2008/11/20の日記源氏物語さまざま |
11月20日 (木) |
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源氏物語さまざま
今朝の朝日新聞の文化面を見て、なるほど・・・まさに読書の秋? 源氏物語千年紀、「源氏物語まつり」だなあ、と思った。
先日、宝塚の大劇場へ行った。いま、月組〔元ラボっこ、響れおながいる〕が「夢の浮橋」の公演をやっているから。
たまたま、私は、以前から読みたいと思っていた、瀬戸内寂聴さんの源氏物語を読んでいるところだったので、相当スピード・アップして、最後の章、「夢浮橋」まで読んで出かけた。 幕が開いた。 「類まれなる美貌と才能を兼ね備え、世の栄華を極めた光源氏が、この世を去ってから幾年・・・・宮中では、今上帝の第三王子・匂宮と光源氏の末子・薫〔実は柏木と女三の宮の不義の子〕が稀代の貴公子として評判になっていた。」・・・と言う演出の出だしで始まるのだが、私は、寂聴さんの口調が頭に残りすぎていて、・・・・これは、宝塚なんだから・・・と自分の頭に言い聞かせて・・・・宝塚歌劇を楽しむのに、少々時間がかかったのだった。
私は今度初めて、源氏物語全巻を通して休まず(時間をあけず)読んだ。義務でもなく、課題でもなくとにかく楽しんで読めた。寂聴さんのは、現代小説の感覚で気楽に読めるからだけれども、この年になって、いまこんなときに〔毎日事故だ、殺人だと殺伐とした時期)読むのもいいかもしれない。
二三日前、83歳の上野栄子さんが、18年かけて、源氏物語を訳し、今月刊行されたという。「作家の先生方の口語訳と違って、自分の思いはこめず、紫さんの文章を素直に訳しました。」という。寂聴さんは、楽しませてくれて、私は共鳴したが、今度は、本当に千年の昔のすごい人、紫式部に近づきたいな、その文章を素朴に味わいたいなとも思う。
もう一つ別の世界。私の作った人形に源氏物語から名をとったものがある。単純に楽しむだけ。
葵の上
明石の上
夢浮橋
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Re:2008/11/20の日記源氏物語さまざま(11月20日)
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がのさん (2008年11月21日 23時26分)
お好きなこととはいえ、源氏人形、よくなさいますねぇ。
しもぶくれ、引き目、かぎ鼻…、王朝貴族の美人の典型だそうですが、
よくその特徴を捉えておいでです。
瀬戸内寂聴さんのもので全巻にお読みになった!
桐壺から夢の浮橋までの五十四帖を一気に! わお~、さすがです。
わたしはそのダイジェスト版しか読んでいませんが、
多分、いまの感覚でこれがいちばん読みやすい文体で書かれているのか
も知れませんね。
わたしの場合、原文はなかなか歯が立ちませんで、はなはだいい加減で
すが、与謝野晶子のもの、円地文子のもの、谷崎潤一郎のものを、かじ
り、かじり、気まぐれに読んできました。
これまでの印象では、…どうかなあ、王朝時代の雅な雰囲気をひじょう
にていねいに描きだしているという点で、円地文子訳にいちばん格調を
感じますかねぇ。
それと宇治十帖のほうは、なんとなくていねいに読むことなくきてしま
いましたが、最近、重点的にそこを読みなおしてみました。浮舟がい
い! 飾りすぎることなく、もっともリアルに女の業が描かれているよ
うな…。
そして、ここまで読んで初めて、「源氏物語」が、ただの一人のやんご
となき貴顕の浮気ばなし、エッチな風俗ばなしでなく、ひと(男と女)の
あり方をきびしく問い、その運命を探るものだったことがわかります。
この古典の本当の文学性は最後のところまで読まないと理解できない。
本居宣長のいう“もののあはれ”は、ここまで読まないとわからない。
そのうち、橋本治が書いた「窯変源氏物語」を読んでみようかとは思っ
ているのですが、なかなか手につかずにいます。紫式部の目を外して、
光源氏=男の視点から百花の女たちを総覧するというものらしいです。
そしてまた、もっとも新しい感性がこの古典をどう訳すのか、という
覗き見根性から、「新潮」10月号の「源氏物語特集」をちらと読んでみ
ました。
江國香織が「夕顔」を、角田光代が「若紫」を、町田康が「末摘花」
を、金原ひとみが「葵」を、島田雅彦が「須磨」を、桐野夏生が「柏
木」を、という次第。
こりゃあ、もう、ぜんぜんダメです。ただのお遊びでしかなく、王朝文
芸の香りのかけらもありません。これまで大事にしてきたイメージが損
なわれたように思え、読まなければよかった、というに近い。
やはり、円地源氏がいいな、と改めて思いました。
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