なぜ生きる |
10月13日 (木) |
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今日、こんな詩に出会いました。
「もらった愛の優しさを
かえしてもかえしても
かえしきれないから
今日も 生きている」
今朝、コスモスの花束を持って
うちへ届けてくれた人がいる。
私には、お花を届けてくれる友人がいる
そう思っただけですごく幸せ
今朝、ご主人が家を出て行ってしまって
ずっと悩んでいた友人が
嬉しい報告に来てくれた
私はなんにもしていないのに
素直に行動にうつしたのは
彼女自身なのに
ありがとうって言ってくれる
少しはお役に立てたかな
そう思っただけですごく幸せ
今朝のプレイルームは
みんな晴れやか にこやかで
ママたちの顔もおだやか
まだまだ
私を取り巻く全ての人に 事に 物に
なんにもお返しができていないな
だから今日も誰かの為に生きてみよう
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がのさん (2011年10月13日 22時45分)
この日記と、その前の「親切なラボ・ママ…」を読ませてもらい、
とってもホッとした、というか、幸せな気分になりました。
「がんこちゃん」の名には不似合いな、会う人、会う人ごとに
「ありがとう」と言えるひと。がんこちゃんはそういう人らしい。
感謝のこころにあふれて生きるひとは幸せなひとです。
ところで「幸せ」には三つのレベルがあることを
お考えになったことはありませんか。
最初のひとつは、「いただく幸せ」。お誕生日だ、入学祝いだ、
就職祝いだ、結婚記念日のお祝いだ、とかいってひとから
プレゼントを受けるときのうれしさ、幸福感。
次には、「できた幸せ」「達成した満足感」。頑張った甲斐あって
希望の一流大学に合格した、競技に勝ってメダルを獲得した、
長年、会いたい会いたいと思っていたひとに念願かなって会えた、
やっと実績が認められて会社で昇進を果たした、…
といったようなレベルの幸せ。
しかし、それらにも増して高いレベルの幸せ、ほんとうの喜びとは…。
「させてもらう幸せ」「いっしょに分かち合える喜び」
「だれかの、何かの役にたてたときの、なにやら満たされた思い」。
そうは思いませんか、病気で自分が介護されされるのではなく、
元気な自分がささやかでも何か喜んでもらえることを
ひとに「させてもらう」ことの幸せって、ありがたいですね。
がんこちゃんの、あふれるような感謝の思いが、
これと一枚にかさなっていないでしょうか。
“生きる美学”なんて気取らないでいい。
ただ、「ありがとう」「ありがとう」といえるこころは、
幸せだし、美しいと思う。そう、「かえしてもかえしても
かえしきれ」るものじゃない、深い愛、あたたかい愛を
こころにいつも持っている幸せものでいたいものですね。
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Re:Re:なぜ生きる(10月13日)
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がんこちゃんさん (2011年10月19日 23時51分)
がのさんへ
天地一切の物に事に人に感謝する事は
宇宙の根底にある摂理 法則と波長があう
という事らしいです。
どんな物と事と人と波長を合わせるか
それは自分が放っている波次第で
良い事も悪い事も
自分から出て自分に帰るのですね。
明日も感謝の心でありがたい一日を過ごしたいですね!
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