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付箋がいっぱいついた辞書 |
05月28日 (木) |
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子供のころ、私の親は広辞苑を食卓の近くに置いていました。
食事中は父の一存でテレビはご法度だったため、
父不在の夕食を除き、「会話」を大事にするという
思春期のころには、本音を明かせば食事は実にうっとうしい?!時間でした。
時に、誰かが発したことばについて「それなに?」と問えば
「辞書を引きなさい、いますぐ」必ずこう言われたものです。
今のように、電子辞書はありませんから、あの分厚い一冊を
食卓に乗せて引く気持ちにはなかなかなれませんでした。
幾度か「わかった」といいつつ、そのままにした記憶があります。
そして今は、我が家の食卓にはわたしが常時かばんに入れて
持ち歩いている電子辞書が置いてあります。
夕食は、バラバラの時間になったりしますが、
なるべくニュースが流れる時にあわせているので、
「○○ってなに?」
そんな会話も自然と出るのです。
長男がまだ小学生のころ、「オショクジケンってなに?」
と聞いてきました。「お食事券かな?」とかいろいろ言ってました。 お食事券は、政治の話に関係ないね、なんていいつつ、辞書を引きました。
汚職事件かあ~・・。汚職ってなに? 不正ってなに? 職権ってなに? わいろって?・・・と続いていくわけです。
ところで話題の学習法をご存知でしょうか。
辞書を引いたら付箋をつかってことばや日付を書いて直接辞書に貼ります。 引くのは一度ではなく、わからなかったら数珠繋ぎに何回も引いていくのです。ソレ専用に辞書もいろいろ出ているようです。
ある私立学校での取り組みが、その後話題になりました。
うちでもそれを試しにやってみています。
例えば漢字ドリルをやっていて、熟語をいくつか書かなければならないとき、 「コレなんていう意味?」と、辞書に書かれていることがわからなくてさらに尋ねます。
これまで大きい辞書を触ることを嫌がって、親を頼りにしてはテキトーにごまかしていた娘も、 この学習法で「実の詰まった大きな本」として辞書を捕らえるようになりました。
保育園からいただいた辞書や、兄のお下がりの辞書が、 永らく部屋の本棚でほこりをかぶっていたので、 なんとか使えないかと以前からとても気にはなっていたのです。
付箋がふえていくと、「おお~っ調べたなあ~」という実感が得られ、 また、それも「やりなさい」と言われてやったことではなく、
自分が「なんだろ?」と思ったことがきっかけであるので、
今まではほとんど目にしなかった「新聞」を見て、知らないことばを 拾って「ゲーム感覚」で調べられるようになりました。
これも、どこかラボっ子の活動と共通点があります。
ひとつのお話に出会うと、それを出発点にして、知りたいことが広がっていきます。
お話はひとつひとつ持ってる世界が違うので、それぞれ、枝葉は分かれて、どこまでもひろがり伸びていけるのです。
ひろがって伸びた枝葉は、もしかしたら、どこかで他とつながってるかもしれない。
そんなつながりを発見できたら、なお喜びも増すでしょう。
本来、学ぶってそういうことだと思います。
ラボの楽しさは、そこにもあるんです。ただセリフを覚えて役になって言うだけなら、テーマ活動などしなくったっていいんです。
どういうことなんだろう?どうなってるんだろう?どこからきたんだろう?・・ お話に出会うことは、学びの入り口に立つことと同じ。 子供たちにそんな機会をたくさん与えてあげたいと思います。
辞書が閉まらないほど辞書にいっぱい付箋がつくといいなと思うと同時に、 子供たちがラボに集い、物語や絵本の中を通り抜けて、毎回あたらしい小さな感動を得られたらいいなと思っています。
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Re:付箋がいっぱいついた辞書(05月28日)
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マーシャ嬢さん (2009年05月28日 23時58分)
辞書を使った学習法、どこかで聞いたことがあります!
辞書をうちでも使おうと思いながらすっかり忘れていました。
高校時代、英語の辞書で引いたところは蛍光ペンで印をつけて、それが
増えるたびにひとりで「うふふ」となんだかとてもかしこくなった気分
になったことを思い出しました^^
例題やら使い方ののっている辞書、○○=▲という意味の変換だけでな
い辞書をこどもたちにはたくさん活用してもらいたいです。
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