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天塩にかけたラボっ子の旅立ちの時 |
03月25日 (日) |
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嬉しくて、悲しいこの時期。物心ついた頃から、ラボっ子だった子たちが、それぞれの目標に向かって、次のステージと旅立つ時期。
一人は、国際政治を学び、国際平和に貢献できる道に、一人は、インテリアデザイナーの道、一人は生物化学、一人は医師の道、一人は栄養学。同じ様にラボを楽しみ、栄養にして成長していったラボっこ達。途中で、バレエや、部活のため、去って行った子も、みんなお祝い会には集まりました。
卒ラボ発表会で、発表した「わだつみのいろこのみや」に関しての文章を、ある機関誌に投稿したので、ここで、披露します。
この子達と、一緒に「わだつみのいろこのみや」を、シェアできて、本当に感謝しています。ありがとう。
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陸にすむもの、海にすむもの、
それぞれにきまったさだめがあります。
と海の王がホオリに語り、大きな宝石をふたつ取り出し、渡す場面の表現を創る過程で、
「海の世界と陸の世界が、ホオリが訪ねてきたことで、ゆるやかに交わり、互いの世界が交じりあった感じにしたい。」
「はじめのホデリとホオリの関係のように、それは、対立ではなく、共存って感じなのでは?」
「互いの違いを大切にし、受け入れ、そしてまた別々に存在しあうって感じを出したい。」
「『スサノオとヤマタノオロチ』のやっつけるって関係ではなくて、すべてが流れ、滑るように集まり、一旦交じり合い、そして離れていくイメージ。」
ということで、陸側は、陸の上の方を吹く風をイメージし、海側は、緩やかな海流をイメージし、両側からそれらが交じり合い、そして、また離れていくという表現になった。(表現を言葉にすることは本当に至難の業なのですが、、、)
実際に自分たちが国際交流を体験してきた子ども達だからこそ、実体験からこんな『異文化交流』についてのイメージを分かちあえるのかと思う。
「シオフル玉で大水を起こした時も、ホオリは淡々とした顔でいればいい。すました顔で、玉をとりかえた、って言うでしょう。」
「これでもか!なんて、お兄さんを懲らしめるような表情はしないからこそ、最後には二人で笑い転げることができんじゃあないのかな。」
ただ、この場面になると、深刻な問題が起きた。
ホデリは、いまじぶんがおぼれかかったときのようすをくりかえしました。
狂ったようにあちらこちらを走りまわり、
ひざをあげてはね、
腰のあたりでりょうてをひらひらさせ、
胸にてのひらをあて、
あたまの上でばんざいをする、、、、
そのおかしさに、ふたりともわらいころげました。
折しも、大震災と大津波の映像が毎日のように放映され、子ども達の目に焼き付いてしまっていた時であった。いくら高学年の子ども達とは言え、字ずらを追ってのアクションとしての表現はできるが、心をこめてとても笑えないというのだ。(自分の思いがないと、体だけの表現はできない、という体質がラボっ子である。)ましてや、笑い転げるなんて、、、とても無理。
「二人で笑い転げることに、なんの意味があったのだろう?」
「この踊りは『隼人舞・ハヤトマイ』とよばれ、後の世まで伝わった、ことの意味は?」
という真剣な話し合いになった。
「祭り」については、『スサノオ』に取り組んだ時に、『霜月祭』で散々、表現を創る際に、何を表したいのか、という視点で掘り下げた。
「でも、『笑い転げる』踊りやお祭りなんて、、、」
「笑ってごまかして、降参!許して!って、ことだけではないよね~?」
「受け入れなければいけない運命であったら、笑ってしまえって、こと?」
「『一緒に笑う』ことが大切で、ホオリがホデリの溺れる様子を見て笑ったら意味が違うよね。」
「自分の中にある正しいと思っていたことが、訂正せざる得ないような悔しい時は、相手に屈しちゃえ、ってこと?」
「自然の猛威の前に立ちはだかったら、笑い転げるしかないってこと?」
「屈する相手とは、「自然」ってことじゃあないの?いつもは恵みをもたらしてくれる海が、今回の津波でも、人間の知恵や技術で、到底かなわないものであることを知らされて、人間はその中で生かされているし、時に命をも奪われてしまう厳しいものである。それを忘れないように『舞う』のかな?」
こんな話し合いを重ねながら、子ども達は真剣に笑い転げることができるようになっていった。嘘っこなしで笑い転げるには、その前の踊りを真剣にやろう!手を抜くな!という掛け声の元、体の大きい中高生が思いっきり飛び跳ね、動き回り、汗だくだくで、ぜいぜいしながら「溺れ踊り」を続け、そして最後に笑い転げるのである。その姿は、口先だけではない体中からほとばしる自然への畏敬の念であり、今回の震災で命を失った方たちへの全身で表わした心からのレクイエムとなっていったように見えた。「笑い転げて舞う」ことは「浄化」させていくことなのか。
こんな疑問や発見を重ねながら、雁さんがいたら、訊いてみたいことがたくさんある、と何年も思っていたが、あながち、最近はそうでもない心境である。子ども達とその「真理なるもの」を探っていく過程が楽しいのである。
「答えは、僕のすべてを賭けた『物語』の中にあるのだから、全身全霊で楽しめ、味わえ、考えろ。」
と声がするようである。四〇年近くかけても、群青色の深みの源を探り当てることは容易ではない。そんな容易に手に入れようとしたら、『そらいろのたね』のきつねさんの如く、熱いお日様にぶつかって、目を回してのびてしまうことだろう。
しかしながら、ラボ・テューターとして、子ども達を通して、雁さんの、群青色の残像に再会できる瞬間を繋ぎ合わせていくことはできる。そして、何よりも確かなことは、谷川雁の物語が自分の細胞の一つ一つに浸み込み、成長と共に、精神構造の骨格となり、私の人格の一部となっていることである。もしも、雁さんに出会っていなかったら、などと仮定の話としては、もはや考えられないほど長く深く丈夫な軸を成してしまっているのである。同じことが、集う子ども達にも起こっている。そう、「雁マジック」が効いて、湧き上がる雲の如くちぎれたり、形を変えたり、増大したり、色を変えたりしながら、こども達、一人一人の精神構造のしなやかな軸となっていくのである。
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Re:天塩にかけたラボっ子の旅立ちの時(03月25日)
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henrywangさん (2024年08月07日 16時44分)
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