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みんな一人ひとり違う |
11月26日 (金) |
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みんなが違うということは、当たり前ですが、じっくり考えるとすごいなあと思います。こんなにたくさん世界中に人がいて、何年もの歴史を刻みながら、多くの人が生まれ死んでいくのに、同じ顔の人、同じ生き方をした人は一人としていません。神様はすごいなあと思います。人間から見て同じに見える、小さな虫たちも、きっと虫同士で見たら全然違うんでしょうね・・・。頭ではみんな違うことがわかっているようで、なかなか体に落とし込めない自分も感じ、日本の横並びの教育で体に刻み込まれたことをしみじみ感じます。
ラボ活動は、人と違う意見が出ることが当たり前なので、(異年齢で活動し、いろんな角度から入れる、正解というもののない’物語’が題材なので、感じ方が違って当たり前なのでしょうが・・・)小さな頃から人はみんな違うということを体で学んでいっているのでしょうね。幸せなことだと思います。
23日勤労感謝の日は、たまたまフリーでした。高速で30分ほどの郡上美並で、自然出産で有名な「吉村医院」の吉村先生が講演に来られ、主人と聴きに行きました。著書を読み共感していたので、とても楽しみにしていて、先生の過激発言も受け入れられ、喝を入れることができる貴重なお年寄りだなあ・・・と思い聴いてましたが、その中でラボに響く言葉がたくさんありました。
講演会は、吉村先生自身が撮影した写真のスライドで、一枚ずつ先生のコメントが入る形式でしたが、その中に、妊婦が薪割りした薪の写真がありました。割られた薪がたくさん積まれている写真なので、画面いっぱい薪の断面です。「この写真はすごいのです。すべて薪ですが、どれ一つ同じ形に割れているものはない。みんな違う」と説明されました。お産は一人ひとり違ってあたりまえ。現在の流れ作業で妊婦を同じように診る出産医院のことを言っているのだと思いましたが、教育に関しても、いえ、すべてに関して言えることだと思いました。その違いに気づき、写真に撮られた吉村先生は、すごいですね。
また、「江戸時代の寺子屋は、いろいろな机が並んでいて年齢の違う子が集っていて、色々な学びをしていてバラバラ、バタバタだった。それがよかったんだ」という教育の話にも及びました。
ラボは見た目はバラバラ、ざわざわしています。しかし、同じものに向かっています。これが人間本来の自然な姿なのかもしれないなあ・・と、講演を聞きながら思いました。「みんなちがうこと」これを体で学んでおくことは、大人になったときとても大切になってきます。逆に、みんな一緒でなければならない、同じように出来がよくなければならない、と体で学ぶことは、大人になったとき色々な場面で苦しむことになります。ラボで、みんな違う、けれど違うから協力し合うと楽しくて、なかまと協力し合うことは大事だということを体で覚えていけますね。
講演の最初に、映像が数分流れました。人口の明るさのない薄暗い部屋で、一人の女性が赤ちゃんを産み、その子をすぐ胸に抱き、「かわいい、かわいい、ありがとう」と声を上げ喜びにおんおん泣いている映像でした。こころが震えて、涙がぽろぽろ流れました。一番最初の親子の出会い、それがこんなに感動的ならどんなに絆が深まるでしょう。こういう映像を「出産」の授業で最初に見たなら、少子化問題もなくなるかもしれません。自分を大事にする子が増えるかもしれません。私が中学か高校の時に授業で見た出産の映像は、生まれる頭が見えるそのままでした。「怖い」「いやだ」という印象だけが残りました。英語もラボで自然な形で出会えていけるから、英語が好きな子がたくさん産まれるのかもしれないね。
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