映画『夏時間の庭 』
『夏時間の庭 』を吉祥寺バウスセンターで見ました
緑あふれるパリ近郊の広い庭、家とアトリエ
飾られたコローやルドンの絵
アールデコの家具や調度も美術館が欲しがっている貴重なものだ
日常の生活の中に、自然と芸術が快く息づいている
家族の思い出が詰まっている家である
この母の家は
元は画家であった大叔父の家であり、アトリエであった
大叔父の死後、大叔父を尊敬する母がずっと守ってきた
母の75歳の誕生日を祝うため
こどもたちや孫たちが集まって来ている
戸外に置かれたテーブルでの気持ちの良いお祝いの食事
折を見て、母は長男を呼び、コレクションのリストや置き場所を教えはじめる
自分の死後は、この家もコレクションも
こどもたちがしたいように処分していいと言い出す
長男はこの家を守ってゆきたいと応える
そして大叔父の巡回回顧展の後、母が突然亡くなってしまう
NYで暮らす長女,北京で暮らす次男にはそれぞれの事情があり
パリに住む長男の気持ちとは違って
結局家もコレクションも売られることに決まる
税金体策もあり、コレクションの一部は、オルセー美術館に寄贈されることに
その経過の中で、3人の兄妹、弟の衝突、和解・・・・
大事な母とともにあった楽しかった思い出を
いつまでもそのまま持ち続けることはできないという悲しみ・・・・
日ごろ、庭の花を生けて、使われていた花瓶は
フランスの印象派銅版画家フェリックス・ブラックモンの花器であった
オルセー美術館におさめられた花瓶の展示に
残念ながら庭の花はない
母が使っていた美しい机は、アール・ヌーヴォーの家具デザイナー、ルイ・マジョレルの作品
美術館の展示では、机の内側の精巧さを見せるため内側を見せている
そのため外側の装飾は見えなくなる、引き出しの中は当然からっぽであり
椅子は内側ではなく、離れたところに置かれている
これでは使っている状態の展示にはならない
生活の道具が美術品として飾られてしまう不幸とも言える
この映画はパリのオルセー美術館の開館20周年記念企画作品なのだが
日常生活の中で、芸術作品が生き生きと使われたすばらしい様子を描き、
美術館に所蔵されることの幸運を描くと共に
美術館に所蔵されることの不幸もきちんと描いているところがすごい
長年、母に仕えた家政婦に長男が何か受け取ってほしいという
はじめは何もいらないと固辞していた家政婦は
毎日花を生ける度に母を思い出すからと
貴重なものではなさそうな硝子の花瓶をひとつ受け取って
大事に抱えて、帰ってゆく
実はフェリックス・ブラックモンの花器なのだが、
どうしても何か受け取ってほしかった長男はあえてそのことを伝えない
花を生けられる花瓶こそは展示された美術品としての花瓶より美しい
花を生けられた花瓶が生き生きと輝き、
老いを迎えはじめた家政婦の日々をなぐさめることであろう
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