大人としてどうあるべきか?興味深い話が載っていた。
『私たちは、本当に、子どもたちに「自分で考え、選び、行動する」場を提供しているだろうか。
あるいは、自分がきちんとやってもい(できもし)ないことを、平気で、子どもたちに要求してはいないだろうか。
“たとえば、おとなは子どもに「早く、早く」と言いますが、予定の時間に遅刻してくるおとなたちは、いっぱいいます。”
私たち自身が、まず、人間としてどうあるべきなのか。子どもたちの前に、どういうおとなとして存在したいのか。
そのことの問い返しなしに、子どもの問題も教育の問題も語ることはできないと思うのです。
上記の例でいえば、
「一方の判断を、もう一方に押しつけるおとなになりたいのか」
「『忙しい』という言葉に振り回されて生きるおとなになりたいのか」
ということであるとも、言えると思います。
おとなが、きちんと、おとなになったとき、今、さまざまに取りざたされている子どもの問題の多くが、解決されるのではないかと感じています。』
最近の子は・・・・というのは昔から良く聞く話だが、そう言っているあなたたちは一体どういう大人なの?あなたは一体どういう生き方をしているの?と首を傾げたくなることがよくある。世の中にはいろいろな価値観を持って一人一人生活している。だから自分の意見と違う人、価値観の違いから相手を受け入れることができないことがある。また、子どもたちと向かい合った時に、なぜこの子はこういう行動をするんだろう?と理解できずに、この親はこういう人だからしょうがないかと半ばあきらめてしまったり、そのままほっといてしまったり、一方の見方しかできていない自分に気づいてはっとすることがある。自分はどう育てたいのか?どう育ってほしいのか?いつも心に止めておかないと大きな間違いをしてしまいそうだ。
そして、自分自身、大人として一人の人間としてどうあるべきか?どう生きていきたいか?自分の生きていく道をしっかりと前を向いて、自分に恥ずかしくないように自分を見つめながら、歩いていけたらいいなと思う。
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