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落語をききました |
06月07日 (木) |
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小学校主催の講演会に、落語家の方がみえました。
先週土曜に娘の小学校で行われた家族参観の後の保護者向けの講演会で、いつもは色々な教育者の方が招かれるのですが、今年は落語家の方でした。
前半は、「噺家(はなしか)からみた教育の話」
いつもラボで言っている「想像力の大切さ」でした。
落語というのは、もともと江戸時代は座布団一枚あるだけの狭い部屋で行われた大衆芸能だったそうです。今のような立派な大ホールで行うのはちょっと違うようです。
もっと庶民に近く、手ごろなものだったそうです。江戸時代の庶民は、とても風流で豊かだと本で読んだことがありますが、まさに贅沢な庶民の娯楽の一つですね。
「ことば」を発するだけ。つまり、「想像力」がある人だけ笑える。
なので、大人でも想像力がないと聴けないし、こどもでも想像力があれば笑えるのだそうです。
そして、こどもにわかる言葉で言う必要もないし、子どもに落語をわからせようというのは違うのだそうです。
子ども時代に落語を聞いて、その時はわかるような、わからないような・・・でも、そうわからなくても大人になってから聴く機会に出会い「あれっ?なんだか聴いたことがあるような・・・」で、OKだそうです。
これって、ラボライブラリと同じですね。
ふれておく。出会っておく。体験しておくことの大事さでしょうか。
「ももたろう」のお話は全国各地にあり、それぞれ違う。なのに、ビデオや絵本で日本中みんな同じになっている。それでは想像力が育たない、という事もおっしゃってみえました。
ラボライブラリの中にも「ももたろう」がありますが、ラボのももたろうは、一般的な「犬⇒さる⇒キジ」という順番でなく、岡山のももたろうを基本にしており「キジ⇒さる⇒犬」という順番ですね。
狭い日本なのに有名なももたろうも違いがある。
じゃあ、他の地方のももたろうはどうだろう?
他の国のお話はどんなんだろう?
ラボっ子たちの視野はぐんぐん広がりますね。
自分が当たり前と思っていることが違う。そうでない社会もある。
この体験が多いほど、子どもは広い価値観を持ち、自分と違う考えの人を受け入れたり、違うものの見方をすることができるようになりますね。
一方的に受け取るだけでなく、ちょっと疑問を持ってみる。
日本の閉鎖的な情報社会に疑問を持つきっかけにもなる気がします。
さて、いろいろな教育の話を聞きましたが、後半はお待ちかねの落語。
体育館の舞台の上の座布団に場所を移し、なんと「寿限無」を聴くことができました。
ラボのライブラリにもある「寿限無」
ライブラリと同じところ、ちょっと違うところ。いろいろ感じながら楽しく聴けました。
絵本でおなじみの寿限無ですが、ラボライブラリは「英語+日本語」の後に落語家の寿限無の語りが入っていますね。
これを聴いてなければ、私はそう風流な育ちをしていないので、落語を聴いたこともなく、今日のお話もじっくり聴けなかったかも・・・?!
時間があったので、「寿限無」ともう一つ江戸の長屋に住む性格が違う二人の人のおはなし(お題を忘れてしまった(-_-))も聴きました。
落語ってすごいですね。
座って語るので、表現は顔と手だけ。しかも1人で何役もする。何人も役者がいるように見えてくる。
テーマ活動よりもすごい表現力じゃない!
・・ということに、今さら気付きました・・・。
ラボライブラリに落語が入ったわけが少しわかりました。
ライブラリで聴いておいてよかった。
色々な物語に触れておくことは、英語力を伸ばすだけでなく教養だなあと思った時間でした。
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