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ステイ中、私のことが心配だった? |
08月06日 (木) |
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・・今日キャンプのバザー品を作りながら、娘があらためてわたしに聞きました。
「うん、心配だったよ」
どんなことが?
「う~ん、・・なにかおもうようにことが運ばなかったとき、
いつもみたいにだんまりしちゃうんじゃないかって」
・・・ふふふっ
そんな心配はいらないのに~、というように娘が笑う。
11日間というと、オトナは短いと思われることでしょう。
でも、成田に着いたこどもたちは、口をそろえて「長かった」と
話していました。 ほとんどの子が小学生。それだけ、凝縮された中身の濃い時間をすごし、 全神経を昼夜フル回転させていたからだと思います。
スジのおかあさんがね、
ねるまえにわたしにギューッてするんだよ。
「スジにも?」
そうだよ、もちろん。
「どんなきもちだった?」
・・日本人とちがうなあって・・。
はじめてスジの家ですごした日の夜おそくに、
おとうさんがお仕事から帰ってきたときのこと。
・・私たちはスジの部屋で寝てたんだけど、
そのとき部屋の電気は消してたけど私はまだ起きてたのね。
あっドアが開くぞ、と思った瞬間に、
顔を手で隠して寝た振りしたの。
こうやって、動かないようにして。
おとうさんがこっちをみてるな~、と思いながら、
がまんして寝た振りしたの・・。
なんだか聞いてて呼吸まできこえてきそうに、ドキドキした。
韓国でも、お父さんの帰りは遅い。
スジも日本ではうちのおとうさんと
じつはほとんどまともに会話する時間がなかった。
娘もそうなのかなあ・・と想像はしていた。
でも、おとうさんが私のこと呼んでくれたよ、
一度、食事に行くときお迎えがてらお仕事場にも行ったよ、
と話していた。
わずかな関わりのなかにも、
わが子のように受け入れてくださったことが感じられて嬉しかった。
同じ気持ちで、わが子をよその国の家庭に送り出している家族だもの。 国を超えて通じ合える部分がたしかにあると
メールや子供を通しての話から伝わってくる。
「私たちの交流は、これでおわりではなく、これからまた
はじまるのですよね」
娘が帰国してから、わたしはメールに書いた。
これからも、時折互いに便りを送り合いながら、
交流をつづけていきましょう
・・・オモニからもメールが来た。
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