えてないの?年に数回ドカッと降った日は、必ずそりで運んだよ。
雪の日は駐車場が混むよねえ。
弟妹の赤ちゃんがいる子や遠くから来る子の方に、駐車場を使ってもらった方がいいでしょう。
うちはわりと近いし、一人だし。
でもナナは幼稚園までずっとは歩かないから、ソリに乗せて私が引っ張ったり、リュックをソリに乗せて二人で引っ張って歩いたよね?
覚えてないの???」
「なーんにも覚えてない!」
そっか・・・。覚えてないんだ~。
でも、私の中では楽しい思い出で、きっとナナの細胞には圧縮して記憶として残っていると思います。
物語も同じです。
たくさん触れ合ってくださいね。
その子が大人になった時、ふっと湧いて出るかもしれません。
表面には現れなくても、その子自身の一つになっているはずです。
今週月曜の研修会は、再来年、ラボ50周年で発刊されるシェイクスピア作品の学び合いの時間がありました。
最近、ラボっ子たちの中で「ロミオとジュリエット」をやってみたいという声が多く、ずっと聴いていました。それだけでした。
しかし、研修会でいろいろな作品名をシェアするうちに、小学校高学年か中学の時くらいに、シェイクスピアにハマったことを思い出しました。
クリーム色の表紙に、緑の水玉がある子ども向けのシェイクスピア集だった気がします。
ずっとずっと忘れていたのに、ふわーーっとあの頃ハマった感動がよみがえりました。
これなんです!!
ハムレット、オセロー、リア王などなど、本当にこころが熱くなったのに、内容は全く実は覚えていません。
覚えていないけれど、感動したという言葉にならない何かを思い出しました。
そう思いながら、ほとんど聴いたことがない「ジュリアス・シーザー」を今週は流して感動しています。
高学年で、ロミジュリやシーザーに取り組んでほしいなあ。
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