三菱一号館美術館開館記念展
2010年4月6日(火)~2010年7月25日(日)
なんとマネ(1832年-1882年 51歳で逝去)が80点も展示されている
マネがこれだけ集められ展示されたことはないのではないだろうか
印象派に先駆けた数々の実験的作品
描きたいことや雰囲気だけをひたすらに描き、
それまでのアカデミックな絵の完成度などには目もくれない
顔は丁寧に描かれているのに手はあっさり輪郭だけとか
まだ描きかけのように見える作品も多く見られるが
サインはあり、画家にとっては完成している
あの時代にあってとてつもない革新性、
革命性を持つ画家であることがよく分かる作品展だった
展示作品例
* 《サラマンカの学生たち》 1860年
* 《扇を持つ女》 1862年 ボードレールの愛人ジャンヌ・デュヴァルの肖像
* 《ローラ・ド・ヴァランス》 1862年/1867年以降に加筆
◎《街の歌い手》 1862年頃
* 《死せる闘牛士(死せる男)》 1863-1864年/1865年頃(切断と改変)
* 《エミール・ゾラ》 1868年
* 《ビールジョッキを持つ女》 1878-1879年
* 《ラテュイユ親父の店》 1879年
* 《秋(メリーローランの肖像)》 1881年頃
◎《黒い帽子のマルタン夫人》 1881年
◎《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》1872年
◎《浜辺にて》1873年
◎《温室のマネ夫人》1879年か1876年
◎《髪を整える女》 1879年
* 《4個のリンゴ》 1882年
◎は私が特に好きな作品です
●参考年メモ 展示作ではない
1863年「落選者展」に展示された《草上の昼食》スキャンダル
1865年 サロン出品作《オランピア》スキャンダル
1867年ナポレオン3世が威信を賭けた第2回パリ万国博覧会が開催
1868年ルーヴル美術館で模写をしていた女性ベルト・モリゾと出会う
1874年ベルトは弟のウジェーヌと結婚
1870年に勃発した新興プロイセン王国との普仏戦争に参加
1873年象徴主義の詩人ステファヌ・マラルメと共同制作
マラルメ訳のエドガー・アラン・ポーのテキスト『大鴉』や詩集『半獣の午後』のための挿絵
1874年「第1回印象派展」マネは一度も参加せずサロンに出し続けた
●第二帝政(1852-1870)
ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)
セーヌ県知事ジョルジュ・オスマン男爵パリの大改造
第三共和制(1870-1940)
|