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福よ来い |
12月27日 (土) |
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今年も、残りわずかとなった。年の瀬と言うのは、私にとっては、どうしても気ぜわしくいろいろやらねばならないのが、習慣のようである。公的な仕事も持っていない今は、ゆっくりしてもよさそうなものだが・・・・いや、仕事を持っていて、忙しいときにも、やはり年末は毎年同じように過ごしていた。庭の手入れ。寒さに弱い鉢植えを保護し、夏の草取りの後また延びた小さい草をとって、春の芽吹きを待つ土にしておく。夏に伸びた庭木の枝を切り、松などの木の剪定〔これは男の仕事〕。
家の大掃除。窓拭きから始まって、敷居、鴨居、欄間、普段手の届かない桟など、一年に一度しか拭けないようなところを、このときこそはと、拭くようにしている。押入れ、戸棚の整理整頓。これはいつも使っているところは、物も整理できているし、ほこりもたまっていないが、普段動かないもののあるところこそ、この際いらないものを整理しようと、一応物を出して調べて掃除をするのだが、物を減らすのはなかなか難しい。
年末の少し早めから、食事のしたく時間を少し余分に取り、田つくりや、酢の物など、日持ちのするものから順に御節の準備をする。黒豆や金団、甘露煮などは、夜、テレビを見ながら、手作りの細工物など作りながら、コトコトとゆっくりと煮込むようにしている。こんな風に書くと、明治生まれの私の母親の言っていることと、変わらないように思う。そう、台所や暖房、生活の文化は変わっているのだが、伝統文化と心は変わらない。いいものは、引継ぎ、伝えていきたいと思う。
スーパーには、御節が並ぶ。ホテルや料亭の御節のパンフレットも届く。それらは、私にとっては、参考でしかない。「う~ん、これおいしそう」「そうだ、これをつくろう!」。新聞や、テレビではいっぱい参考になる料理を紹介してくれる。いくらでも新しい工夫に富んだ料理、御節ができると言うものだ。
「二人でもつくるの?」と、聞く人がいる。作りますとも。食べることほど大切なことはない。心身の健康の源ではないか。まずは、夫が食べてくれる。子ども孫たち、親戚も食べに来る。たまには、近所にもおすそ分け。おいしい食、楽しい食、さらに今は、安全な食はもっとも大切なことと言えよう。
床の間には正月用の掛け軸、若松に南天、水仙など、いけばなの用意。干支や花餅飾りなど〔これらもみんな手作り〕、新年のグッズを飾る準備、大晦日、年越しを家族みんなでゆっくり出来るよう、早め早めに余裕を持って出来る悠々自適の毎日がうれしい。
風水や、占い学など、別に勉強したわけではないが、時々、ふっと、風水の本をのぞき読むことがある。そうしたとき、「アレ、私このようにやっているじゃない」と、いい運気がくるようなことを、日常的にしているな、と思うことがある。私流に言わせれば、福を招くこと、運気をつよくすること、健康を保つこと、など、人の幸せは、日常の生活態度だと思う。
気持ちよく整えた状態で、おいしいものを食べ、「おめでとう。」「おめでとう」と明るく福を呼び込み、いい年を迎えたい。
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