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子どもたちに導かれて |
04月26日 (日) |
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こどもたちから学ぶ事を忘れた大人ほどつまらないものはない。
こどもは溢れんばかりの無限の可能性を持っている。
それを引き出すのがテューターの仕事だと15年かかってやっと分かりかける。テューターという仕事はいつまでも試行錯誤の連続だ。
今日の中高大生Gで、物語と向き合うこの年代のこどもたちの純真さに心を打たれた。今までも何度も遭遇した場面だったとは思うが、こちら側のこどもたちを観る目が「一人ひとりのラボっ子と物語との距離」に視点を置いたことによって、ラボっ子が発言する言葉に物語との寄り添い方が見えて、「今、この子は物語のここに気持ちがあるんだな」「もっと聴くともっと別の気付きがあるよ」と気付いていく過程を見ていこうと応援したくなるのだ。
テーマ活動はテューターのものではない。それに気付くのにも何年もかかる。つまり、物語に浪々と流れる心、メッセージは子供たちが気付いて行く中で徐々に膨らんできたものでありテューターが「この物語のテーマはこれよ!」と暗黙のうちに持っているものではないということである。
テーマは何かという話し合いよりも、聴いていく中でラボッ子たちが心を留める場面をテューターがいかにキャッチできるかで、知らず知らずのうちに物語の心をじんわりと心に広げていくのだと思った。
そんな事を気付かせてくれたのもラボッ子である。こどもの心をじーーーと観る事ができるのはラボという緩やかな時間の流れに大人も子供も身をおけることが許されているからだろう。
この子たちは素敵な大人に成長するだろう。物語との距離を縮めてきた子は、自分を知りそして相手の心にぐいぐい入っていく術を知っているから。
温かい人間関係を築ける子は本当に幸せである。
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