没後30年香月泰男展<私の>シベリア、そして<私の>地球 |
03月22日 (月) |
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香月泰男展
東京駅ステーションギャラリー
招集、シベリア抑留のつらく厳しい体験が
絵として結晶していった軌跡をたどった
帰国してからはふるさとの小さな町でを出ることなく
絵を描ける喜び、家族とともにいられる幸せのなかに生きた
印象に残った作品
56年左官
浴場づくりあまりの寒さのためすぐに固まってしまうので
コンクリートを熱湯でとき素早く積まなければならない
煉瓦の大きさの羊羹を食べたいと思った
65年葱
67年父と子
69年母と子
59年運ぶ女
60年運ぶ人
高梁の入った麻袋を担いで6キロの道を1日3往復
63年雪
雪の夜軍隊毛布に包まれたいたいから魂だけが抜けだして故郷に帰る
残ったものには先の見えぬ苦しみが続く
現身の苦脳から解放された死者を
死んだものがうらやましいとさえ思わずにはいられなかった
69年青の太陽
匍匐前進の訓練はいやというほどやらされた。
蟻になって穴のそこからから青い空を見るていたいと思った
69年雪の中汽車の煙
72年ハイラルの街の煙
氷の固まりのようになった真冬のハイラルの街の底からのぼる煙に
人間家族の温もりを感じた
私はほかに何もいらぬ。絵が描けて、家族と一緒にいられるならば。
その煙がうらめしかった。
72年絵の具箱 ナホトカ船待ち収容所
72年日本海
帰国を前に埋められた。
靴を履いた両足がつきでていた。無念の気持ちを
73年デモ
ナホトカでスクラムを組んでインターナショナルを歌わされた
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Re:没後30年香月泰男展<私の>シベリア、そして<私の>地球(03月22日)
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返事を書く |
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Hiromi~さん (2004年03月23日 22時35分)
がのさんから、香月泰夫展のことを紹介され、都心に出る機会があったら、
と薦められていました。まだやってるのですね。先日画集が新聞で紹介されて
ました。
こんど上京(ですよね)したら、みてきたいと思います。
・・・・
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