タマラ・ド・レンピッカ(1898-1980)
ワルシャワの裕福な家庭生まれ
1911年、祖母とイタリアとコートダジュールへ旅行
イタリア絵画に触れている
1921年サンクトペテルブルグへ
スイス、ローザンヌの全寮制学校で学んでいた
1916年、18歳で貴族の弁護士と結婚
1917年、19歳ロシア革命のため亡命
コペンハーゲン、ロンドンを経てパリに落ち着く
働かない夫にかわって、画業で身を立てる決心をする
1919年、娘キゼット誕生
亡命貴族や財界人、文化人などをモデルに肖像画を描き、
画家としての地位を築いた
1923年には主要なサロンに作品を出品できるようになり、
スタイリィシュな服に身を包み、スタジオを借り、車を購入し、
芸術家としてボヘミアン名生活を楽しみながら、
社交界、上流社会の人でもあった
1928年離婚
1920年代の文化が生み出した成功した画家である
アールデコの時代の作品としてもみずみずしく、強い力があり
今もその魅力を放っている
ピカソをして『統合された破壊の斬新さ』と語らせ
「新鮮でクリア、正確でエレガント」だった
彼女は印象派の絵描きたちの多くが下手に絵を描き、汚い色を使っていると考えていたという
集められた作品の多さと
レンピッカ自身をとらせた写真とあいまって
レンピッカの魅力を伝える見応えのある展覧会でした
5月9日まで開催されています
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