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鋸山でトンビに襲われた 2010/02/21の日記 |
02月21日 (日) |
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今日
市の野外活動センターのプログラムで、鋸山ハイキング参加しました
房総半島の先の方ははあまりいったことがないので・・・・
180人の応募で抽選の結果40人が参加できました
7:00三鷹駅近くに集合してバスで出発
8:00東京湾を横断する道路アクアラインの休憩所 海ほたる着
アクアラインは初めて 初めて海ほたるからの東京湾の景色を見た
8:20海ほたる出発
9:00に浜金谷ドライブイン着
ここまで2時間できてしまった 近くなったものだ
ここから鋸山へ歩き、車力道から石切り場、展望台
車力道は車に積んで石を運んだ道、一日3度の往復は女性の仕事、だったという
展望台から金谷港、保田港が見える 東京湾対岸に久里浜港
残念ながら丹沢山塊、富士山は曇っていて見えず
鋸山は標高329.4m 房総丘陵の一部分、凝灰岩から成り、建築資材となる
古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた
その結果、露出した山肌の岩が鋸の歯に見えることからこの名で呼ばれるようになった
石材は、幕末から昭和にかけて、主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用された
また、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されている
採石は昭和50年代を最後にとだえ、現在鋸山は観光資源として利用されている
昼食後鋸山山腹に広がる日本寺を自由散策
1300年前行基によって開かれた関東最古の勅願所
昭和14年に登山者の過失による火事で全山焼けてしまった
終戦まで軍の要塞化
今再建途上
千五百羅漢は、1779年から21年間をかけて、上総桜井の名工大野甚五郎英令が、門弟27名と共に作りあげた
現在、これらの石仏の中には頭がとれて無くなってしまっているものも沢山ある
これは明治初期、政府の政策がきっかけとなって広まった、仏教排斥弾圧運動の廃仏毀釈 によって破壊されたものという
大仏さん前であんぱんを食べていたところ
後ろから何かに襲われた
右手のあんまんをとろうと顔の前をかすめたトンビであった
トンビはあんぱんを取るのに失敗
だが私の目の下に足の爪で傷を残した
かすり傷だがびっくり
残ったあんぱんを食べはじめたところ
しばらくして
もう一度後ろから襲われ、今度は見事に残ったあんぱんを取られた
持っていた左手に傷、血まで出てくる
二度襲われるという不名誉・・・
同じ鳥が襲ったのであろう 甘く見てはいけなかった
雑菌があるので傷口を水洗い
やれやれ
バスに集合したところ
メロンパン、サンドイッチ、おにぎりとほかにも被害者がたくさん出ている
同行した看護婦さんの注意
動物の爪には雑菌があるので傷口を家に帰ってごしごし洗って下さい
ガーゼを使って痛くても、血が出てくるまで、(ブラッシングといいます)
洗い流してして下さいとのこと
後が腫れたりしたら受診して下さいとおおごとである
14:00大仏前集合
17:00前に帰着
早速引っ掻かれたところをブラッシング
とりあえず大丈夫そうだ
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