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子どもと遊べない親? |
02月06日 (金) |
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最近、子どもと遊べない、遊ぶ方法を知らない親が増えているという。生まれたばかりの赤ちゃんをいとおしく可愛いと感じ、宝物のように思い育てる親ばかりではなくなっている昨今、子どもと遊べない親がいてもおかしくはないと思うのだが。テレビやビデオを見ないではどう遊んでいいかわからない、時間の使い方がわからない、積み木やぬいぐるみやおもちゃでは親の方が長い時間付き合えない。これは子どもの頃に夢中になって親と遊んだことがない、これまで赤ちゃんと遊んだ経験がないからだという。
子どもが育つのは食事だけではないことは至極当たり前のこととわかっているはず。しかし目の前にいる我が子の10年先、20年先、30年先・・・のことがイメージできていたならば、今そばにいる子どもと一緒に遊ぶことがどんなに大切なことか考えられるはず。
全く何にもないところからスタートし、一日一日の積み重ねが子どもの人格や性格を形成する。母体の中に存在を確認した時から、育てることの意義は大きい。しかしそれを感じている人ばかりでないことが悲しい。只、人を人として育てるにはスリルとサスペンス(?)がある。子育ての醍醐味を感じながら育てている親は多くないと思うが、どの親も「これでいいのか?」と思い悩みながらの毎日ではなかろうか。子どもが何をしたいのかわからない、何を考えているのかわからない・・・
ちょっと待って!そんな風に思い悩む前にちょっと待って!考える根本が違うような気がする。まず、当の親が目の前の子どもをどう育てたいのか、どんな子になって欲しいのか、隣の子と一緒ではないはず。そこをはっきりさせないといけない。
親と子はどんなことがあっても切り離すことができない絆を持っている。どちらかがこの世からいなくなったとしてもその絆はより強く結びつくことだと思う。また結びつくような関わりを、時間を親子で持っておくことが子育てをすることの大事なことのひとつではないだろうか。
赤ちゃんの時、いちばんのお友達はお父さん、お母さんかもしれない。母体の中で十ヶ月間聞いていた声、感じていた声、それが生まれてきて現実のものとなった時、それは信頼になっている。それらを裏切らないような子育て、人育てを我々はしなくてはならない。
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