マネ 1832ー1883
1850ピアノの家庭教師シュザンヌが恋人となる
1852ピアノの家庭教師シュザンヌ、レオン出産
1863シュザンヌと結婚
マネはそれまであった絵画の決まりごとから飛び出ている
描きたいものを描きたいように描く
自分の絵に自信を持っていた
1861サロン初入選、その後もサロンに出し続け何度も落選があった
1863裸の女性が服を来た男性のそばにいる『草上の昼食』、
1863娼婦がベッドの上からこちらを見見返している『オランピア』は
スキャンダルとなった
●1870普仏戦争
●1871パリ・コミューン
1871『バリケード』リトグラフ共和制への共感、検閲を恐れて生前には版画化されず
1871『内戦、1871年パリ・コミューンの光景』
1871『アルカションの室内』書き物をしている妻シュザンヌ、読書する息レオン
窓から海が見える
1873『燕』 母、
1873『浜辺にて』
読書する妻シュザンヌ、弟ウジェーヌ(次の年ベルト・モリゾと結婚)
漆塗りのアールデコ様式の額が絵を引き立てていて、素晴らしい
1879『温室のマネ夫人』妻シュザンヌ
(ずっとマネ夫妻の寝室に飾られていた作品)
マネの絵は描きたいことを描いている
描きたいことを描いてしまえば、
描き足りないように見えたり、未完成のように見えても描くのを止めてしまう
例えば手である
手の片方が未完成のように見える肖像画がたくさんある
描きたいことを描ければ、マネにとっては絵は終わっているのだ
絵画史においてマネはたったひとりで新しい世界を切り開いた
マネの切り開いた世界に印象派の画家たちが続いて行く
マネは絵画史において、とても重要な画家であり、
とても魅力ある画家だと思う
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