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小松 真一『虜人日記 』を読む 2008/09/20の日記 |
09月20日 (土) |
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虜人日記 (ちくま学芸文庫) 小松 真一 (著)
山本七平の『日本はなぜ破れるのか』でこの本を知った
フィリピンに軍属として派遣されていた技術者の
ネグロス島での体験、戦争、逃避行、降伏、
戦後捕虜生活の記録で、戦後書かれたものではなくではなく
捕虜生活中に書かれた記録である
全体に淡々と書かれているが、
死と隣り合わせに生き、生き延びてきた記録である
何度も危機をくぐり抜けた
著者が直接出会った日本人、将校、兵隊たち
比人(フィリィピン人)、アメリカ人、の様子が活写されている
敗戦の原因を考える考察があり、その指摘は鋭い
p334 21項目より抜粋
1精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事
作戦その他で兵に要求される事は
総て精兵でなければできない事ばかりだった
武器も与えずに
米国は物量に物言わせ未訓練兵でもできる作戦をやってきた
2物量、物資、資源
3日本の不合理生、米国の合理性
4将兵の素質低下 (精兵は緒戦で大部分は死んでしまった)
5精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
6日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7基礎科学の研究をしなかったこと
8電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9克己心の欠如
10反省力なき事
11個人としての修養をしていないこと
12陸海軍の不協力
13一人よがりで同情心がない事
14兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
15バアーシー海峡の損害と戦意喪失・・(兵員輸送船団が多く撃沈された)
16思想的に徹底したものがなかった事
17国民が戦いに厭きてきた
18日本文化の確立なき事
19日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20日本文化に普遍性なき事
21指導者に生物学的常識がなかったこと
順不同で重複している点もあるが
日本人には大東亜を治める力も文化もなかった事に結論する
軍属であった事で、将校、兵隊の双方と話ができ
それぞれの考え方まで記録されている
日本人が危機にあってどのように生きるか、
どのように行動するか
得難い記録であり、読む機会があってよかった
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小松 真一
1911年東京日本橋に生まれ
1932年東京農業大学農芸化学科卒
大蔵省醸造試験場、農林省米穀利用研究所を経て、台湾でブタノール工場を創設
1944年比島に、ブタノール生産のため、軍属として派遣される
敗戦、1946年まで捕虜生活
戦友の骨壷に隠して持ち帰った4冊の手帳、5冊の画集
(米軍梱包用クラフト紙の表紙、中はタイプ用紙
収容所のカンバスベットのカンバスをほぐした糸で和綴製本されている)
(絵は鉛筆のスケッチにマーキュロやアデブリンなどを
マッチの軸に脱脂綿を巻いてつくった筆で彩色されている)
復員後、食品加工の企業設立
醸造技術を生かし、飲料アルコール原料の協同組合の設立
1973年脳溢血のため逝去
1974年私家版『虜人日記』出版
1975年筑摩書房より『虜人日記』出版、同年の毎日出版文化賞受賞
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