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四季のあるよろこび |
11月24日 (水) |
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四季のある国に住む日本人は、その折々の風情を味わうのが習慣のように文学にも生活の中にも入り込んでいる。私も四季折々あちらこちら歩きたいし、季節を食べたい。
高山市の荘川高原は海抜約千メートル。一足早く冬が来る。紅葉のせせらぎ街道を通り、林道に入ると、もはや紅葉は終わる。初冬の枯葉の木々となる。荘川高原は道いっぱいに落ち葉、ホウの葉の裏が白く光る。夏、伸びすぎて困った草も、みんな枯れて斜面の凸凹が目立つようになった。小屋の裏に丸く掘った穴が、ぽっこりと現れている。それを見て、ちょっと、どっきり。・・・・・それは、夏の滞在中に、スイカの皮だけは水分が多くて困るからと、他のごみとは別に、土を掘って埋めておいたのだ。その穴が、いまぽっこりと現れ、綺麗に中身がなくなっていた。何がこんなに綺麗に食べて行ったのだろうか。リスの姿は見たことあるが、もっと大きなもののように思われる。われわれの居ない間に、この高原の原獣民が、みまわりしているのだなと思うと、それを知りたくもあるし、楽しくもなる。
こんなところで、一ヶ月前は、栗をいっぱい拾っていた。歌のように「大きな栗の木の下で、あなたとわたし」いっぱい、いっぱい、栗を拾った。それこそテレビのニュースでどんぐりがなくてくまたちが困っていると聞くと、「ここにたくさんくりがあるよ」と教えてあげたいくらい。山栗なので、小さくて、普通の栗のようには食べるのが大変だ。栗ご飯にも皮をむくのが大変、ゆでて食べるにも小さすぎる。こんな栗を、私はいっぱい拾い、ゆでて全部包丁で切り、スプーンで実をかき出し、それを裏ごしして、栗きんとんにした。今年はたくさん出来たので、みんなに食べてもらった。栗100%。香りもよく、食感も滑らか。食べてもらった人は、みんな喜んでくれた。「これ、栗何個ぐらい?」「めんどうなこと」「熊、大丈夫?」などといいながら。
この高原は、早春のふきのとうから始まって、わらび、ぜんまい、ふき、せり、こごみ、つくしなどなど。四季折々楽しませてくれるが、この10年ほどを考えても、気温、天候の加減で、一ヶ月ほどのずれがある。自然の中で生きている生きものたち、十分食べ物はあるだろうか。ゆっくり冬眠できるだろうか。
人間は、自分の住まいを守るため、水道管などの水抜きをして、不凍液を入れて帰ってきた。
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