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「ラボ以外の自分」 たっちゃん |
06月26日 (火) |
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こんにちはー西武地区長川パーティ大学4年のたっちゃんです♪
もう東京支部も4年目、すっかりチャラキャラも板についてきましたねー。うん、なんも言えねー(・。・)笑
そんな不名誉な役回りな僕ですが、実は今まで良い人っぽい活動をしてきました。
つい先日も、日用品を買いに行った帰りに、ふと思い立って近所の献血センターに寄って献血をしてきました。
これまでも中学高校の社会奉仕活動や募金活動に参加したり、高校1年生の夏にマレーシアに植林ボランティアに行ったり、東日本大震災の後、地元神戸で友人と10日間お手製の募金箱を持ち、終日募金活動をしたりしました。
これだけを書くと“なにこの人、自分良い人アピールしたいだけやん、きっしょ”って感じると思います。
僕だって思います。と言うか、こういうことって普通人にひけらかすものではないと思います。ではなんで僕はここでこんなこと書いちゃってるんでしょう。
「やらない善よりやる偽善」とよく言いますが、僕は「やらない善はほぼ偽善」だと思っています。
あくまでこれは僕の考え方・スタンスなので、気にしないでください笑。
例えば、電車で座っていると、ちょっと疲れた感じのお年寄りが乗車してきたとします。
“あ、席譲ろうかな”とラボっ子の誰しもが思うと思います。
けど、そういう思いや考えは実際に席をお年寄りに譲らない限り伝わりません。
つまり、その思いやりの心は偽りである、と言われてもしかたないと僕は思うのです。
これが僕の考え方です。
けれど、“偽善が悪い”とは全然思いません。
気が効かないからあかん、実際に行動に移せてないからダメってわけじゃないと思います。
そうではなくて、実際に行動できたことや、自分ができる善に気づくこと、目を向けることが大事だと思います。
例えば、献血は人の命を救うために大切なものであるとみんなが知っていると思います。
けれど、体調などの都合でできない人もいるし、気が進まないとか、面倒くさい、注射が苦手、痛いからしないという人も多いと思います。
けど、それはそれでいいと思います。その時の自分にとって、献血が“できる善”ではなかっただけ、ただそれだけのことだと思います。
僕が献血をするのは、単純に「ちょっと自分が痛い思いをするだけで誰かの命が救われる。
そんな楽なボランティアならちょっとやるか。」と思うからです。
長々書いてきましたが、僕は“できるはずの善を増やし、それを実行できる自分”になりたいなと思っています。
面倒くさかったからできなかった善や、うっかりしていてできなかった善、単純に気がつかなかった善など、身の回りにはたくさんの「善」が転がっていると思います。
僕はこれからも、ひとつでも多くの“善”を実行していきたいなと思います。
そして、ラボっ子のみなさんも色んな“善”をやってみてほしいなと思います。
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