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アイルランド第4日 デリー スライゴへ」 2008/08/13の日記 |
08月13日 (水) |
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デリー(プロテスタントはニューデリーと呼ぶ)には二つの戦いの歴史がある
1688-89年デリー市のプロテスタントをジェームズ2世が包囲
105日間包囲したが、陥落できなかった
(1690年ダブリン北方40kmボイン川でカソリッック軍が敗れ
以後プロテスタントの支配になり、カソリック苦難の時代が始まった
プロテスタントに改宗させようとはせず植民地の如く、支配、収奪した)
1972年血の日曜日事件
カソリックの集会後のデモに英軍が発砲、市民26人が射殺された
以後カソリックの英軍への反対闘争激化
カソリックとプロテスタント双方の軍司組織が停戦するのは1998年
それ以後は停戦が守られてきている
まだ10年しかたっていないが今、町は平和である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今は市の入り口に和平の象徴である銅像が建てられている
二人の青年が映画『ET』のように手と手を触れあわせようとしている
ガイドさんと会う
城を通り過ぎて、カソリックの住むボグサイトへ降りて行く
ボグサイトは泥炭地の地区と言う意味
城は高いところにあり、カソリックは湿った地区であっても
こちらに住むほかなかったのであろう
ガイドさんの案内で射殺された場所
「ここで6人が・・・、そちらの道路では・・・・」
慰霊碑
英軍の監視所跡等見てゆく
家の壁に事件を記憶する数々の絵が大きく描かれている
事件を決して忘れないためであろう
犠牲者たちの群像も
射殺された少年の中にはガイドさんの友人がいたと言う
彼もその頃は石を持って戦っていたに違いない
城壁を歩く
事件の現場はすぐ足もと、ボグサイト全体を見下ろす
ガイドさんの住んでいた場所を聞いてみた
あの教会のそばだと指差して教えてもらった
今彼は、街角、街角で知り合いの人と挨拶する笑顔の素晴らしいガイドさんだ
カソリックの人口が増えており、
将来は「(プロてスタントを含めた)みんなのために」
北アイルランドはアイルランドとの併合することがいいと語ってくれた
デリーをでてアイルランドへ再入国
といっても小さな川にかかった橋を渡っただけで、国境を示すものは何もない
イエーツの眠る墓
スライゴーへ
スライゴのイエーツミュージアム
スライゴ クラリオンホテルは元精神病院の巨大ホテル
1855年、建築家ウィリアム・ディーン・バトラー
ダブリンのコノリー駅、
キルケニーの聖メアリー(カトリック)大聖堂の建築家
1992年病院閉鎖 4500万ユーロかけて修復・改装
2005年にクラリオン・ホテルとしてオープン
建物、インテリアともにあまりなじめない建築だった
明日ホテルの礼拝堂で結婚式があるとのことで
小さい子を連れたアイルランド人がたくさん泊まっている
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