病気をされた先輩のお見舞いに東浦和に行く
まだ疲れやすいとおっしゃりながらも
一緒に散歩に行く事になり
見沼代用水をゆっくり歩く
西縁代用水、芝川、東縁代用水と3時間、二万歩ほど歩いた
植木屋が植栽している彼岸桜、桃、モクレン、ボケの畑があり
いっせいに咲いている
他にユキヤナギ、ヒュウガミズキ、トサミズキ、サンシュユなど
暖かい日だったが、夕方になるとだんだん風が冷たくなってきた
見沼代用水(みぬまだいようすい)は、江戸時代の1728年(享保13年)
幕府の役人 井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水
流路 埼玉県行田市付近の利根川より取水
東縁代用水路は東京都足立区へ
西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区へ
見沼用水路は、水田の灌漑目的であったが、年貢米を江戸に運ぶ水路としても有用であった
1730年に、新田の打ち出しに貢献があった鈴木家および高田家の願い出により、水運利用が許可
用水路は江戸まで直接つながっていないので代用水と芝川を結ぶ運河、
見沼通船堀が1731年にやはり井沢弥惣兵衛の手によって作られた
代用水と芝川との高度差は3mあるため、パナマ運河と同じ閘門式運河で作られた
見沼通船堀は同方式で日本最古のもの
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