谷川俊太郎さんの痴呆の捉え方 |
02月29日 (日) |
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NHKのETV特集の再放送をみた。
タイトルは『ただそこにいることで~詩人・谷川俊太郎 老いを見つめて~』というもの。
谷川さんは、ご自分の母親が痴呆になり7年介護した経験があるそうだ。
ご自身の老後を考え各地の施設を見て回ったが、福岡の託老所「よりあい」を終の棲家と決めたという。
高級老人マンションやら中規模のところなども見て回ったが、行きたいと思わなかったというのだ。
築31年の木造の家に、10人の痴呆のお年寄りが、20~30代のスタッフと暮らしている。
表情のないお年寄りが、おもちゃのピストルをスタッフに向け撃っている。
スタッフは、やられた~とおおげさに畳の上を転げ回る。
そのスタッフを、まだまだ大根役者だな~と、笑いを取る元先生のおばあちゃん。
谷川さんは、年に何度かそこに泊りがけでいき、洗濯物をたたんだりお手伝いをしながら老人達とユーモアを交えて会話を楽しむ。
かみ合ったり、かみ合わなかったりするのだが、それは全く関係ない。
あるがままのお年寄りをスタッフ同様、谷川さんも受け止めている。
自分の身内がボケること考えると、とても怖いことだし、悲しくなる。
だが、谷川さん曰く、痴呆というのは、私達が生きている意味のある現実の世界から、次元の違うnonーsenceの世界へ行くことだという。
意識を変えて、そのnonーsenceを笑えることで、自分にも笑いで帰ってくるというのだ。
そしてそのユーモアが、老いやボケへの不安や恐怖を薄くしてくれるものだと。
ご近所のおじいちゃんも、1人夜にお散歩をしていたことがあった。
車をバックさせて、ご自宅にお連れしたのだったが、話すことは、ほら話のようなものだった。
お達者な時を知ってるものとしては、変貌にいたたまれなさを感じたが、一緒に、そのほら話を笑えることが、その人のあるがままを認めることなのだろうか。
共に暮らすご家族の方が、あれこれ悩んでいるのも知っている。
身内だから、いっそう悲しんだり、よけいに腹が立ったりすることもあると言う。
介護の経験がないので、分からないことだらけだが、谷川さんの言葉をいつも心においておくことで、老いや痴呆に対しての意識転換のきっかけになればいいなと思う。
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Re:谷川俊太郎さんの痴呆の捉え方(02月29日)
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ざわざわさん (2004年06月15日 02時32分)
はじめまして。
--痴呆というのは、私達が生きている意味のある現実の世界から、次元の違
うnonーsenceの世界へ行くことだという。--
いいことを伺いました。ありがとうございます。
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Re:Re:谷川俊太郎さんの痴呆の捉え方(02月29日)
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リジータさん (2004年06月16日 02時07分)
ざわざわさん
>はじめまして。
--痴呆というのは、私達が生きている意味のある現実の世界から、次
元の違
うnonーsenceの世界へ行くことだという。--
いいことを伺いました。ありがとうございます。
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痴呆はNonーSenceの世界・・・・
言葉の紡ぎ手、谷川さんの素敵な言葉だと思いました。
ところで、ざわざわさんのお嬢さんとウィンターキャンプのとき、郡山
から黒姫へ向かうバスでご一緒しました。
前日に家を出られたとか。
長時間をものともせず、素晴らしいですね。
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