紅梅
2006年7月に亡くなられた吉村昭の死を、遺された妻である津村節子が小説形式で書いている
書けるまでに5年近くの年の年月が必要だったということだ
初出誌「文学界」2011年5月号、単行本2011年7月
2005年舌癌、加えて2006年膵臓癌が見つかった
7/24退院、7/31井の頭公園に隣接する自宅で、息子、娘、妻に付き添われての臨終、79歳
自分でカーテルポートを引きむしって、「もう、死ぬ」と言ったという
作家であった妻は十分な介護ができなかったことを今も悔やんでいる
p170
「育子が夫の背中をさすっているときに、残る力をしぼって躯を半回転させたのは、育子を拒否したのだ、と思う。
情けの薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負ってゆくのだ。」とまで書く。
もっともこれは、夫がこれを否定してくれるだろうと思っている妻の夫への甘えのことばようにも思うが・・・
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