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★わかもの報告3日目・最終日★これも長文ですかね。 |
03月10日 (水) |
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わかものの報告を左のページの一番下にまとめました。
ご一読いただき、ぜひ感想をお知らせください
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関連の日記LAULAさんが↓に書いています。
http://www.labo-party.jp/hiroba/top.php?PAGE=lauratimes&MENU=DIARY
こちらもご覧ください。
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それでは3日目の報告です。
(2日目までの報告は昨日の日記ですよ)***************
2日目(03/08)の夜、仕事の終わった関西のOB(まんまの会)
石原さん、高山さん、平岡さんの3人の方が
お祝いを持って遊びに来てくれた。
後輩たちの様子が気になり、また10数年前の思い出が蘇るらしい。
いずれにしてもありがたいことである。
平岡氏は、京都田辺にあるシュタイナー学校にお子さん(小1)を
通わせているとのことで、学校の運営やこどもたちの教育について、
親の会の中心メンバーとして関わっているとのことだった。
「帰りの電車が無くなった!」ということで始発電車まで
参加者と付き合ってくれた・・・らしい。
さて、そういうわけで明け方まで盛り上がった2日目のよるが明け
最終日を迎えた。
朝食後、最後の分科会で各グループのまとめを行い、
たき川旅館をチェックアウトし、
全体会場である京都駅前の「キャンパスプラザ」へ移動。
小グループに分かれて、各分科会のシェア、昼食、
そして午後のメインプログラムである
京都大学高等教育開発推進センター;溝上慎一助教授の講演が行われた。
溝上先生は実行委員会にも一度参加いただき
今朝も9時にたき川旅館にお出でいただき、分科会の様子を見ていただいたのだ。
「自分の意思をはっきりと持ち、それを自分の言葉で伝えている」のに感動を覚える。
とラボっ子を見てお話してくれた。
先生の周りの大学生の大多数はそうではない、のだそうだ。
1960年代までは社会の規律や規範が、大学生年代の存在にも規制を与えた時代
<おとな社会が強固な時代>であり、
70-80年代で、衣食住が事足り、エンターテイメント(楽しみ)のマーケットが
大学生年代を取り込み始めた時期<わかものにおとな社会が迎合し始めた>になり、
1990年代以降は、バブルの崩壊とともに、おとな社会の権威が失墜し
わかものへの影響を与えられない時代になっている。
現在は、良くも悪くもわかものが活きていくのに難しい時代であり、
自ら進んで、在りようや生き方を円卓していかねばならない。
おとな社会が、上から手を差し伸べることのできない時代になっている。
その中で、このような集団が存在することに驚きと感動を覚えている。
と言うような内容の講演をしていただいたのであった。
関西のテューターも10名ほど参加しお話を聞くことができた。
(参加した皆さん、講演の内容の補足をお願いします)
先生に対しても失礼であることは重々承知の上で
3日目の午後、2日間睡眠の少ない状況での講演をお願いしたのだが、
今回のために準備をしっかりとしていただき、
申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになった。
講演のあと、最後の全体会で
参加者それぞれが、ワークシートを使って「わかもの」の総括を行い
感想文を書き、再会を約束して散会となった。
密度の濃い、有意義な3日間を過ごした彼らの顔は
疲れてはいても、充足した穏やかなように見えたのだった。
関西実行委員の準備は周到であり、献身的であった。
時間的にも肉体的にも、きつい準備期間であったことは間違いない。
しかし、半年間の共同活動が生み出した関係性は
一人一人の心にしっかりと根を下ろしているに違いない。
uezie拝
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