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こどもたちに原っぱを |
09月27日 (日) |
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つい先日の新聞にあった記事。
禁止事項が多く遊びが制限される都市公園に対し、 公有地や企業・個人の私有地や企業個人の私有地を、 市民主体で暫定的に借りて遊び場とする動きが始まったのは1970年代からという。
そのような取り組みの最近の例が紹介されていた。
市民団体が自治体を後押しするかたちで実現したのだという。
おりしも、わたしが関わっている放課後の児童保育活動のなかで
近所の原っぱでボールあそびをしていたところ
「公園でボールあそびを団体でされては市民のいこいの場となりえない」 と再三にわたりご近所からの通告をうけていたところだったので、すぐ目に留まった。
このあたりは公園が多くあるが、規制があってこどもたちは自由に遊べない。 おとなは「なんだ、公園で座ってゲームか」と顔をしかめるが、
ボールを蹴ってはしかられ、打ってはとがめられ、
水場で遊んでは「衛生的に問題があるので禁止」といわれ
ちょっと花を摘むと「植木の花に触れるな」といわれ
じゃあどうすればいいの、というのが本音だと思う。
今では学校も、不審者進入をうけて校庭を自由に開放してくれるわけではない。
こんな少子高齢の時代に
子供たちの声が響く公園がそこここにあるって、すばらしいと思う。 いまのこどもたちだって、少人数でゲームに熱中するより、ほんとは 歓声をあげて走り回ってボールを追いかけたい。
汗だくになって遊びたい。
そういう記憶がなく成長していくこどもたちがいるのは、あんまりだ。
ドラえもんでも、原っぱはのび太たちのたまり場で、仲間とけんかしたり。 原っぱに置かれた土管のなかでひとり考え事をしたり、 また想像力を掻き立てられる異次元空間になったりもする。
外あそびで学べるたくさんのことを、おとなが奪ってしまってはいけないと思う。
おとなのように、事前アポ取りをして、おうちの人に決められた人数で 部屋のなかでゲームをして遊ぶのが、こどもの本来の姿ではないはず。
私がこどものころ、鶴見川の河川敷で高大生があつまってソングバーズを踊ったり、
新宿中央公園でスリーナインズ(ケイタイ用電池式ラボ機)を持っていって練習したり、 自由にパフォーマンスできたころを懐かしく思い出した。
学校の授業のことや塾のことはほとんど思い出せないけど、
基地をつくって裏山で遊んだり、遅くまで天体観測をして親にこっぴどくしかられたり、 ラボの活動を存分に楽しんだころのことは、
いまでも記憶にあたらしい。
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