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「バッファローの娘」で感じる怖さ |
09月25日 (金) |
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秋研で「バッファローの娘」に取り組んでいるが、今は動き始めたばかりなので、このお話に自分の感覚とは違う何かを感じる部分が多い。
例えば若者がBaffaro Nationに入っていくとき。自分だったらと思うと何か怖い。今のところ。妻や子への愛を貫くお話でとうしてと思われるかもしれないが。
ずっと続けている地元の日本語教室のボランティアで、移民の話になった。生徒さんは日系3世のブラジル人Tさんで、おじいさんが日本生まれの日本育ち、したがってTさんの両親は日本の文化を持つ親に育てられながらブラジル社会で生きてきた。Tさんも日系人が多くすむ地域で育ってきたが、学校では現地のブラジル人や他の国からの移民の人たちとブラジル社会で生きてきた。社会に出ると考え方の違いで苦労してきたこともあったという。そうでなければ、まったくつきあわない人たちもいたらしい。そして今は、祖父母のふるさとである日本で、子どもを育てている。Tさんの子どもは、逆にブラジルの社会で生きてきた両親のもと、日本の社会で生きている。Tさんは、自分はブラジルの中では日本的と思っていたけど、日本にきたら自分は「ブラジル的」なんだと感じたという。「とっても複雑なんです。価値観をどこにおこうかわからなくなるときがあるんです」ととても悩ましい面持ちで話してくれた。Tさんは外見は日本人そのもので(名前も日本の名前)日本語も流暢に話すため、価値観は「ブラジル的」なTさんに対して違和感を持つ日本人もいたという。単純ではないんだな。「違い」を認めて共生できるって時間も努力もいる。私はまだまだ「頭」での理解しかないんだとも思う。自分が背負ってきた文化や社会は無意識のうちに染み付いているし、簡単には切り替えもできない。
「バッファローの娘」の中で、若者がBaffaro Nationに入っていくとき感じたことは、自分の文化や世界と決別しようとしている(と私が思っている)若者に潔さと同時に悲壮感?を感じたのだろうか。。。Tさんとのやりとりを思い出しながらそんなことを思っている。
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