灰色の地平線のかなたに ルータ・セペティス/作 岩波書店
アメリカ、ミシガン州に住む音楽プロデューサーである著者の祖父や父はリトアニアからの難民であった
この本ははじめての著作でソ連によるリトアニアでの知識階級とその家族の逮捕、移送の旅、強制労働収容所の様子を描いている
ナチスドイツによる強制収容所と比べてあまり知られてこなかったソ連の蛮行が、主人公である15歳の少女リナによって語られてゆく
1940年リトアニアはソ連よって侵攻され、併合される
1941年秘密警察NKVD(この後身がKGP)によって人々が逮捕され、シベリアの強制労働収容所(ラーゲリ)に送られる
このなかには乳児、幼児、妊婦までたくさん含まれている
食べ物の乏しい、長い過酷な移送の旅やラーゲリでの労働、酷寒の地であること、
によって病気も多く、乳児やこども、老人から亡くなってゆく
監視兵たちはリトアニア人たちni「国家反逆罪、強制労働25年に同意しろ」と同意書へのサインを強制、断ると眠らせない
それでも次の日は労働である。「ファシストの豚ども」として扱い、即座に射殺することもある。
(1942年から1952年にかけて、スターリン政権下でリトアニア人のシベリア追放政策が再開される。
スターリンによる恐怖政治によってこの時期バルト三国は、人口の三分の一を失ったという
1953年スターリンの死後、政策が変わって、それまで生き延びた人々がやっと1956年頃までに、故郷に帰ることが出来たが、
家屋、資産はすべて奪われており、また犯罪者として監視され、ラーゲリのことはいっさい語ることを禁じられていた)
1991年にようやくリトアニアは独立を取り戻した
家族の記憶、リトアニア人の記憶をもとに、リトアニアを二度訪問し、よく調べて描いている
著者自身の体験ではない。過酷な日々にあって、そのなかで助け合い、生きてゆく人々がいとおしい
p96 「深い絶望の縁に追いやられたと思ったとたん、振り子が逆に揺れて、ささやかだけどいいことが起こる」
p109「あのさ、空を見ていると家の芝生に寝ころんでいるみたいでまだリトアニアにいるような気がするね」ヨーナスがいった。
それは、ママがいいそうな、白黒の写真に明るい色をそえるような一言だった。
p189「深呼吸をして心の中に何かを思い描ければ、そこにゆくことも出来るし、それを見たり感じたりすることも出来ると、
心の中の静かな世界に逃げ込み、新たな力を見いだせていた」
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