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スライゴよりゴルウエイへ 2008/08/14の日記 |
08月14日 (木) |
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スライゴより
カイルモア修道院
元は1868年にマンチェスターの富豪が建てた別荘
その後女子修道院となり、寄宿学校も運営されている
湖に映える邸宅が美しい
邸宅は一部を公開 丁寧な木彫り
小さな教会も良く
森を抜けた離れたところにある広い庭園も素晴らしい
コネマラ国立公園ハイキング
『静かなる男』が撮影された村 コング
ゴルウエイへ
インペリアルホテル
夕食はパスタだが ゆで過ぎだった
夕食後街一番の通りを散歩
ケネディ公園 1963年
リンチ家の城 1320年
ノラの家 ジェイムズジョイスの妻の家
スペイン門 1594年
楽師たちの演奏が流れている
エレキギターの青年
バイオリンとギターの少年たち
バンジョー、、ギタードラムの3人組
アコーデオンの男
バグパイプの青年など
火を振り回す大道芸の青年
眠った犬の粘土細工を置いて座っている彫刻家もいる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジョン・フォード 1894年2月1日 - 1973年8月31日
父ジョンはゴールウエイ湾スピッダル村に生まれ、伯父の力でアメリカに渡った
メイン州ポートランドに住んだ
ジョン・フォードは22歳の若さで映画監督になり成功した
WASP令嬢と恋に落ち結婚したが、成功とこの結婚のあとアイデンテテイの喪失に悩まされた
自分を見つけるべく26歳で父の故郷であるアイルランドの村を訪ねた
1921年のことである
この時期のアイルランドは英軍との抗争が激化し、内戦同然の状態だった
ジョン・フォードが訪ねたとき、村の家のほとんどが焼き払われており
村の若者のほとんどは山の中に逃げ込んでいた
ジョン・フォードが親類を探しているとマーティン・フィーニというのが亡父の甥だとわかった
彼も北のコニマラに潜伏しているとのことだった
彼はIRAの大物で首に懸賞金がかけられていることもわかった
ジョン・フォードは尾行をまいて彼の隠れ家を訪ね食料と軍資金の差し入れをした
この地に入って2週間後、とうとう英国官憲はジョン・フォードを連行し
知名人であるので逮捕はせず無理矢理英国行きの船に乗せた
この旅行はジョン・フォードにとって大きかった
自分の中に流れるアイリッシュの血を自覚した
どこか不器用だが、負けても負けても屈せず音を上げないというアイリッシュの血を・・・
故郷で得た彼自身の投影もしくは幻影を、
その後の作品の主人公にすることで追い求めたのが彼の後半生だという
『駅馬車』 (1939)『怒りの葡萄』(1940)、
『わが谷は緑なりき』(1941年)、『荒野の決闘』(1946年)
時は流れ
1951年アイルランド現地ロケ(コング)を入れた『静かなる男』を完成させる
『静かなる男』(1952)
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