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小学校での英語教育は必要か |
02月20日 (金) |
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サンサンさんのHPで大津由紀雄氏の「『英語を使える日本人』は育つのか?」冊子が紹介されていて、図書館に子どもたちに読み聞かせる絵本探しに行った時にたまたま見つけた上記の本の前著であると思われる「小学校での英語教育は必要か」(大津由紀雄編著)を借りてきて読みました。
2003年に開かれた公開シンポジウムでの著名な大学教授や研究者による発表の記録でしたが、どれもとても興味深い内容のもので、「お便りに載せたい」と本はあっというまに付箋だらけになっていました。
小学校での英語教育の是非をめぐっての内容で、英語教育の導入に対してそれぞれの立場からの見解は様々で、どれもフムフムなるほど、という納得させられるものでしたが、どの方にも共通して述べられているのは「英語能力の獲得競争を導いてしまうような、中学校以降の英語教育の前倒しになってはならない」ということと、「母語教育の重要性」ということでした。
そのなかで鵜飼玖美子氏が述べていたのは
「小学生が成長期にあることを考えると、何よりも優先されるべきは、心と体を育てることでしょう。その上で、多文化が共存する世界で生きていく上で不可欠な、自己と他者の認識を培うことが大切です。日々の生活から、自らと異なる存在への気づきを芽生えさせることが、その出発点となるはずです。異質な他者への思いやりは、しつけとして教えることでは育ちません。自己の存在を自らが受容し尊重することから、相手の気持ちや痛みを思いやる想像力がはぐくまれているように思います。換言すれば、学校と家庭と地域共同体の中での日常的な生活の積み重ねから培うしかないものです。そのような理念が現行の「総合的な学習」の真髄であると信じたいものです。
さらに重要な点に、コミュニケーション能力の基礎を培うために、言葉についての感性を育てることがあります。言葉を単なるスキルとして学習するのではなく、ことばの面白さと怖さへの気づきこそが豊かな言語生活の土台を築くことになり、そのためには国語教育の充実さも求められるでしょうし、同時に教科を問わず日々、言葉を通してふれあいが不可欠になります。」
ラボっ子たちは、この土台つくりをラボのテーマ活動のなかでしているのだろうな、とつくづく思いました。
小学校教育のなかでも、単なる英会話ごっこに終わらない英語教育が導入されることを願います。
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