聖パトリック大聖堂
ダブリン最大の教会だがカソリックではなくプロテスタント(国教会)
カソリックに大きな教会は許されなかった
大理石の床の模様が美しい
ジョナサン・スイフト1667-1745とその愛人ステラの墓がある
スイフトはこの教会の首席司祭であった
『ガリバー旅行記』1726刊行 はその当時の社会への批判の書であった
大統領の席もある 青地にハープの印章
(このハープはお札にも印刷されている 後で本物を図書館で見た)
大統領はカソリックだがここは国の教会でなので参加するときはこの席に座るとのこと
聖歌隊があり、その子たちのために聖歌隊学校がある
メンバーがほとんどカソリックの子たちというのがおかしい
アイルランド人にとって国教会はプロテスタントなのだが
国教会はカソリックの儀式をかなり取り入れているので
そのへんは寛容らしい・・・
フェニックス公園
ローマ法王が1976年アイルランドを訪れた時
ミサがあり
この公園の丘に125万人が集まったと言うことです
トリニティカレッジ
図書館「ケルズの書」
ロングルーム
国立考古学歴史博物館
中央郵便局 1916年イースター蜂起で独立宣言を読み上げ、
包囲した英軍とカソリックが戦ったところ
このときの蜂起は失敗だったが指導者が
裁判もなく即時処刑されたことで
それまでは英国の自治領でいいと考える人も多かったのに
アイルランドの意志は独立へ一気に向かいはじめた
さらに英国は失敗した
戦争中で兵力増強のため徴兵制をアイルランドに導入しようとして
アイルランドの諸グループを反対の立場で結束させた
1918年戦争が終わり1919年に英軍への闘争が始まった
対英独立ゲリラ戦争である
1920年英国は南北を分割それぞれを自治領にすると発表
1921年12月 英国=アイルランド条約調印
1922年 6月 内戦が始まった 23年まで
市電に乗ってヒューストン駅へ
歩いて現代美術館を通り抜けてキルメイナム刑務所へ
イースター蜂起のリーダーたち16人のほとんどがここで銃殺された
そのなかでジョセフ・ブランケットは
同じく収容されていたグレイスギフォードと
13:30結婚式を挙げ 10分だけ二人でいることを許され
15:30処刑された
市電で戻りテンプルバー地区へ
レストランで夕食
ホテルへ戻る
少し手前のパブでギネスを飲む
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