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歴史の犠牲は、偶然か必然か!?木島タローさんワークショップ 10月06日 (火)
先週日曜日、中部支部中高大生合宿のゲスト木島タローさんが、せっかくなので、テューター向けにもワークショップを、という計らいで、テューター向けワークショップに参加できることになった。

ゴスペル、という歴史的な説明、
現在のゴスペルのとらえ方、
黒人奴隷とキリスト教との関係、
キリスト教(プロテスタント)の神という存在の意味など、
歴史の中の偶然性は、神という大きな意思である、という考え

などなど、深い話題を、歌を歌いながら、またまつわる講話をはさみつつ、という進め方で、あっという間の2時間だった。

木島さん自身も、終了の時間を知らされて、あと、1時間でしょう?と驚かれていた。

キリスト教の歴史の話の中で、旧約聖書と新約聖書の話まで発展し、

その日の取り組んだ英語の歌
“Down by the River Side”

リバー=河 に何かを置いていこう!! の意味、河とは、どこの河かか?

ヨルダン川、そして、
ヨルダンとは、イスラム語でI am who I am という意味である、
つまり、どこからも客観視できない唯一無二の存在
(私は、一、当日の参加者なので、記憶違いでしたら、ごめん下さいませ)

ことを始めて知り、私は、今夢中になっているアメリンカドラマ「ロスト」を思い出したりしていた。

歴史の中での犠牲者=黒人奴隷も、神の意思での必然であったのか?

苦しみはすべて、河の脇において、さあ、すべてから解放される場所へいつかはいけるのだ。
今という時間は、その時に繋がる。

今、自分の人生に何が起きていようが、この人生の先に何かがあるから、今自分のしていることにもきっと意味がある。誰かのために今の自分がある。

そんな意味が、ハレルヤ  には込められている。


大きな歴史の中での犠牲は、必然か否か、それは、大きな神の意思か?はたまた自然というバランスをとるシステムの中での必要な微調整なのか、、、

私は、どちらも結局は、同じ事なのだと思うけれど、それを、あえて人間を超越した神的な意思ととるか、
自然の摂理ととらえるかの違いだと思う。

その辺のテーマは、以前、中高生と『ロミオとジュリエット』を取り組んだときに、シェイクスピアは、この時代のキリスト教に、少なからず、疑問を抱いていたのでは?
という話題に発展し、
“ダビンチ・コード”、”天使と悪魔”の映画、と小説の話題にまで及び、
結構、男子たちと、面白い談義ができた。
特に、中2のN君は、多宗教の外国(インドネシア)で小学校時代を送り、彼の中での疑問にあったのか、その角度からの『ロミ&ジュリ』への興味をあることを知った。

こんな具合に、何かとラボの活動とリンクして考えてしまうのだが、今回も、


木島タローさんが、何か、歴史の中で犠牲になっている人達のことを思いうかべて、
歌を歌ってみましょう!

と、いわれた時、私は、無意識に、今取り組んでいる『スサノオ』の中で、すでにヤマタノオロチに食べられて人身御供となった7人の娘たちのことを思い浮かべていた。
これまで、ラボっこ時代から何度も取り組んできた『スサノオ』のテーマ活動ではあるけれど、そこまで、深く、7人の存在を感じたことはない。犠牲になった7人がいたから、スサノオという存在が意味あるものになった、ということなのか、、、


また、人生観で、何を大切とするか、それがないと絶望的になってしまうものが、もしお金だとしたら、その人は、お金を信仰していることになる。
という言葉から、両親から譲り受けている価値観が、そこにない自分がいることがわかり、感謝したい気持ちになり、少し涙が出た。

歌での高揚感は、自分を見つめ直し、自分の中の心のスクリーンに今ある自分のテーマが浮き立ってくる効果があるものなのだ~!!

私は、しょっちゅう、これって、偶然?必然の偶然?と思うことがよくある。後で考えると、あまりにも、不思議な出来事~!?
って思えること。それは、その時は、辛い体験の時もあり、ハプニングであったりもする。
気付かないうちに、誰にもあることだと思う。

人との出会いも、きっと遠いどこかで、あ~、あの人の出会いは、この意味があったのね~
なんて、、、これをひとは縁(えにし)とも呼ぶのかも。

木島タローさんのワークショップに、わざわざ足を運ぼう、と出かけて行ったのも、何か動かされるべき必然の理由があったのか、はたまた理由になるように、前に進む一歩にしていかなければ意味がない、ということなのでしょうか。
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