桜の美しさ |
04月01日 (木) |
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桜の花の美しさがわかるようになったのは、まだまだ最近だと思う。子供の頃は、どうして春の図工の時間は毎年毎年同じ公園で桜の花を書く~?(そういえば、当時は学校が始まってからも咲いていた気がします。)どうしてこの花が日本の代表の花なの~?なんだか地味やなあ・・・・・と思っていました。そして、社会人時代には、どうしてまだ寒いのに桜の下でおしり冷たくしてトイレも少ない公園でビール飲まなきゃいけないの~?どうして桜のために場所取りしてワイワイカラオケする人いるの~?と思っていました。
こどもができて桜の花の下をベビーカーで歩き、幼稚園入園・卒業、小学校入園と季節を重ねるごとに、桜の美しさ、すばらしさ、いさぎよい散り際・・・なんだか日本の花であることがわかるようになってきました。日本人にとって桜は、世界に誇れる美しい花であり、大きな節目の時であり、新たな出会いを秘めた出発であり、自分をリセットしてがんばれる仲間のような気がします。
四季をしっかり感じれる日本は、自然環境のなかに想い出をつむぐことができるのですね。四季折々の空の輝き、空気、におい、色、温度が、いろいろな記憶と共に体に残ります。
昨日は、伊豆から転院した母の様態が急変し、朝実家へと車を走らせました。墨俣の堤防付近は、それはそれは美しい桜並木でした。右手に桜のピンク色、左手に菜花の黄色が揺れ、その花々を支える緑色が生き生きしていました。そして正面のお空はさわやかな水色で、それはそれは美しい景色でした。病院が変わり、必要な機械が入ってなかったことや対処の遅さ、引継ぎがまったくできていなかったため、母は1月に倒れた時の状態に戻りました。夕方には何とか意識も戻り、母はもうひと頑張りしようとしてくれたみたいです。病院を批判すれば家族は楽なのですが、そこからは何も始まりません。家族が心を寄せて、また一つ一つ積み上げていくしかありません。ちょうど今日は4月1日、帰り再びその堤防を通り花々を見た時、もう一度がんばろう・・もう一度頑張ってね・・そう勇気をもらえました。いつかよくなった母を病院から出しこの美しい花々をみせてあげたい・・そう思いました。
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さちこさん (2004年04月02日 17時13分)
20歳のとき、父が病気でもう長くないとわかりました。
4月の桜が満開の墨俣城で、
なんとはなしに、友人にそのことを打ち明けました。
当時は堤防も今のように舗装されておらず、
眼下には菜の花の黄色、見上げると桜の淡い桃色。
そしてその上には抜けるような青空でした。
美しいと思う気持ちが、悲しい気持ちを引き立たせて
風に飛んでいく花びらをただ眺めていました。
不思議な時間の流れを感じながら・・・。
わらびもちさんの日記を読ませていただいて、
あのころの想いが一気にあふれ書き込みさせていただきました。
お母様のご快復を心よりお祈り申し上げます。
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みーさんさん (2004年04月05日 00時51分)
みーさんって誰だかわかります?ひしもちさんに倣ってちょっと変えてみまし
た。家ではなぜかみんなネコみたいになってしまうので。。。
先日、ひなねこのラボでお会いした時はいつもと変わらずにこやかにしてみえ
たので、この日記を見てとても驚いています。
さぞご心配の事と思います。
ホントにあまり無理なさらないで下さいね。
病院というのは行くだけで体力を使ってしまう所の様な気がします。
私も何かと病院には縁があるのですが、入院する側はもちろん大変なのです
が、付き添う家族の方が、かかるストレスはより大きいようです。ましてや、
長期にわたり遠方まで通われて、お仕事もお持ちだし。。。
私では何のお役にも立ちませんが、家も近い事ですし、何か困った事でもあり
ましたら、ぜひ一声かけて下さいね。なっちゃんもリザちゃん(?)もウチに
来てくれたりしたら、子供達も大喜びでしょうし、週末なら一緒に遊びに行っ
たりも出来ると思いますし。
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ふーちゃんさん (2004年04月08日 22時39分)
その後のおかあさまのご容体、おとうさまのご様子は如何ですか?
お祈りしています。 わらちゃん、ご家族と「今」を大事に・・・。
名古屋・山崎川の桜を同居の祖母へプレゼントした折にその祖母が、
寝たきりになってしまった母方の祖母を想い
「相良のおばあちゃんもあなたと桜を見たかっただろうねぇ、
こんな見事な桜を孫と見られるなんて、私だけじゃ勿体ない、勿体ない」と
涙を流して泣いていました。
山崎川の両岸に覆いかぶさるようにゆったりと咲く桜は、一面を染めて、
川面の影と渡る風とで幻想的な風景でした。
桜の日記を読んで、ふと甦ってきた記憶です。
お心をお大切に。ご両親さまのこと、お祈りしています。
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